リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

ずいぶん前のゼミ発表のレジュメが出てきたので,アップしておきます。けっこう長いのでご注意を。誤字脱字とかもありそうだけど(見つけたらいずれ修正します),ロウ判決の和訳は未だに出ていない(と思う)ので,中絶問題について考えていこうとする方のために,少しはお役に立てたら嬉しいです。

補足:今,ざっと見ていたら,ロウ判決以外のところからも情報を入れてますね。(Encyclopedia of Bioethicsとか,Petcheskyの本とか。)分かりにくかったら質問してくださいね(すぐに答えられる自信はないけれども……)。

念のための補足:ロウ判決というのは,1973年のアメリカで初期3ヶ月(第1トライメスター)の中絶については,女性の「プライヴァシー権」を根拠にオンデマンド(女性の任意)で中絶を行えるとした有名でコントロヴァーシャルな判決です。

ロウ判決の概略〜ブラックマン判事の意見を中心に

I 合憲性が争われているテキサス法について

・対象はテキサス州刑法 1191-1194条および1196条
・同条項は1854年に制定され、ほどなく改訂が施されて現在(1973年)に至っている。
・その内容は「母親の生命を救うという目的以外の堕胎を獲得/周旋すること、およびその未遂」を犯罪と規定したもので、当時、アメリカの大半の州には同様の州法が存在していた。
・1191条の概要「妊婦の同意を得て、意図的に妊婦に薬物または医薬品を投与するか投与されるよう周旋することにより、あるいは彼女に外的または内的な暴力または措置を施すことにより、堕胎を周旋したものは、2年以上5年未満の懲役に処す。不同意堕胎の罰は二倍とする。ここで「堕胎」とは、胚または胎児の生命を女性の子宮の中で破壊すること、もしくはその行為によって早産を引き起こすことをいう。
・1192条 共犯について、1193条 未遂について、1194条 堕胎致死罪
・1196条の概要 母親の生命を救う目的で周旋あるいは試みられた堕胎には適用されない。


II 事件の経緯

・1970年 ジェーン・ロウJane Roe(偽名)による告訴。原告:未婚で〔レイプにより……と主張していたが,裁判終了後に嘘だったことを告白〕妊娠、合法的で安全な中絶を求めるが州内では不能。自分や自分同様の女性にとって、憲法の第1、第4、第5、第9、第14修正条項による「個人的なプライバシーの権利」が侵害されているとして、クラス・アクションを起こす。
・ジェームズ・ハバート・ホールフォードJames Hubert Hallford医師の訴え:自分は原告同様の女性に堕胎を施した罪で逮捕されたことがあるが、起訴は行なわれないまま(pending)である。刑法1196条は不明確であり、自分や患者の医師・患者関係のプライバシー権と彼自身の診療権を侵害している。
・ジョン&メアリー・ドウ夫妻John and Mary Doeの訴え:ドウ夫人は「神経・化学系neural-chemical」の障害により妊娠は当面控える必要があり、避妊ピルも使用してはならないと医師から指導されているため、万が一妊娠した場合にはれっきとした医療施設で安全な中絶を受けることを希望しているが現行法下ではそれが不能であるため、自分たち同様の人々のためにクラス・アクションに起こす。ロウ裁判と合同して(consolidated)審議された。


III 裁判の進行に関する説明(割愛)


IV 当事者適格(訴えの利益)

・ロウの訴えについては採用
・ホールフォード医師の訴えは「何ら連邦政府によって保護されている権利が実質的および緊急に侵害されているものではない he makes no allegation of any substantial and immediate threat to any federally protected right」として却下。
・ドウについては本訴訟の原告としては却下。


V 小括

 訴えの根本:テキサス州法は、妊娠している女性が有するはずの自らの妊娠終結を選択する権利を侵害している。
 上訴で確認すべきは、この権利が(1)第14修正条項の「デュー・プロセス」箇条にある個人の「自由」の概念に含まれていること、(2)Griswold v. Connecticut裁判で確認されたBill of Rights(米憲法修正条項)または関連条項によって保護されるべき個人の婚姻上の、家族的な、性的なプライバシーに該当すること、(3)憲法第9修正条項によって保護されている国民の権利に含まれること。


