リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

人工妊娠中絶の技術革新と女性の福祉(ウェルフェア)

18年前に書いた論考ですが……今、読んでほしい

じつは中絶薬を用いた「自宅中絶」は、2004年のイギリス女性運動の悲願でした。

この論考でも書いてある通り、2004年に中絶薬服用者で「死亡例」が出た時に、世界の関係者はどよめき、アメリカのFDA(食品医薬品局)はすぐさま実態を調査して、翌2005年には「死亡と中絶薬の直接的関連はなかった」「中絶薬が原因での死亡とは特定できなかった」と発表しています。

これを機に、ますます「中絶薬の安全性と有効性」に関する研究は山ほど積まれていくようになり、2012年の『安全な中絶第2版』では、吸引と並ぶ「安全な中絶方法」の地位を確定していったわけです。


そして国際法の方でも、女性差別撤廃条約、人権規約(社会権自由権)がすべて女性のリプロダクティブ・ヘルスケア(中絶の権利を含む)を支持し、中絶ピルが2019年のWHO必須医薬品コアリスト(必須中の必須! すべての人に提供されるべき薬)に入り、その安全性、確実性、女性や社会にとっての受容性の高さが保障されて、イギリスでは今度こそ実現!……と考えられていたときに、コロナが襲ってきた。


2020年3月、国際産婦人科連合(FIGO)は「COVID-19パンデミック下」に限定して、中絶ピルのオンライン処方と女性自身による自己管理中絶を推奨。


さらに2021年3月、FIGOは1年間に蓄えられたエビデンスを示して、「安全性・確実性は確認された。女性のプライバシーも守れる優れた方法」として、中絶ピルをオンライン処方し、自宅で用いる方法を「恒久化すべき」だと声明を発した。


論文としてはあまりに拙いし、ウェルフェアの理解もおぼつかないけれども、この時点での「自宅中絶」志向に言及していたという意味では、大学院に入って初めての論考としては、それなりに重要なことを書いたものだと、自画自賛💦


堀口貞夫先生の「活性型IUDや低用量ピルのような副作用が少なく,有効性の高い避妊法の導入に数十年もの間抵抗を続けた『得体の知れない怪物(あるいは“天の声”)』の一言で認可が見送られ,費用が消し飛ぶことは日本の製薬企業には負担しきれない。一方の国は,議員の叱責を引き出すようなことにはできるだけ触れたくない」との指摘も、とても貴重です。

金沢大学社会環境科学研究科紀要『社会環境研究』第10号投稿原稿

(引用には2005年3月発行の上記掲載誌最終バージョンをご覧ください)


人工妊娠中絶の技術革新と女性の福祉(ウェルフェア)

地域社会環境学専攻

塚原久美


The Innovation of Abortion Technique and Women’s Welfare

TSUKAHARA, Kumi


Abstract

For an obstetrician, abortion is a most often conducted operation, and when the doctor carries out the one, the female patient's welfare should be the primary concern. Early in the 20th century, surgical abortion methods were mainly used in the Western medicine, but around the 1980s, safer and more positive suction aspirations became in use. Since the end of the 1980s, much safer and simpler medical abortion method came to be used, and is spreading quickly. However, in Japan, a surgical technique of Dilatation and Curettage (D&C) has mainly been used since Meiji and Taisho Era. In this paper, the delay of the innovation of abortion technique in Japan compared with the trend in the world is surveyed, and the state of a new abortion method is discussed in respect of women's welfare.


key words: abortion, medicine, reproduction, women.


序  イギリスの自宅中絶[1]キャンペーン

 2004年9月26日付けのイギリスのオブザーバー紙に「自宅中絶を求めるキャンペーン」と題した記事が掲載された。病院や診療所ではなく,自宅で中絶薬を使うことを認めてほしいと,イギリスの女性たちが政府に要求しているのだという。[2]

 イギリスの女性たちが自宅使用を求めているのは,1982年にRU-486という名でフランスで開発され,「夢の中絶薬」として脚光を浴びたミフェプリストンという人工中絶薬[3]である。イギリスでは1990年に商品名Mifegyneで解禁され,政府指定の病院または診療所において医師の指導の下で処方されている。

 ミフェプリストンは,36~48時間の間隔をあけて第2の薬を服用することで妊娠を終了させる“薬剤による中絶”[4]に使われる。処方の細目は数種類あるので,以下はイギリスで使われる例で説明する。1日目,患者は医師または看護師の手で口中にミフェプリストンを投与される。この薬は胎盤の機能を低下させることで,胎児[5]に死をもたらす。2日後,再度医師のもとを訪れた患者は,医師または看護師によって陣痛誘発剤プロスタグランジンを膣内座薬として投与される。およそ3~6時間で薬の効果が現れ,胎内に残った胎児とその附属物は体外に排出される。現在,イギリスの患者たちは,この“人工流産”が完了するまで院内に留まることになっているため,「自宅に帰りたい」との要求が出ているのである。また,健康保険でまかなおうとすると長く待たされ,薬の使用可能期間(妊娠63日まで)を超えてしまうことがある[6]ため,手続きを迅速化する狙いもあるのかもしれない。排出が終わると検査が行われ,必要ならば真空吸引機で子宮内の残留物を除去して[7]から帰宅を許される。妊娠9週までなら,この技法で98%の妊娠を安全に終わらせることができる[8]。

 自宅中絶キャンペーンを進めるアン・フレディは,女性の権利擁護派プロチョイスであり,イギリス最大の民間中絶クリニックBPASの代表として数多くの中絶を見守ってきた経験から,「(この薬で初期中絶を受けた)女性たちは病院で相当な苦悩を経験しており,できれば家で(服薬を)したいと願っている」とキャンペーンの動機の一端を胎児の生命擁護派プロライフの学生ネットワークStudent LifeNetに明かした。だが,このネットワークの学生たちは「本当に女性たちのためだと言うなら,自宅に帰したりしてリスクを高めるのはおかしい」と批判する。「他にもっと良い解決法があるとは思うが,中絶薬を服用するというのなら,バックアップなしに女性たちを放置してはならないはずである。BPASは女性たちの“福祉ウェルフェア”[9]をあまりにも軽視しており,断固阻止すべきだ」と,記事は激しい口調で締めくくられている[10]。

