リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

 ところで,最近,Judith Jarvis Thomsonの1971年の論文「中絶の擁護」を読みなおししているんですが,まさにコーネルの「イマジナリーな領域への権利」に通じるようなことを,30年も前にThomsonは言っているんですね。この論文は,bioethicsの中絶論としてはもはや古典の部類であり,世界的に有名なんですが,さすが評価の高い論文だけあって,細かく読みなおしていくと,本当に教えられることがいっぱいある。生命倫理学者はバイオリニストの事例のところばかり「つまみぐい」しているけど,この論文の真髄は「善きサマリア人議論」にあるということを海外の複数の学者が言っています。端的に言えば,「善きサマリア人になることを法的に強制するのはおかしい」ということです。これは大事な点なので,いずれゆっくり説明しますが。

 なのに,この論文に関する日本の生命倫理学者の理解は惨憺たるもの。「トムソンは女性の自己決定権に基づき中絶権を擁護した」なんてことを,浅いフェミニズム理解で平気で書いてらっしゃる方が多いですが,それって,この論文を巡る反論や再反論を知らないのはもちろん,原著に当たっていないのも明らかです。この論文の邦訳は抜粋版なんですが,せいぜいそれしか読んでないんでしょうね。ところがこの抜粋訳ときたら,論旨の流れがぶつ切りだし,結論部分もばっさり削除されている。あまりに問題があるので,いつかきっと全訳をどこかで公表するつもりなんですが……それを言ったら,日本語のまともな中絶論集がないので,いつかそれも作りたいけど。(をいをい,先に博論を終わらせること!!)

なおThomsonの上記論文の議論に対する反論を細かく検証した良書として,以下があります。トムソンの善きサマリア人論への反論を16項目に分類して全部反証してしまう。もうっ,目から鱗ですよ〜! バイオエシックスの議論に興味がある方なら,Booninの議論の進め方だけでもきっと面白いと思います。

A Defense of Abortion (Cambridge Studies in Philosophy and Public Policy)

A Defense of Abortion (Cambridge Studies in Philosophy and Public Policy)