VI 中絶の歴史と刑法の堕胎条項の裏にある州の目的と利益

1.古代
・ペルシア帝国では中絶は犯罪で厳しく罰せられた。
ギリシアやローマでは、胎児の保護につながるような法はなく、「良心のとがめなく行なわれた」。
・エフェソスの医師ソラノス(紀元1世紀末〜2世紀初)は、母親の生命を救うことこそ優先されるべきだと主張した。
>彼は女性が中絶を求める理由を3つ挙げ(1.不貞の結果を始末するため、2.美を維持するため、3.健康を守るため)、第三の理由による中絶は引き受けた。〔Encyclopedia of Bioethics p.1560〕
・中絶が禁止される場合には、子孫に対する父親の権利の侵害を根拠としていた。

2.ソクラテスの誓い
>「医学の父」とされるソクラテス(460(?)-377(?)B.C.)の誓いは、さまざまな翻訳があり、内容についての理解は確定していないが、中絶に関わる部分としては、「致死薬は、誰に頼まれてもけっして投与しません。またそのような助言も行ないません。同様に、婦人に堕胎用器具を与えません。」〔『資料集:生命倫理と法』2003〕の一文が知られている。この誓いは実際にはもっと後の時代になって書かれたものだという説もある。
・Dr. Edelsteinによれば、この誓いはヒポクラテスの時代においても異論の多いものであり、唯一ピタゴラス派の哲学者たちのみが自殺に関連した行為として批判していたという。プラトンアリストテレスなどギリシア時代の思想家の大半は、〔人口調整や優生学的な理由の〕中絶を奨励していた。ただし、ピタゴラス派にとってはこれはドグマであり、胎児は受胎の瞬間に魂が吹き込まれ(animated)、中絶は生きる存在の破壊だと信じていた。すなわちピタゴラスの誓いの中絶に関する条項は、「ピタゴラス派の教義を反映」したものであり、ギリシアで普遍的な信念でもなければ、「絶対的な医療行為の標準でもない」〔ロウ判決〕のである。

3.コモンロー
・コモンローにおいては、初めての「胎動」(16週から18週)以前の中絶は、犯罪ではないとみなされた。かつては人間らしい形が形成され、「魂」が吹き込まれて初めて「ヒト」になるのであって、受胎から出産までのどこかの時点でそれが起こるとされ、それ以降の中絶は原則として禁じられた。キリスト教神学とカノン法は、その時点を男児については受胎後40日目、女児については受胎後80日目と定め、基本的にこの見解が19世紀まで続いた。ただし、はっきりしない入魂の時期や、受胎後40-80日といった非経験主義的な見解よりも、トマス=アクイナスの見解に見られるように「胎動」の有無による区別が一般的になった。「胎動」の重要性は、その後の裁判例などでもくり返し確認されてきた。

4.イギリス法
・1803エレンボロー卿の法、1861人体危害防止法、1929 嬰児生命(保護)法、1967英中絶法
>エレンボロー卿の法の第一条では、胎動後の女性に対して意図的に・悪意をもって・不法に流産を引き起こした者および調達した者に対して、他の極悪の重罪(殺人や強盗、放火など)と共に死刑を言い渡している。第二条では、胎動前若しくは胎動が始まっていると証明できなかった女性に対して意図的に・悪意をもって・不法に流産を引き起こした者および調達した者に対して、罰金、禁固、さらし台、鞭打ち、国外追放、14年以下の懲役を言い渡している。(エレンボロー卿は厳格な判事で,死刑にできそうな罪をことごとく死刑に定めたと言われる。)
・1939 ボーン事件(兵士による集団レイプのため妊娠した14歳の被害者を救うためボーン医師が法を犯して堕胎し,裁判で自らの正当性を抗弁した。英国中絶法の制定に影響したと言われている)