 学生たちの主張にも事実誤認がありそうだが,プロチョイスとプロライフの論争[11]は本稿のテーマではないため,これ以上は立ち入らない。ただし,学生たちが主張する最後の視点の重要性は改めて確認しておきたい。すなわち,人工妊娠中絶を論じるならば,人工妊娠中絶を受ける女性たちのため――その“福祉・健康・幸福”を忘れてはならないはずである。


I. 世界の中絶

(1)WHOの『安全な中絶』

 2003年に発行されたWHO報告書『安全な中絶:医療制度のための技術ならびにポリシー・ガイダンス』は,女性のリプロダクティブ・ライツの視点で貫かれている。[12]

 世界では年間4000~5000万件の中絶が行われており,その半数が安全ではない形で行われている。その結果,毎年7万人が死亡しているほか,数十万人が不妊症を初めとする長期的な健康障害を被っている。……妊娠は女性の人生にとって,あるいは彼女の身体的および精神的な健康に大いなる脅威になりうる。そうした状況認識のもとに,世界のほとんどの国は一定の条件下で妊娠を終わらせることを許容する法律を制定してきた。……1999年6月の国連総会特別セッションで,各国政府は次の合意に達した。すなわち,「中絶が禁じられていない限り,中絶が安全かつアクセス可能であることを確実にするため,医療制度は医療サービス提供者を訓練および配備し,その他の必要措置を取らねばならない。女性の健康を守るために,付加的な措置を講じねばならない。/本書はこの合意の実現に向けてのガイダンスを提供するものである。」(WHO『安全な中絶』「序文」[13]より)


 『安全な中絶』は,中絶にまつわる技術ならびに政策のありかたについて,既存の研究結果を総合的に評価したもので,女性の健康を守るという視点から様々な人工妊娠中絶技法を考察し,「安全な中絶技法」を推奨している。冒頭のイギリスで使われているミフェプリストンは,このガイダンスの中で妊娠初期(9週以内)の中絶技法として推奨され,真空吸引機[14](12週まで可能)と並ぶ安全かつ有効性の高い方法との評価を受けている。

 現に,1982年にフランスで開発され1988年に同国で認可されたミフェプリストンは,すでにオーストリア,ベルギー,デンマークフィンランド,フランス,ドイツ,英国,ギリシアルクセンブルグ,オランダ,ノルウェー,スペイン,スウェーデン,スイス,米国,中国,イスラエルニュージーランド,ロシア,南アフリカ,台湾,チュニジアウクライナの国々で承認された[15]。人口抑制が国是である中国ではフランスと同じ1988年に認可されており,さらに2002年にはインドとベトナムでも承認が下りている。

 中絶に反対するプロライフの激しい反対運動のために,この薬の安全性や信頼性について慎重な議論を重ねてきたアメリカのFDA(食品医薬品局)だが,こうした国際的な流れには逆らえず,ついに2000年に認可に踏み切った。商品名はMifeprexである。しかし,日本ではまだ認可が下りていない。それどころか,製薬会社による申請も行われていない。WHOの『安全な中絶』でも,儲けが少ないために市場導入に及び腰の国があることが懸念されているが,日本の場合は,一見,市場原理で動いているように見えるその底にジェンダーにまつわる“事なかれ主義”があるため,多くの人が「“男性中心で動いている為”だとはつゆほども気づいていない」[16]のかもしれない。

 日本では,初期中絶は拡張と掻爬(D&C)[17]を行い,中期中絶は子宮頸管を拡張後,プロスタグランジン剤などの陣痛誘発剤を使って分娩に似た形で行うというのがいわば“常識”になっている。ところが,『安全な中絶』では,妊娠12週までの初期中絶については手動または電動の真空吸引法(manual/electric vacuum aspiration)が,9週までのごく初期の中絶については経口妊娠中絶薬のミフェプリストンと子宮収縮剤を組み合わせた“薬剤による中絶”が推奨されている。中期中絶については,D&E(Dilatation & Evacuation)[18]という日本ではあまり聞かない手法が推奨されている。医学的な詳細は筆者には不明だが,少なくともこの報告書によれば,日本の初期中絶で多用されるD&Cは,「安全な手法を用いることができない場合」の代替技法との位置付けになっている。そればかりか,「保健行政官や政策決定者は,危険な掻爬術(D&C)を真空吸引機に置き換えるために,あらゆる努力を払うべきである」とも提言されている。

 こうした提言がなされたのは,およそ半世紀の研究と議論の積み重ねの結果である。そこで,世界の中絶技法に関する論争の流れを簡単に振り返ってみることにしよう。


(2)世界(西欧)の中絶技法の変遷

 表1と表2は,医学文献データベースPubMedを「abortion methods」のキーワードで文献検索した結果である。1940年代までは皆無だが,50年代は11件,60年代は221件,70年代以降は1000件以上と全体的に増加している。ところが,50年代の11件中,英語の文献はわずか1件で,その他の内訳はドイツ語2件,ロシア語1件の他,綴りから推測する限り東欧や北欧の文献だと思われる。


表1 PubMed "abortion methods"で検索した結果の文献件数-言語別(括弧内は%)
合計 英語文献 日本語文献 その他言語
~1940年代 0 0 0 0
1950年代 11(100.0) 1(9.1) 0 10(90.9)
1960年代 221(100.0) 60(27.1) 14(6.3) 147(66.5)
1970年代 1,723(100.0) 1,150(67.7) 15(0.9) 558(32.4)
1980年代 2,105(100.0) 1,446(68.7) 37(1.8) 622(29.5)
1990年代 3,231(100.0) 2,656(82.0) 10(0.3) 572(17.7)
(作成 2004/10/5)


 ロシアは1920年代に中絶を合法化し,スターリン時代にいったん禁止したものの,1955年には再び合法化した[19]。それにならって,東欧の国々も1950年代後半に次々と合法化に踏み切った[20]。必要は発明の母である。合法的に行われるようになった人工妊娠中絶の技法について,改善が必要だとの認識が産まれたのも当然であろう。真空吸引機の研究も東欧がリードしていた。早くも1963年にはベラルーシ白ロシア)の研究者が,真空吸引法による人工妊娠中絶に関する報告をしている[21]。

 1960年代に相対的に多い日本の研究には,rupture(破裂/穿孔/裂傷),suture(縫合),accident(事故)といった言葉が目立ち,1971年には専門誌の「婦人科の実際」で子宮穿孔の特集が組まれていることからも,当時の医師たちの悪戦苦闘ぶりが忍ばれる。

