リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

もし,女性の人格性が法によって真に尊重されることになる場合,彼女はまた中絶の決定とその決定に付与される意味の究極的な源泉でなければならないのである。彼女の決定に対する語りの権力(narrative power)をもつべきは国家ではなく女性なのだ。語りの権力は彼女の人格性にとって意思決定それ自体と同じように重要である。というのは,一人の人格になれるかどうかは,当人の自己全体の想像された投影(projection)にかかっているからだ。

ドゥルシラ・コーネル著,仲正昌樹監訳『イマジナリーな領域』(p.48)

生命学の英語サイト(July 27, 2006)で見かけた"Nothing about us without us"という言葉も思い出した。(「当事者抜きで当事者について何も言ってくれるな」といった意味。)

以下,2006/8/17の追記。
ふと思いついて上記の言葉をググってみたら,「あっ,この絵,前に見た!」
……ご紹介します。このパンフ,時間ができたら訳してみたいです。

Nothing About Us Without Us
Developing Innovative Technologies
For , By and With Disabled Persons

David Werner
with the PROJIMO team
and many friends

http://www.dinf.ne.jp/doc/english/global/david/dwe001/dwe00101.htm

もひとつ,国連の記事も出てきたのでご紹介。出だしの,人口の1割が何らかの形で"disabled"だという表現に,なるほど,と。見出しは「障害をもって/障害とともに(with disability)」生きているとなっているけど,冒頭の「障害(何かをできない状態)にさせられて」生きているという表現のほうがいいなぁ。英語はこういうとき,受け身を作れるから便利ですね。

'Nothing About Us Without Us’
Recognizing the Rights of People with Disabilities

Some 10 per cent of the global population is disabled as a result of mental, physical or sensory impairment, ....

http://www.un.org/Pubs/chronicle/2004/issue4/0404p10.html