5.アメリカ法
・19世紀半ばまで2つの州を除いて堕胎禁止法はなかった
・1821年にコネチカット州がエレンボロー卿の法を真似て国内初の堕胎禁止を行なった。ただし極刑は盛り込まれず、1860年になって初めて胎動前の堕胎を有罪とした。
ニューヨーク州1828年の法律に、初期の堕胎法のモデルとなる2点を盛り込んだ。1.胎動後のみならず胎動前の胎児の破壊も禁止したが、胎動前については軽罪扱いとし、胎動後については第二級の殺人とみなした。2.母親の生命保護のために必要である場合、あるいはその目的のために必要だと二名の医師の同意が取れた場合には、治療的中絶として許容する。・テキサス州がコモンローを採用した1840年までに、アメリカ国内で堕胎を取り上げた州法をもつのはわずか8州にすぎなかった。
南北戦争(1860-65)後になって、各州はコモンローから脱して法を制定するようになっていった。ほとんどが胎動後の堕胎は厳しく、胎動前については寛容な対応であった。堕胎未遂も既遂同様に扱われた〔胎児の生死は問題ではなく、堕胎の行為そのものが取り締りの対象であった〕。ほとんどの州で、母親の命を助けるために必要だと、一人か二人の医師がみなした中絶については例外とみなしたが、やがてそうした条文は消え、母親の生命救助という条件が厳密に問われるようになっていった。
・19世紀半ばから後半にかけて、胎動による区別はほとんどの州法から消え、罰則や罰金は重くなっていった。1950年の終わりまでには、大多数の州で事情や状況を問わず堕胎が禁止され、唯一、母親の生命を救う場合のみが例外とされるようになった。アラバマコロンビア自治区のみが例外で、母親の健康保持のための中絶も認められていた。3つの州で「不法」ではなく、「正当な理由なく」行なわれたのではない中絶が許容され、その基準の解釈は法廷に持ち越された。だがここ数年間においては、中絶自由化を望む世論に従って、全州のおよそ3分の1が以前よりは厳しくない法に変わってきた。

 このように、コモンローの時代や合衆国憲法採用の時点、ならびに19世紀の大半において、現在のアメリカのほとんどの州法に比べて、堕胎はさほど望ましくないものとは見られていなかった。言い換えれば、大半の州における現代の女性よりも、かつての女性のほうが妊娠を終わらせることに関してかなり幅広い権利を教授していた。少なくとも、妊娠の初期段階について中絶を終わらせる権利は、アメリカでは19世紀から認められていた。後になってからも、法は初期に行なわれる中絶に関してますます寛容になっていった。

6.AMA(米国医師会)の立場
・1857年5月、AMAが「犯罪的堕胎に関する委員会」を設置
・1859年 AMAが第12回大会で、初めて中絶について「全般的抑制general suppression」を支持した。〔ロウ判決〕
「理由は3つ:母親自身も胎児が胎動前にも生きていることが理解されていない、医師も胎児生命について無頓着、法も不整合=民法では胎児の財産継承権を認めながら刑法では胎児の権利を認めていない〔ロウ判決〕

>〔医師たちは,科学的な知見に則って〕胎児は懐胎中のすべての段階において「生命体」だと見るのが「道徳的」な見方だと主張 【Petchesky 1988:80】 一つには「胎動」によって決めるのは生物医学的な根拠がないため、もう一つはそれでは医師が関与できないため【p.79】
1871年 委員会の報告書:「我々は人間生命と向き合わねばならない」決議文「医師が流産や早産を誘発することは、最低一人の信頼に足る相談相手の医師の同意を得ない限り、違法であって職業人としてふさわしくない(unprofessional)ものであり、常に可能な限り子どもの安全性に目を配り、大勢の女性たちならびに男性たちのあいだに、この重大な問題について広く普及している道徳観に対して、あらゆる宗派の聖職者たちから呼び掛けるものである。」