 一方,世界各国で次々と中絶が合法化された1970年頃から英語圏の文献が急激に増えてくる。[22]

 以下に,この検索結果について10年単位で区切った年代ごとの特徴を簡単にまとめる。

  • 1950年代 事例報告中心。東欧を中心に初期の中絶技法が検討された時期。
  • 1960年代 外科的技法中心。掻爬(curettage)や穿孔への関心が目立つ。後半から真空吸引法の報告が出てくる。
  • 1970年代 D&Cと真空吸引法など,技法間の比較[23]が盛んに行われる。中期中絶については,外科的技法に加えて薬剤による中絶への関心が高まり,陣痛誘発剤を使った中絶の報告が急増。D&Eの中期中絶への使用も論じられる。
  • 1980年代  初期中絶における吸引中絶法の安全性は確認されD&Cに置き換わる。中期中絶については,プロスタグランジンの問題性が指摘され,D&Eとの比較も行われる。たとえば,Grimes DAは1980年代前半の一連の研究で,中期中絶においてD&Eのほうが陣痛誘発法よりも安全であることを確認した。[24]
  • 1990年代    ミフェプリストンが各国に紹介され,外科的技法との比較が始まる。手動吸引法 (manual aspiration)が再発見される。中期中絶については,D&Eの有効性が確認される。


 こうした流れを経て,今や世界では,初期中絶は薬剤(ミフェプリストン)による中絶または手動吸引法,中期中絶はD&Eという技法 が最も安全だとされているらしく,それがWHOの『安全な中絶』にも反映されたと考えられる。

 もちろん,安全性が確認されても,すぐに切り替えられるとは限らない。従来の技法とより安全な新技法との相対的な力関係しだいだし,各国の歴史的・制度的・社会的事情も大きく影響する。

 すでに述べたとおり,日本では初期中絶についてはD&C,中期中絶については陣痛誘発法が今も主流である。特にD&Cは何十年間も使い続けられている古い技法である。そこで,なぜ日本においてD&Cがこれほど定着したのかを考えるために,少々歴史をふりかえってみることにしよう。


II. 日本の中絶

(1) 近代西洋医学導入による“第一次中絶革命”

 中絶はあらゆる文明で古代から行われてきたといわれる。医療との絡みで見るなら,日本では室町期頃に婦人科専門医ができ,徳川初期には『中條流産科全書』が刊行されて,広く影響を及ぼした。中條流は,「従来の医書に全然記述のなかった『膣内へ薬品挿入』を試み」る画期的な治療法を有していた[25]。この挿薬が後にもっぱら堕胎に使われ,やがて中條流と名乗る堕胎師たちが,手技や薬草,丸薬などを用いた堕胎を手がけるようになる。人に知られたくない女性たちの弱みにつけこんで富を築く者もあり,江戸期には各地でたびたび禁令が出されたという[26]。

 日本初の医師による堕胎術の記録は,文化十年=1813年前後に書かれた賀川蘭斎の『産科秘要奥術弁』(産婆免許秘録)に「堕胎之術」と記された人工流産術である[27]。ただし,その技法といえば,「牛膝(ごしつ=漢方薬イノコズチ)の根を切り先を丸くして陰部に挿入し,刺す」という現代から見るといかにも乱暴なもので,民間伝承の堕胎の知恵をそのまま借用した手法だった。一方,江戸期には,オランダから流入した西洋医学の影響で様々な産科器械が考案され,出産の現場で使用されるようになっていた。

 明治元年に,日本政府は堕胎・間引きを禁止した。これは近代国家としての体裁を整えるためだったと言われる。堕胎・間引きといった野蛮な風習を一掃し,他のキリスト教国に則って堕胎を禁止すると同じに,軍事的にも強大な近代国家を形成するために人口政策を重視したのである。いわゆる「産めよ殖やせよ」が国家戦略となって,中絶は原則禁止された。妊婦の生命の危険など,医学的理由がある場合に限って,近代医学を修めた医師の施術は容認された[28]。

 明治23年(1890年)に刊行された『実用産科学』[29]の「人工早産」の項は,事実上中絶技法の紹介として読める。人工早産法を「胎児の子宮外生存が可能だがまだ未熟である妊娠28~30週以上の催娩法で,母体,胎児,あるいは両者の生命を救おうとするための処置」と定義しながら,「妊娠34-36週に至るまで胎児の多くは死亡する」との但し書きがあり,現実には母体のみしか救えない(胎児は死亡する)との認識を有していたことが伺われる。なお,ここで詳述される卵胞穿刺法,卵胞剥離法などいずれの術式も,子宮内容物が自ずと排出されるように機械的に直接刺激を与える手法であるが,西洋医学の知識を備え,外来の産科器具(現在も使われているコルポイリーゼやヘガール拡張器,ブージー,ラミナリアなど)を駆使するなどの点で,江戸期の堕胎医とは一線を画している。むしろ,民間療法的な伝統を断ち切ったところに,西洋産婦人科学は成立しようとしていた。初の婦人科・産科教室はドイツから帰国した濱田玄達が1888年明治21年)に東京帝国大学医学部に開設している[30]。しかし,古くからの中條流に代表される堕胎技術との決定的な違いはまだ明瞭ではない。そうした違いが決定的になるのは,もう少し時代が進んで「器械」「消毒」「麻酔」の3つの足並みが揃うことで,外科的介入の範囲が劇的に広まった時であった。

 大正6年(1917年)に刊行された『新撰産科学』[31]は,流産の処置として金属製拡張器やラミナリア,鉗子などを使った用手的排除法と並んで,流産鉗子[32]やキュレー(有窓鋭匙)を使った「掻爬」の技法に触れている。この技法が,当時は非合法であった堕胎に応用可能であることは言うまでもない。またこの時点で早くも子宮穿孔の恐れが指摘されていることも興味深い。

用手剥離術に完全排除の目的を達し得ざるか,或は急速除去を要するものにありては,流産鉗子 abortzange若しくは「キュレー」(有窓鋭匙)Abortcuretteを用いて掻爬せざるべからざることありといえども,この際子宮柔軟なるが故にその穿孔を来すこと敢て稀なりとせざるを以て此を敢てせんには極めて細心ならざるべからざるなり。磐瀬雄一『新撰産科学』[33]

