プロライフ派村上正邦議員 1982(S57)年3月15日 参議院予算委員会で反中絶の歌「刑法第二一二条」を歌う
1982年3月15日、参議員予算委員会で立ち上がった村上(正邦)は中絶を禁じている「刑法第212条」をタイトルにつけた反中絶の歌をおもむろに歌い出した。
ママ! ママ!
ボクは 生まれそこねた子どもです
おいしいお乳も知らず
温かい胸も知らず
ひとりぼっちで棄てられた
人になれない子どもです
ママ! ママ!
ボクの声は 届いているの
ここはとても寒いの
ひとりでとても怖いの
ママのそばに行きたい
ボクは 生まれそこねた子どもです。
このドラマティックな幕開けに続けて、村上は、時おり鈴木善幸首相や森下元晴厚生大臣、そして(坂田道夫)法務大臣などに意見や情報を求めながら、長々と反中絶観を展開した。
ノーグレン『中絶と避妊の政治学』pp.122-3
この時の会議参加者は116名、ほぼ全員が男性であるはず。そして胎児の一人称は「ボク」。村上は、男たちの「ママ」へのノスタルジーを利用し、アメリカのレーガン大統領も引き合いに出しながら、「胎児の生命尊重」を合意事項にしていった。
議事録は次で検索できます:https://kokkai.ndl.go.jp/#/
https://kokkai.ndl.go.jp/minutes/api/v1/detailPDF/img/109615261X00819820315
余談だが、この日、通商産業大臣として出席していた安倍晋三は、日本の性教育へのバッシングを行った張本人でもあり、様々な意味で異常な長期政権を維持した首相になった。
その夏、1982年の7月13日(1948年に優生保護法が成立した記念日)に、生長の家が組織した「生命尊重の日 国民の集い」にはおよそ300名の保守政治家と他の宗教集団の代表が参加して、次のような決議が採択された。
胎児は受精の瞬間から完全な人間存在であり、誰が何を言おうと、この貴重な生命を奪ってはなりません。……中絶は(母親の)命を守るために不可避であるとか、権利を強調し中絶の制限に反対する人々がいるようです。しかし、この種の議論は胎児の「生命への権利」を無視しています。
ノーグレン『中絶と避妊の政治学』pp.124-5
ここに胎児の「生命権」が宣言されたのだ。
ここではごく一部しかご紹介できないが、ティアナ・ノーグレンの『中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』は、様々なアクターたちの姿を生き生きと描いており、いかにも矛盾しているように見える日本の中絶・避妊政策の裏側で何が起きていたのかが鮮明に見えてくる。残念ながら廃刊しているので、ぜひ復刊を求めていこう!
- 作者:ティアナ ノーグレン
- 発売日: 2008/08/01
- メディア: 単行本