>「中絶をする女性は、『神の定めたもうた道に無頓着』であり、利己的で不道徳」=女性の伝統的役割への固執

・間欠的に中絶医への批判は飛び出したものの、この間100年近く、公式なAMAの行動は1967年まで見られなかった。

・1967 AMAのヒューマン・リプロダクション委員会は、中絶に反対するポリシーを採用することを求めた。例外は、母親の健康または生命への危険について「確かな医学的証拠」がある場合や、子どもが「深刻な身体的または精神的障害をもって産まれてくる可能性がある」場合、妊娠が「強姦や近親姦によるもので、患者の精神的または身体的健康に重大なリスクを伴う」場合、主治医以外に二名の能力ある医師がその患者を診察した上で文書にて同様の意見を提出しており、かつ認定病院でその手術が行なわれる場合。〔ロウ判決〕
・1970 AMAの評議員会House of delegates、中絶に関する決議文を採択。「中絶は認定病院で資格のある医師が、二名の医師との相談の上、州法に従って、行なわねばならない医療処置であり、この処置に関わる何人の個人的道徳心情が侵害されることなく行なわれなければならない。」〔ロウ判決〕
AMA法務委員会Judicial Councilは、補助意見「AMAの医療倫理の原則としては、良き医療慣行に従い、診療を行なう共同体の法を犯さない限りで行なわれる中絶について、医師に禁ずるものではない」「中絶に関しては、他の医療行為と同様に、評議員会が定めた医療倫理の原則に反した疑いがある場合には、当法務委員会は関与する」

7.American Public Health Associationの立場
・1970年10月、APHA理事会が中絶サービスの基準を採用。
a.迅速かつ簡便な中絶照会が州および地域の公共保健施設や健康部門、医療協会その他の被利益団体で得られるようにする。
b.カウンセリングの重要な機能は中絶サービスの提供を単純化および迅速化することであり、サービスの取得を遅らせるようであってはならない。
c.精神科医の相談を義務づける必要がある。他の専門的医療サービスと同様に、具体的な適応症については精神科医の相談を行なうが、全員にルーチンで行なってはならない。
d.適切な訓練を受けた人や、同情に基づくボランティア、高度な技能をもつ医師など幅広い人材が、中絶カウンセラーになりうる。
e.避妊および/または不妊処置については、各々の中絶患者と相談すべし。

中絶にまつわる生命および健康上のリスクに関する要素として重要なのは、次の3点である:
a.医師の能力、
b.中絶が行なわれる環境、
c.中絶が行なわれる時期。子宮の大きさと月経歴で確認する。
医療施設以上に、中絶が実施される時期が重要である。


VII 19世紀に刑法で中絶が禁止された3つの理由

(1)婚外性交を思いとどまらせようとしたヴィクトリア朝時代の風潮のなごり。ただし、テキサス州法については、既婚者と未婚者の区別はしていないこともあり、そうした目的があったとは思えない。
(2)医療処置としての中絶への懸念。堕胎を禁ずるたいていの刑法が制定された頃、堕胎処置は女性にとって、特に消毒薬の発達以前においては、たいへん危険なものであった。ジョセフ・リスターやパスツールによって消毒薬が発見されたのは1867年頃だが、20世紀に入ってようやく一般に普及しだした。
・当時の中絶による死亡率は高く、20世紀に入ってからも、1940年代になって抗生物質が発達するまで、標準的な中絶の方法D&C(dilation and curettage拡張と掻爬)は今日ほど安全なものではなかった。すなわち、州が堕胎禁止法を制定した主要な目的は、妊婦を守ることであり、すなわち、女性の生命を深刻な危険にさらすような手術から妊婦を守ることであった。
・近代的な医療技術によって状況は変わった。今や妊娠初期(初期3ヶ月)の中絶は比較的安全なものになった。初期中絶の死亡率は、正常出産による死亡率以下である。つまり、比較的安全なこの期間に、州が女性を危険な中絶から保護する必要性はほとんど解消されている。もちろん、健康および医学的な水準に関する領域について、他の医療同様に水準を維持する必要はある。死亡率が高い違法の「中絶工場(abortion mills)」は、ますます広まっており、その取り締りは必要である。それ以上に、女性のリスクは妊娠が進むにつれて高まる。すなわち、遅い段階の中絶について、女性自身の健康と安全を守るという州の利害は明らかに残されている。
(3)胎児生命の保護に関する州の利害――義務――。
・この法益を支える論理〜受胎の瞬間から新しい人間生命が始まる。
・だが州の法益を考える際に、「生命が受胎時に〔あるいはそれ以外のどこかの時点で〕始まるという信念を根拠にするわけにはいかない」→少なくとも潜在的な生命が関わっている限り、州は妊娠している女性の保護を超えた利害を主張することもできる。
 州の中絶法に反対する人々は、こうした法が制定された時の目的は胎児生命の保護だったという論点に鋭く異議を唱え、ほとんどの州法は、女性の保護のみを目的としていたと主張している。医学の進展は、少なくとも妊娠初期の中絶に関して、この種の女性に対する懸念を減らしたために、初期中絶に関しては、もはや州の利害によって中絶禁止法を正当化することはできないというのである。この見解は学術的にも支持されている。19世紀末や20世紀初期の法律を解釈するために持ち出される州の法廷において、女性の健康の保護よりもむしろ胚や胎児の保護に州の利害を見出しているものはまずない。テキサス州を含む多くの州において、そうした視点を支持する人々は、法的な解釈によって、妊婦自身は自己堕胎によって、または他者の手で彼女自身に対して行なわれる堕胎に協力することによって、起訴されることはないという点を指摘している。コモンローや州法に一貫してみられる「胎動」による区別は、中後期の中絶がその性質上健康上の危害がはるかに大きいという認識に立っているのだとして、受胎時に生命が始まるという説を斥けている。