 また,様々な産科器械と同じにリゾール液(消毒液)の使用にも触れている。そろそろ日本の産婦人科にも外科的な要素が導入されつつあった。

 同じ頃刊行された『臨床産科治療法』[34]は,明治以来の卵膜剥離法や卵膜穿刺法と共に,クロロホルムエーテルによる全身麻酔を用いた帝王切開術(チュールゼン氏膣式国帝切開術術式と,2デーデルライン氏法術式の2種)も紹介している。日本における本格的な外科的産科の登場である。

 西洋産科学の歴史は,鉗子,麻酔剤,消毒液の3つが揃ったことで劇的に進展した[35]。中絶技法に関しても,この3つが出揃ったことで女性に対する外科的な介入を可能にした。そうした“3種の神器”の登場のおかげで,危険性が高く不確実な膣内挿薬などに頼るのではなく,目の前の「モノ」を外科的に取り除く手法=D&Cが可能になったのである。これは中絶技法の歴史における画期的な変化であり,この外科的中絶技法への移行をここで「第一次中絶革命」と名付けることにする。


(2) 世界に先駆けた優生保護法

 戦後の日本でも,基本的に戦前に西洋から入ってきた外科的中絶技法が使われていた。ただし,日本では第二次世界大戦終結後のわずか3年後,1948年に優生保護法によって事実上中絶が合法化された。世界的にみると抜きんでて早い時期であるため,日本の産科医たちは単独で中絶にまつわる医学的・技術的その他の問題に取り組まざるをえなくなった。

 優生保護法制定の直接的な動機は,国全体の人口問題であった。当時の日本は敗戦による国土の縮小とそれに伴う引き揚げ,兵士の帰還に伴うベビーブーム,さらには外国人兵士による買春や強姦の結果としての望まれない妊娠が急増した。ヤミ中絶も横行し,命を落とす女性も少なくなかった。一方,経済的な困窮と極端な食糧・生活物資の欠乏による生活難は厳しく,国家的な対応が迫られた。「産めよ殖やせよ」から人口抑止政策へ,藤目のいう「優生保護法体制」への転換である[36]。

 戦前の国民優生法を手直しする形で急ぎ作られた日本の優生保護法は,そうした状況からある意味での安全と安寧を奪回するのに大いに寄与した。1948年の同法制定の翌年には早くも「経済条項」が付加され,1953年の改正で審査制が廃止されるに至って,ほぼすべての中絶が許容される体制が整った。しかも,産婦人科医たちの政治的働きかけ[37]により,合法的中絶は各都道府県の日本医師会が審査し指定した産婦人科医の独占業務になった[38]。

 だが,長らく禁じられてきた"堕胎"の技術に,当時の産科医たちが詳しかったとは到底思えない。ヤミで行われる中絶のために,技法を改善しようという動機を医師たちが抱いたとは考えにくいからである。

 戦後4年目の昭和24年(1949年)12月に発行された厚生省衛生局編『受胎調節便覧』の序文には,「優生保護法は確かに初め刑法堕胎罪に対する例外を認めるため,大幅に人工妊娠中絶の適用範囲を拡大する意図の下に制定され,そうした見地から運営されてきた…中略…単に人工妊娠中絶の適用範囲を拡大することによってのみでは,この問題は解決され得ない」として,「衛生統計に現われてきた死産の数の激増や,一般死亡率の低下に逆行する妊差婦死亡率の上昇現象」を指摘している[39]。栄養状態も悪く,物資も不足するなか,技術的に洗練されていない人工妊娠中絶が,そうした死産や妊産婦死亡率を引き上げたのは間違いあるまい。日本の産婦人科医たちは,安全な中絶手術の模索に乗り出さざるをえなくなった。


(3) おごれる日本と新技術導入の遅れ

 人工妊娠中絶数は,1950年代半ばに毎年100万件を超えるピーク期を迎え,しばらく高水準が続いた[40]。1960年代には「中絶天国日本」の暗部が数多く報じられるようになった[41]。ほとんどの国が中絶を許可していない時代のことで,海外からの批判も集中し,1964年の東京オリンピックの際には,小林厚生大臣が「堕胎天国の汚名をなくしたい」と発言した[42]。こうした状況から出てきた日本における人工妊娠中絶の研究で,当初,子宮穿孔の問題に集中したのも当然だろう。事故を減らし,安全な手術をすることが,当時の産科医たちの切実な願いだったに違いない。そうした状況では,手術の快適さなどは二の次三の次になる。

 元東京産婦人科医会会長の大村清によれば,人工妊娠中絶は日常診療とくに診療所ではもっとも頻度の高い手術である[43]。どんな手術でも同じだが,患者のwelfareを保障するために「安全」は最低要件である。安全が確保されたうえで,信頼性の高い(より確実な)技法を求めうるものだし,安全性と信頼性の二つが適えられて初めて,受け手または施術者にとってより快適な技法を考える余裕も生まれる。少なくとも日本の1960年代頃には,まだそうした余裕はなかったようだ。オルタナティブの技法を求めたくとも,まだ吸引法は確立されていなかった。日本人の医師たちは,もちまえの慎重さと器用さでD&Cのテクニックを身に付けることに専心するしかなかったのかもしれない。

 だが,初期中絶における吸引法優位が各国で確認されていった1970~80年代になっても,日本でD&Cによる初期中絶が続いていたことは納得しがたい。ましてや,もはや日本の中絶手術が世界に遅れを取り始めていた1980年前後に,「(人工中絶)手術に限っては,日本の優生保護法指定医師が,経験的にも技術的にも世界に冠たるものである」[44]とか,「わが国では,医師の技術が欧米の医師よりすぐれているため……」といった日本の産科医の述懐が見られることも理解できない。

 そうした自画自賛は,1979年に一斉を風靡したエズラ・F・ヴォーゲル著『ジャパンアズナンバーワン――アメリカへの教訓』にも影響されていたのかもしれない。日本人のやり方は正しいのだという確信(錯覚)が生まれたのだ。たしかに,世界に先駆けて中絶を合法化し,中絶に対して冷ややかな世界の目を背中に感じながら孤軍奮闘し,試行錯誤を繰り返し,切磋琢磨してきた日本人産科医たちの功績は評価したい。だが皮肉なことに,世界に先駆けて中絶を合法化したこの国の産科医たちは,世界が中絶技法に関心を持ちはじめる以前に,持ち前の慎重さと器用さでもって“標準的な技法”を確立してしまった。そのことが日本の中絶技法の改善を妨げたようにも見える。

