リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

この週末,JICAのプログラムで来日している中国の方をホームステイで受入れている。ちょうど,金沢の百万石祭とぶつかっているというので,一緒に見物に出かけた。結局,人込みでほとんど何を見たのやら……という感じだったのだけど,おかげで金沢に来て4年目にして初めて「珠姫様」の謎が解けた。

もともと歴史オンチな上に,全くもって興味もなかったわたしでも,珠姫といえば常に“愛らしい幼女”の姿で表象されていることは,この4年間にどこからともなく知っていた。今回,祭りを見に行くというので覗いた市の観光協会の案内によれば,こういうことらしい。

 徳川秀忠の二女にして、3代藩主・前田利常の妻。徳川家康は利家の正室・芳春院(まつ)を江戸で人質にする代わりに、珠姫と利常との縁組を決めた。これは徳川家と前田家が姻戚を結び、前田家を親徳川派にしようとする家康の策だった。かくして慶長6年(1601年)、珠姫は3歳で利常(当時8歳)と結婚する。

―中略―

珠姫はその名の通り加賀藩の掌中の“珠”だった。前田家と徳川家の縁をとりもち、加賀百万石の安泰を支えた珠姫の功績はきわめて大きい。16歳のときに最初の子供亀鶴姫を出産し、以後はほぼ毎年のように光高(四代藩主)、利次(富山藩初代藩主)、利治(大聖寺藩初代藩主)らを産んで3男5女をもうけた。しかし体調を崩し、元和8(1622)年24歳にして没した。
http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/kagahan/rekishi/tamahime.html

観光パンフレットなどにも「良妻賢母として市民に敬愛されている」といった言葉があちこちに出てくる。だがその人柄に関する説明を見ることはめったになく,代わりにほぼ常に書いてあるのは,「3歳でお輿入りし,7人の子を産んで“加賀百万石の安泰”に尽くし,24歳で没した」ということだ。それを知って,いったいどういう間隔で産んだのかが気になってしかたがなくなった。そこで,ちょっとGoogleで調べてみたら,次で子どもたちの出産の期日が見つかった→ 金沢ケーブルテレビネットのサイト http://www.spacelan.ne.jp/~tentokuin/sub1.htm

このサイトの情報によると,珠姫自身は慶長4(1599)年3月の生まれだという。長子誕生は慶長18(1613)年3月で(誕生日しだいで満13歳または14歳のはずであり,数え年で15歳……他で見かける16歳の根拠は何だろう?),以後,元和元(1615)年11月,3年4月,4年×月,5年12月,7年1月,8年3月と出産し,同年7月に死亡している。

これをもとに珠姫の7人の子ども(養子は除く)の出産間隔を計算すると,次のとおりになる(元和4年の子どもの産まれ月が分からないので,いちおう前後の出産のちょうど中間である8月と想定して計算してみた)。

20ヵ月,17ヵ月,16ヵ月,16ヵ月,13ヵ月,13ヵ月

養女を含めて「10年間に3男5女を立派に育てられた」とあるけれど,何をもって「育てた」と言っているのだろうか。一番間隔があいている2番目の子の時でさえ,前の子が1歳にもならないうちに妊娠しているわけで,最後の2回は産後3〜4ヵ月――子宮内が元に戻るか戻らないかのうちに,再び妊娠している。高貴なお方でもあることだし,おそらく母乳で育てていなかったのだろう。母乳で育てていれば,ホルモン分泌が変わるために妊娠しにくくなり(母乳育児はナチュラルな避妊法だ)出産間隔は長くなる。

大雑把だけど,それぞれ次の子が生まれた時の上の子(たち)の年齢は次のようになる。


長子出産
20ヵ月後:1歳8ヵ月
17ヵ月後:1歳5ヵ月,3歳1ヵ月
16ヵ月後:1歳4ヵ月,2歳9ヵ月,4歳5ヵ月
16ヵ月後:1歳4ヵ月,2歳8ヵ月,4歳1ヵ月,5歳9ヵ月
13ヵ月後:1歳1ヵ月,2歳5ヵ月,3歳9ヵ月,5歳2ヵ月,6歳10ヵ月
13ヵ月後:1歳1ヵ月,2歳2ヵ月,3歳6ヵ月,4歳10ヵ月,6歳3ヵ月,7歳11ヵ月


妊娠が判明した時点はその数ヵ月前だから,直前に産んだ子がまだ歩きもしないうちに次の子を妊娠していることになる……しかも一度限りではなく,何度も,何度も……。何百人ものお付きの者を従えてきた彼女なればこそ,こうやってひたすら「産むことだけ」に専念できたのに違いない。それは裏を返せば,彼女には「孕み,産む」ことしか期待されていなかった証拠である。実際,こんな状態では,それしかできなかったに違いない。

3歳でのお輿入りというのも,満でいえば2歳だろう。(現在,インドで2,3歳の女児を「嫁入り」させることの“非人道性”が問題となっていることを思い出さずにはいられない。)前田家と徳川家の政略のために年端もいかないうちに実の親から切り離され,今で言えば小学校を終えるか中学に入るかといった頃に「結婚」させられ(初経の前後に性交を開始させられた,ということだろう),最初の妊娠以来「子宮の空く暇もない」状態で9年弱を過ごし,7人目の出産後4ヵ月で病死しているのだ。ほとんど「出産マシン」として扱われた生涯に,人権侵害もはなはだしい!と憤りが湧いてくる。

これを「良妻賢母」ともてはやすこと自体,ひどい欺瞞のように思えてならない。現代的な感覚からいえば,珠姫は身体まるごと政治のため,権力のために利用された哀れな悲劇のヒロインとして扱われるべきではないか。本当に立派な女性だったと言うのなら,なおのこと,その生涯をこのような形で踏みにじった過去の非こそ問われるべきだ。

……少なくともわが娘にはそう教えたい。