VIII プライバシー権
憲法は、プライバシーの権利について明示していないが、過去の判例(1891 Union Pacific R. Co. v. Botsfordおよび1937 Palko v. Connecticut)や憲法修正条項の第1、第4、第5、権利章典の前文、憲法第9修正条項、憲法第14修正条項の第一節に保障された自由の概念の中にその根拠を見出すことができる。
プライバシー権は、その根拠を憲法第14修正条項の個人的自由の概念と州の介入に対する規制に求めようとも、下級審が認めたとおり、憲法第9修正条項の国民の権利に求めようとも、妊娠を終わらせるかどうかに関する女性の決定を十分包含できるほど広い。州が妊婦に対してこの選択を全面的に否定するころの害は明かである。初期妊娠においてさえ医学的に診断しうる具体的で直接的な危害が関わってくることもある。妊娠状態、あるいはもう一人子どもが産まれることが、当該女性に苦悩に満ちた人生と未来を強いることになることもある。心理学的な害は計り知れない。精神的および身体的な健康は、育児によって負担が増すこともある。さらに、望まれない子供にまつわる関係者全員にとっての苦悩もあり、心理学的その他の理由で、これ以上の世話ができない一家に子どもを一人もたらすという問題もある。本件と似た他のケースにおいては、未婚の母の困難をさらに一つ増し、スティグマを引き延ばすという問題も関わっている。そうしたすべての要因について、必然的に当該女性とその主治医の相談の際には検討されることになる。
・そのような要素に基づいて、上訴人と法廷助言者は、女性の権利は絶対的なものであり、女性にはいついかなる時でも、いかなる方法であろうと、彼女自身で選んだいかなる理由でも、自分の妊娠を終わらせる権利があると主張している。この点については、我々は意見を異にする。本法廷では、プライバシー権を認めると共に、その権利が保護されている領域に対して、州がいくばくかの規制をかけることも妥当であると認める。
・州は健康を守り、医療水準を維持し、潜在的な生命を保護することに重大な利益を持ちうる。妊娠のある時点において、それぞれの州の利益は、中絶の医師決定を支配する諸要因に規制をかけうるだけの強制力をもつ。ここで関わるプライバシー権は、絶対的なものだとは言えない。法廷助言者は、人は自らの身体について自分の好きに処分できる無制限の権限を有すると主張するが、法廷は過去にその種の無制限の権利を否定している。(1927 Buck V. Bell)
・結論として、個人のプライバシーの権利に中絶の決定は含まれるが、その権利は無制限のものではなく、規制についての重要な州の利益に照らして制限されうるものである。大多数の州は、条文の曖昧さのために、あるいは権利を拡大および縮小しているために、違憲の法律を擁している。他の州、ケンタッキー、ルイジアナノースカロライナオハイオ、ユタ、インディアナミシシッピサウスダコタについては、法制定をしていない。