 しかし,今や外科的技法の“改善”とは一線を画したミフェプリストンによって,中絶のありようが根本的に覆されようとしている。いつまでもD&C全盛が続くとはとうてい思えない。


(4) 戦前に輸入されたD&C

 つい最近まで,産婦人科の教科書ではD&Cが主流であった[45]。さすがに最近では「吸引法」の説明が載るケースも増えているようだ[46]が,吸引法を胞状奇胎の時に限った特殊な手術と位置付けているものも見かける[47]。また,D&Cを暗黙の前提としているためか,技法の解説がすっぽり抜け落ちているものも散見される[48]。一般向けの医学書でも,最初からD&Cしか念頭にないような記述が目につく[49]。1973年に刊行された産科手術学の文献[50]には,「従来の早期中絶に関しては頸管拡大および掻爬といういわゆるD&C(Dilatation and curettage)が最も普遍的なものであったが,昨今ではスーパーサクション[51]を用いた吸引法が多用されている」との記述が見られる。しかし,1980年代の産婦人科専門誌を見る限りでは,吸引法が普及・定着したようにはとても思えない。

 たとえば,植松有門は1981年に「わが国における妊娠初期の人工妊娠中絶術は,母胎の保護の目的で行われるのが本来の意義であり,その術式は,ほとんどDilatation and curettage (D&C)である」と述べている[52]。同じ号で前原大作が「手術の時期:原則として妊娠8週まで待って行っている」と述べるのは,D&Cが前提されている証拠であろう(吸引法は妊娠8週以前でも行える)[53]。さらに浜田徹らも,「手術術式については吸引法(suction curettage)が良いか,胎盤鉗子法(sharp curettage)が良いか議論の余地もあるが,子宮内容除去物の検索がより容易なことおよび分轄掻爬(fractional curettage)が可能なことより,今日も以前胎盤鉗子法を利用している」と述べて,D&C使用を擁護している[54]。石浜淳美も1981 年に「初期の中絶手術は子宮口を拡大して掻爬する」と何のためらいもなく言い切っている[55]。2004年刊の『NEW産婦人科学』46)においても初期中絶はD&C,中期中絶はプロスタグランジンとされており,吸引については急速遂娩法で鉗子の代替として言及されているのみである。こうした記述は枚挙のいとまがなく,妊娠初期の中絶手術にはD&Cを施すことが,今でも日本の産婦人科における暗黙の大前提になっていることはほぼ間違いない。


III. 中絶技法の改善と女性の福祉ウェルフェア

(1)アメリカにおける吸引法導入の推進要因

 中絶技法の改善が遅々として進まない日本に引き替え,アメリカにおける吸引機の普及は比較的速やかであった。

 現在,アメリカの産婦人科で最も一般的な第1三半期の中絶技法は吸引法だという[56]。1999年のコネチカット州における合法的人工妊娠中絶の98.8%(12,800件)が吸引法で行われ,吸引装置を使わない掻爬法は1.0%(134件)にすぎなかった[57]。

 アメリカで中絶が合法化された1973年以降の約30年間に徐々にD&Cから吸引法へと移行してきたのだろうかと思いたくなる[58]。ところが,Howell EMの調べでは,ロウ判決以前の1971年の時点において,ノースカロライナ州で行われた4378件の治療的中絶[59]で最も頻繁に使われていた技法は吸引法だったという。どうやら合法化以前から,吸引法への移行がすでに始まっていたと思われる。それでは,いったい何がアメリカの産科医たちを突き動かしたのだろうか。

 第一に考えられるのは,手術の受け手である女性たちの力である。西欧諸国のほとんどが,女性たちの権利獲得闘争の延長戦上で中絶を合法化しているため,中絶問題についても女性たちの発言力は大きい。その分,医師の力は相対的に弱くなるが,女性の味方や同志になる場合も少なくなかった[60]。

 第二に,ベトナム反戦による平和運動が盛んな当時のアメリカにおいては,ヤミ堕胎の悲惨さやsharp curettageとも呼ばれたD&Cの危険性・残虐さのイメージが,女性のみならず多くの国民に共有されやすかったのではないか。そうした雰囲気が,非合法というスティグマを超えて,女性のwelfareを優先する態度を養ったのかもしれない。一方で,暴力を忌避し,平和を愛するメンタリティは,胎児の生命尊重を唱えるプロライフ運動や中絶に対する医療者の良心的拒否権[61]の主張にもつながったが,中絶の倫理をめぐって国民的な大論争が生じたことは,かえって当事者である女性たちの立場を一般に知らせることにもなった。

 このように,中絶技法の改善を求める女性自身の要望と,残酷なものを忌避しようとする社会全体のメンタリティは,合法・非合法を問わず,現に女性たちに対して行われている危険な(とみなされていた)D&Cを変えていこうとする意志を生み,翻ってそれは合法化そのものに向かう動因にもなったと思われる。そうした状況は,餓死の恐怖と背中合わせでがむしゃらに合法的中絶を求めた敗戦直後の女性たちと国家的な人口政策との一致で進められた優生保護法制定とは,まったく性質の異なるものであった。このようにアメリカの状況と比較してみると,そもそもの発端からして,女性のwelfareに重きを置くという発想が,残念ながら日本の場合は欠落していたように思える。


(2) 第二次中絶革命”と女性のwelfare

 女性を中心においた中絶技法改善の指向性と,残虐なものを避けようとする社会の指向性との二つは,ミフェプリストン導入をめぐる議論にも賛否両論の形で影響を及ぼした。ここでひとつ指摘しておきたいのは,この薬の安全性と簡便性が女性たちに新たな要求の可能性を提供したことである。その一つの事例が,冒頭に挙げた「自宅中絶」であろう。

 イギリスで主張されている「自宅中絶」は,自宅出産の亜流と考えれば理解しやすい。「お産を女性自身の手に取り戻そう」とする自宅出産運動は,もともと自然現象でしかない妊娠・出産の脱医療化を図るものであった。女性たちは,医療の管理の手を逃れて,それぞれが望む体位で,からだが求めるタイミングで,好きなように産むことを要求した。あるいは,病院ではなく自宅で死を迎えたいという末期患者のターミナル・ケアや,乳房の温存療法などとも共通するものがある。その底辺には,ただ生きるのではなく,いかに生きるかを自分で決めるという発想がある。そこで重要になるのは,当人の安心や幸福感,家族との絆など――welfare――を重視した医療のあり方である。自宅中絶の要求の根本にも,同様の意識があると考えられる。

 しかし,だからといって,ミフェプリストンを薬局で買える薬にすれば問題が解決するわけではない。すでに死亡例も出ており,ミフェプリストンの事故で18 歳の娘を失った父は「プロライフやプロチョイスの問題ではない。これは安全と女性の健康の問題だ」と語る[62]。妊娠週数や異常の確認はもちろん,個人の体質や感受性の違いに合わせたきめ細やかな処方のためには,医療の介入が不可欠であろう。かといって,安全第一で女性たちを厳重な医療の監視下に置き,自由を奪うのが正解だとも思えない。医師のパターナリズムに陥るのでもなく,患者の独断に走るのでもなく,おそらく両極端のあいだに答えはある。しかも,その按配は一人一人異なるため,個々の事情に照らして柔軟に折り合いをつけていくしかない。となると,そこで医療従事者が指針にすべきなのは,当事者である女性たちのwelfareをなるべく高める手法を選ぶことではないだろうか。

 つい最近,日本でも,無認可のミフェプリストンを海外からインターネットを通じて入手し,服用した結果,病院に担ぎ込まれる例が増えているとの報道があった[63]。情報化が進み,国境を越えた市場が形成されている現在,そうした自由な情報や物品の流通を国の規制で妨げることは困難である。一組の小さな錠剤とあってはなおのこと,個人輸入を防ぐのはまず無理であろう。単なる輸入禁止はかえって個人輸入を闇に潜らせ,リスクを高める可能性がある。

 ミフェプリストンは,情報革命・流通革命ともあいまって,新たなリプロダクティブ・ヘルスの可能性を提示していると同時に,医師が介在できないところで服用されるリスクを呈している。これまで日本の女性たちは,生殖に関して,とりわけ中絶に関して自己決定してきたとはとても言いがたいが,上記のような状況や女性たちの意識の変化により,これからの時代はおそらく事情が変わってくるに違いない。

 ミフェプリストンは単に中絶の技法を変えるのみならず,中絶と女性との関係,中絶と医療の関係,そしておそらく人々の妊娠観や中絶観,胎児観,人間観にまで影響を及ぼさずにはいられない。この画期的な抗ホルモン剤[64]の登場によって,日本にも“第二次中絶革命”の足音がすでに聞こえてきている。一方,生殖医療やクローン技術の発達がもたらした新たな中絶問題の解決も急務である[65]。何十年もD&Cを続けてきた日本だが,今や本腰を入れた議論を避けては通れないところに来ている。


[1] home abortion:abortionは人工妊娠中絶または流産の意。区別のために,前者をinduced abortion/artificial abortion,後者をnatural abortion/spontaneous abortionまたはmiscarriageと言う。

[2] “Campaign for home abortions”, The Observer, September 26, 2004,  http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,6903,1312922,00.html

[3] mifepristoneは,人工堕胎薬または人工流産薬と呼ばれることもある。

[4] pharmacological (abortion) methods/chemical abortionとも呼ばれている。掻爬や吸引,切開などの外科的処置ではなく薬理学的効果によって遂行される中絶のことで,狭義としてミフェプリストンを使った中絶を指す。薬理学的中絶の訳語も見られるが,本稿では“薬剤による中絶”とする。

[5] 厳密には妊娠週数によって呼び方が変わるが,本稿では総称として「胎児」を使う。

[6] VRAZO, Fawn, “In Europe, ‘Abortion Pill’ has not Met Expectations,” Philadelphia Inquirer, August 25, 1996, http://www.ru486.org/ru8.htm.

[7] いわゆる「吸引法」のことで,主に電動の吸引装置(electric vacuum aspirator)を使う。(略語VA)suction curettage/vacuum curettage/vacuum aspiration。妊娠第1三半期に子宮内容物を細い管を通じて除去する手法のことである。吸引による中絶は,以前は第1三半期までに限定されていたが,おそらく装置自体の性能向上の恩恵もあって,最近は第2三半期(妊娠12週を超えた中期)の中絶における安全性が確認されており,WHOのガイドラインでも陣痛誘発法よりも安全だとして推奨されている。第1三半期では吸引後に掻爬が不要なことも多いが,第2三半期に入ると掻爬の必要性が高まるため,D&Eと呼んで区別することがある。

[8] TRUSSELL & ELLERTSON, “Estimating the efficacy of medical abortion,” Contraception 60(3), 1999 Sep, pp.119-135.

[9] ここではwelfare=「福祉ウェルフェア」と訳しておくが,英語では健康や幸福も含めた幅広い概念である。

[10] “BPAS Sinks to New Low Where Women’s Welfare Is Concerned,” Student LifeNet , October 6, 2004, http://www.studentlifenet.co.uk/News.php?itemid=88.

[11] 筆者はすでに第45回日本母性衛生学会(2004年9月16-17日 於京王プラザホテル)において,両派の論争に関する見解を報告している。

[12] WHO, Safe Abortion: Technical and Policy Guidance for Health Systems, 2003, http://www.who.int/reproductive-health/publications/safe_abortion/Safe_Abortion.pdf

このガイダンスは1979年に国連で採択,1985年に日本が批准した女性差別撤廃条約の16条「子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する同一の権利並びにこれらの行使を可能にする情報,教育及び手段を享受する同一の権利」に基づく生殖に関する女性の自己決定権を保障するものだと考えられる。国際女性の地位協会『女性の権利 ハンドブック女性差別撤廃条約岩波書店,1999, pp.136-145.

[13] WHO, 2003, p.7.

[14] 手動真空吸引法 (manual vacuum aspiration/menstrual abortion/mini-abortion) は電動の吸引装置ではなくシリンジなどの簡単な器械で手動で行われる吸引法で,低コストで簡便であるため発展途上国での普及が期待されている。妊娠のごく初期(9週くらい)までの安全性と有効性は確認済で,現在は週数の進んだ中絶への応用が研究されている。こうした技法は以前から細々と研究されており,日本の初期の例では,小山田勝保「所謂吸引子宮内容除去法(第1報)」『産科と婦人科』診断と治療社 22, 1955, p.610がある。アメリカでミフェプリストンの認可を巡る長い論争のあいだに,女性の権利擁護をめざすiPASというグループはこの技術を再発見して普及を図った。http://www.ipas.org/english/参照。

[15] JONES Rachel K. and HENSHAW Stanley K., “Mifepristone for Early Medical Abortion: Experiences in France, Great Britain and Sweden," Perspectives on Sexual and Reproductive Health,34(3), May/June 2002, pp.154-161.