IX 被上訴人の主張について

・被上訴人は、受胎以降の胎児の生命を認め、保護することは、差し迫った州の利害に関わると主張したが、法廷はこの公式を却下した。
・被上訴人と上訴人の法定代理人は、胎児が第14修正条項の言葉と意味の範疇としての「パーソン」に該当するかどうかを論争した。そのために長々と胎児の発達に関する既知の事実が照会された。胎児のパーソンフッドが確かなるものとして認められれば、胎児の生命の権利は修正条項によって個別に保障されることになるため、上訴人の主張は否定される。胎児に生命の権利があるところまでは、上訴人は再反論の際に譲歩した。一方、被上訴人は再反論の際に、胎児が第14修正条項の意味におけるパーソンであることを確証できるケースはないというところまで譲歩した。
憲法は「パーソン」の定義に多くの言葉を費やしてはいない。第14修正条項の第1項では、「パーソン」について3回言及している。第一は「市民」の定義であり、「合衆国に生誕したまたは帰化したパーソン」である。この言葉はデュー・プロセス条項と平等保護条項にも出てくる。「パーソン」は、連邦議員の資格、議員数の割り当て、移民関連等々、憲法の他の部分でも使われている。だがほぼすべてのケースについて、この言葉は生誕以後の人間に対して用いられており、それが生前についても適応されうるという保障は一切ない。人口統計において胎児はカウントさえされていないことは、認識されてもいない。
テキサス州が胎児も第14修正条項の権利を有するパーソンだと主張するとき、ジレンマに直面する。テキサスであろうとどの州であろうと、すべての中絶が禁止されているわけではない。幅広い禁止にもかかわらず、常に例外が存在している。母親の生命を救う目的での医療的な中絶が認められているという例外事項が典型的である。だが、仮に胎児が法の適正な過程によるのでない限り生命の剥奪が認められないパーソンであるとするなら、そして仮に母親の状態が唯一の決定要因であるとするなら、テキサスの例外は修正条項の要求する内容と一致することができないのではなかろうか? 他にも、第14修正条項の要請と典型的な中絶法のあいだには不一致が認められる。すでに指摘したとおり、テキサスにおいては女性は自分自身に対する中絶に関して、主犯でもなければ、共犯でもない。仮に胎児がパーソンであるなら、なぜ女性は主犯もしくは共犯ではないのか? さらに、犯罪的堕胎に対する罰則は、通常の殺人における極刑よりははるかに軽い。仮に胎児がパーソンであるなら、罰則が異なりうるものだろうか?
・結論として、第14修正条項に用いられている「パーソン」という言葉には、未生の者は含まれない。
・ただしこの結論は、テキサスで提起された論争に全面的に答えるものではなく、我々は他の考慮事項に委ねる。
・妊娠した女性は自らのプライバシーの中に孤立していることはできない。人間の子宮内で発達する幼き者に関する医学的な定義を受け入れるなら、彼女は胎内に胚を抱えており、やがてそれは胎児になる。〔Dorland's Illustrated Medical Dictionary〕その状況は、婚姻内の親密な関係とは本質的に異なるためである。
・州がある時点で、母親の健康もしくは潜在的な人の命のどちらかの利害が重要だと決定することは合理的で妥当である。女性のプライバシーはもはや唯一のものではなくなり、彼女が有するいかなるプライバシー権も相対的に判断されなければならない。
テキサス州は、受胎の時点以降を保護の対象にすると主張するが、《我々(法廷)は、いつ生命が始まるかという難題を解決する必要はない》。現在の人間の知識の発達段階に置いては、医学も哲学も神学も一致した答えを出すことはできずにいる。
・一方、生命は出生した時点から始まるという信念も強い支持を受けている。それはストア派の信念であり、異議がないわけではないがユダヤ教で支配的な考え方である。プロテスタントの大半も、堕胎は個人およびその家族の良心の問題だという公式見解を支持している。
・コモンローは、胎動の有無を重視していた。医師や科学者たちは胎動を重視せず、受胎時点、出生時点、あるいは「体外生育可能」になる時点を重視した。体外生育可能になる時期は、通常妊娠7ヶ月(28週)に置かれるが、24週で可能になる例も多い。
アリストテレスの「mediate animation」説(受胎と出生のあいだのいずれかの時点で入魂する)は、中世からルネサンス期のヨーロッパを席巻し、19世紀までローマ・カトリックの公式見解だったが、受胎の瞬間から生命は存在すると見る教会の一部の人々は、この「入魂」説に反対した。現在では、後者がカトリック教会の公式見解になっており、非カトリックや多くの医師もこの見解を支持している。だが、最近の胎生学のデータによれば受胎は一個の出来事というよりも、一連の「プロセス」の一部であることや、月経調節法(ME)や「モーニング・アフター」ピル、胎児移植、人工授精、さらには人工子宮などの新しい医学技術によって、この見解の様々な問題が明らかになっている。
 犯罪的堕胎の領域では、出生前に生命が始まることを認めることについても、未生の者の法的権利を認めることについても――非常に限定された状況を除き、およびその権利が出生を条件としているのでない限り――法は積極的ではなかった。出生前の損害について、法はその胎児自身への補償は認めておらず、両親の利害が侵害されたという形で扱っている。胎児の財産継承権も、その胎児が出生した時点をもって権利が発生する。
・つまり、未生の者は法的には完全な意味でのパーソンとしては認識されてこなかったのである。