[16] 著者の問い合わせに応じて前愛育病院院長で産科医の堀口貞夫氏が2004年10月11日付け著者宛メールで示した「活性型IUDや低用量ピルのような副作用が少なく,有効性の高い避妊法の導入に数十年もの間抵抗を続けた『得体の知れない怪物(あるいは“天の声”)』の一言で認可が見送られ,費用が消し飛ぶことは日本の製薬企業には負担しきれない。一方の国は,議員の叱責を引き出すようなことにはできるだけ触れたくない」との指摘も首肯できる。

[17] D&C=Dilatation & curettageは「拡張と掻爬」の意で,子宮内容除去術(健康保険用語では子宮内容清掃術),頸管拡張子宮内膜掻爬術の訳語もある。ヘガール拡張器やラミナリアと呼ばれる海藻などで子宮口を開大しておき,サラダサーバー様胎盤鉗子を差し込んで子宮の内容物をつまみ出し,最後にキューレットという匙状の器具で子宮内壁を手探りで掻き出す技法である。第1三半期(妊娠12週未満)の人工妊娠中絶のみならず,婦人科の処置でも使われる。半身麻酔もしくは全身麻酔下で行われるが,日本の場合,後者で行うことが多い。医学用語のDilatationの代わりに一般用語のDilationが使われることもしばしばある。

[18] D&E =Dilation & Evacuation(suction/aspirationとの訳し分けのため,ここでは「拡張と吸出」としておく)。D&Cと同じ手順で子宮口を開大してから,最初に吸引機を用いて子宮の内容物をできるだけ取り除き,遺残物がある場合や定かでない場合には,最後にキューレットで掻爬を行う。多くは局所麻酔下で行われる。かつては第1三半期に限定された手法だったが,今や第2三半期に入った中絶についても吸引法の安全性と有効性が確認されており,WHOの技術ガイダンスでも,プロスタグランジンを使った陣痛誘発法より優先すべき技法と考えられている。初期・中期を問わず,この言葉で吸引法を代表させることもある。Intact D&Eは,partial-birth abortion(部分出産中絶法)やD & X=dilation & extraction(拡張と牽出)とも呼ばれ,児を排出することで母胎の生命が助かると見込まれるような危機的状況下の後期中絶で用いられる。英米の中絶反対派はこの技法を残虐だと強く非難しており,専門家のあいだでも必要性について賛否両論がある。2003年10月,アメリカでこの中絶法を禁止する法案にブッシュ大統領が署名したが,翌年6月にこの禁止を違憲とする地裁判決が下り,いまだ決着はついていない。日本では胎児縮小術という名で妊産婦の救命措置として位置付けられ,日本産科婦人科学会専門医制度卒後研修目標の産科・周産期の技能項目の一つにも挙げられている。

[19] KOTIYAR Julia O. and BATTIN Margaret P., “Abortion in Russia,” The University of Utah's Journal of Undergraduate Research Undergraduate Research Opportunities Program, University of Utah 7(1), pp 11-23.

[20] “Abortion - Technology & Ideology in East Germany,” Anistoriton, Issue R972 of 13 Oct. 1997, http://www.anistor.co.hol.gr/english/enback/h972.htm.

[21] CHERNIAK, AA., “Artificial Interruption o Pregnancy with the Vacuum Aspiration Method,” Zdravookhr Beloruss, 21, May 1963, pp.28-30.

[22] 英語の文献が必ずしも英語圏の国で書かれたわけではないが,全体的な傾向は明らかだろう。

[23] 最近でも技法間の比較は盛んに行われている。たとえば,Cook RJ, Dickens BM, Horga M., “Safe Abortion: WHO technical and policy guidance," International Journal of Gynaecology and Obstetrics, 86(1), July 2004, pp.79-84によれば,D&Cは真空吸引法に比べて安全性が劣り,女性にとってはるかに痛みが強く,重要な合併症の発生率は2-3倍,時間もかかり,出血量も多い。

[24] GRIMES, DA, et al., “The comparative safety of second-trimester abortion methods," Ciba Found Symp, 115, 1985, pp.83-101ほか。

[25] 梶完次〔藤井尚久補〕「明治前日本産婦人科史」『明治前日本医学誌』増訂復刻版 第四巻,日本古医学資料センター,1978, p.109.

[26] 高橋梵仙『堕胎間引きの研究』第一書房,1981, pp.44-46,57-60,99-104,133-134,171-172

[27] 梶, 1978, p.163.

[28] 19世紀アメリカでも同様の経緯で中絶の非合法化と医師による中絶独占が生じたことについては,小野直子 「アメリカ合衆国における出産の病院化と産科学の台頭」,『富山大学人文学部紀要』第37号, 2002, pp.37-57を参照。

[29] 佐藤謹也『実用産科学』第16版,報文社,1910年(初版1890年)。

[30] 富士川游『日本医学史』形成社,1972;『こうのとり便り』第157,号 宗閑会 元島産婦人科医院,2003/2/1, http://www-ya.magma.ne.jp/~yuhkei/tayori/h15/02/.

[31] 磐瀬雄一『新撰産科学』下巻 増訂第2版,1917.

[32] 現在のD&Cで使われる胎盤鉗子とは異なる器具である。

[33] 旧字や旧仮名遣い等は読みやすくするため新字に変更した。以下同様。

[34] 白木雅博『臨床産科治療法』第2版,近世医学社,1917,pp.229-234.

[35] きくちさかえ『イブの出産,アダムの誕生』農文協, 1998, pp.88-90.

[36] 藤目ゆき『性の政治学』不二出版, 1999,p.343.

[37] NORGREN, Tiana, Abortion before Control--The Politics of Reproduction in Postwar Japan," Princeton University Press, 2001,pp.36-52.

[38] 指名権は各都道府県医師会の会長にある。佐藤和雄『産婦人科20世紀の歩み』メジカルビュー社,1999,p.70.

[39] 太田典礼『日本産児調節百年史』人間の科学社,1976,pp.376-377.