X トライメスター(3ヶ月期)毎の規制の可否

・〔テキサス州法では「やむにやまれぬcompelling」時点を受胎の時点に置いていたが〕現在の医学的知識に照らせば、「やむにやまれぬ」時点は、およそ第一トライメスターの終わりである。なぜなら、その時点までの中絶による死亡率は正常出産による死亡率より低いためである。その時点以降、母親の健康の保持と保護に関連した規制である限り、州は中絶処置を規制することができる。たとえば、中絶の遂行者の資格要件の設置やライセンス等による許可、処置が行なわれる施設の要件の設置や認定など。
・その時点の前であれば、担当医は患者との相談の上で州の規制を受けることなく、患者の妊娠を終了させることについて、自由に医学的な判断を下せる。中絶を行なうという判断に達したら、州の介入を受けることなく中絶を実行することができる。
・州の介入が可能になる「やむにやまれぬ」時点はヴァイアビリティ(胎児の胎外生存可能時点)である。この時点が重要なのは、胎児が母親の子宮外においても生命を保持できると思われるためである。従って、この時点を超えた胎児生命を保護する州の規制は、論理的であると同時に生物学的にも正当である。州がヴァイアビリティ以降の胎児生命を保護するつもりがあるなら、母親の生命または健康の保持に必要な場合を除いて、その期間の中絶について禁止することができる。
・上記に照らすと、テキサス州の「母親の生命を救うという目的以外の堕胎を獲得/周旋すること」という定義は広すぎる。この定義は妊娠初期の中絶と妊娠中後期の中絶を全く区別しておらず、母親の生命を「救うsaving」という単一の理由を法的な中絶処置の正当化理由としている。〔この点が憲法に反していると指摘。〕


XI まとめ

1. テキサス州法に類する――すなわち妊娠の段階や他の関連する利害を考慮することなく、母親の生命を救うための中絶のみを免罪する――現行の各州の堕胎罪条項は、憲法第14修正条項のデュー・プロセス条項に違反している。
(a)第一トライメスター末までの段階については、中絶の決定とその実現は妊婦の主治医の医学的な判断に委ねられねばならない。
(b)第一トライメスター末に続く次の段階では、母親の健康に関する州の利害を増進するために、州は(それを選ぶ場合は)母体の健康に関連する形で中絶処置を規制することができる。
(c)体外生育可能期以降の段階では、潜在的な人間生命に関する州の利害を増進するために、州は(それを選ぶ場合は)母親の生命または健康の保持のために、適切な医学的判断として必要な場合を除いて、中絶を規制および禁止することができる。

2.〔「医師」という言葉については、州が独自に定義――資格要件を決定――できるものとして認めた。〕

★Doe v. Doltonについて
ジョージア州法の違憲性を問う
・医師の判断の要件として:正規の医師が(1)妊娠の継続が女性の生命または健康に甚大な侵害(2)胎児傷害を認めた場合の中絶は合憲