[40] 高澤は「相当程度信頼できる数値」として実数は届出数の1.4倍と推定している。高澤淳夫「人工妊娠中絶の計量的考察」『水子供養 現代社会の不安と癒し』行路社, 1999, p.89.

[41] KOMATSU, Kayoko, “Mizuko Kuyo and New Age Concepts of Reincarnation," Japanese Journal of Religious Studies 30(3-4), 2004, pp.259-278.

[42] 優生保護法改悪=憲法改悪と闘う女の会「優生保護法関係年表」『優生保護法改悪とたたかうために』1982/9/28, http://www.arsvi.com/0g/r01001.htm.

[43] 大村清「産科薬物療法 中期人工妊娠中絶」『産婦人科の実際』第48巻12号, 1999, pp.1833-1838.

[44] 杉山四郎「人工妊娠中絶術(1)」『図説臨床産婦人科講座 第35巻 手術合併症と後遺症』メジカルビュー社,1980,p.152.

[45] 堀口貞夫氏に口頭で伺った際にも,(1)現在もD&Cで行っているところが少なくない,(2)局部麻酔ではなく全身麻酔が慣例である,(3)中絶手術で超音波検査機はほとんど使われていないことを確認した。一方,昔から診療所として中絶を手がけている医師が吸引法に切りかえている,30~40代の若手のほうがD&Cを使う,大学医局の研修ではD&Cを教えているなどの傾向も見られるという。リスクの高い全身麻酔が使われている理由については,「局部麻酔は技術的に(正確な位置に注射することが)若干難しいが,(点滴の形で行う)全身麻酔には失敗がなく,効果が現れるのも早いため」との回答を得た。さらに「外国の文献で,超音波を使いながらの手術のほうが安全だという結果が出ている」との筆者の質問に対して,「産科医の不勉強もあるかもしれないが,それ以上にコストの問題だろう。産婦の定期検診用に診察室にあるものをいちいち手術室に運ぶのは難しいので,一台(手術)専用に備え付けなければならなくなるし,手術の際にプローブを手に持つ人間がもう一人必要になる」との阻害要因を指摘された。最後に「全身麻酔を行うのは,手術を受ける女性たちへの配慮か?」と問うと,「そういった議論は聞かない,あくまでも技術的な問題だと思う」とのことだった。コストのために中絶を受ける女性の安全が犠牲にされているようであり,少なくとも,患者に対する侵襲や負担の度合いを減らす方向で術法の改善が重ねられてきたとは言いがたい実態のようである。(2004/9/19 くすり勉強会 於昭和薬科大)

[46] 矢島聡・中野仁雄・武谷雄二『NEW産婦人科学』改訂第2版,南江堂,2004など。

[47] 荒木勤『最新産科学 異常編 改訂20版』,文光堂など。

[48] 村洲博『これならわかる産科学』南山堂,2003は,流産の説明のところで中絶や除去術に簡単に触れる以外は,母子衛生統計の人工妊娠中絶関連部分を掲載するのみである。

[49] 逆に海原純子『女性のための医学』新星出版社,2002はD&Cと吸引法を等価に扱う希少な例である。

[50] 小林隆監修代表の『現代産科婦人科学大系(全20巻)第19巻《産科手術学》』中山書店

[51] 長内国臣ほか「人工妊娠中絶におけるスーパーサクションの使用経験」『産婦人科の実際』第18巻11号, 1969, pp.996-999によれば,1955年に佐々木が着想し,1965年に杉山らが完成した日本製吸引機である。

[52] 植松有門・杉山陽一「妊娠初期の人工妊娠中絶術」『産婦人科治療』第42巻4号, 1981:4, pp.399-404

[53] 前原大作「私はこうしている 初期人工妊娠中絶」『産婦人科治療』第42巻4号, 1981:4, pp.459-461

[54] 浜田徹ほか「私はこうしている 初期人工妊娠中絶」『産婦人科治療』第42巻4号, 1981:4, pp.462-465

[55] 大村,1999, pp.1833-1838.

[56] STUBBLEFIELD PG et al., 2004

[57] SPIGEL, Saul, “Partial Birth Abortions,” OLR Research Report, April 24, 2001,

http://www.cga.state.ct.us/2001/rpt/olr/htm/2001-r-0433.htm

[58] 1996年の映画「スリーウイメン~この壁が話せたら」では,1952年の危険で不潔なヤミ堕胎の掻爬術と,1996年の近代的な施設で女性医師が局部麻酔をかけた患者と話しながら施す吸引法という対照的な中絶シーンが描かれる。後者のシーンがごく自然のものとして扱われているのは,吸引法が当時のアメリカですでに常識化していたことがうかがえる。

[59] 1973年の中絶合法化に先駆けて,同州では治療目的の中絶を合法化し,届出を義務づけていた。

[60] 宗教的対立を背景としたプロライフ対プロチョイスの激しい戦いのため中絶クリニックの医師は命を狙われかねない国々では,医師の使命感も明確で,「自分は女性の味方」だという自覚を持ちやすい。国レベルでの人口問題対策として優生保護法を導入した日本には,そのような契機はほぼ皆無で,これまで女性たち自身の権利意識も弱ければ,医師たちとの共闘関係もありえなかった。

[61] 中絶に反対する医師や看護師,薬剤師などが,中絶への関与を拒否する権利。医療提供の義務とのかねあいでどこまで認めるべきかの論争がある。たとえばDickens BM, “Reproductive Health Services and the Law and Ethics of Conscientious Objection,” Medicine and the Law, 20(2) 2001, pp.283-293.

[62] RYAN, Joan “One Dad’s Questions about Pill: RU-486 Proven Safe, Yet a Daughter Died,” San Francisco Chronicle, September 26, 2004, http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file= /chronicle/archive/2004/09/26/BAGVR8VCR91.DTL.

[63] 共同通信「のむ中絶薬,ネットで横行 厚労省が実態把握へ」2004/9/25,http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040925/20040925a4290.html.

[64] 開発者らはRU-486を“非妊娠薬(unpregnancy pill)”と位置付けている。BAULIEU, Etienne-Emile et al., The “Abortion Pill”:RU-486 A Woman’s Choice, Simon & Schuster, 1991

[65] たとえば,福島雅典のヒト幹細胞を用いた臨床研究の在り方に関する専門委員会に対する意見書は,今後の議論が必要ないくつもの重要な論点を提示している。http://www.mi-net.org/rights/others/fukushima.html.