リプロな日記

日本のアボーション(中絶と流産)にまつわる諸問題を研究しています

妊娠の結果は“自己責任”の国

7月3日付のasahi.comにこんな記事がありました。

19歳、自宅トイレで女児出産、死なせた疑い 群馬

2007年07月03日12時18分

 女児を出産後、適切な措置をしないまま死亡させたとして、群馬県警高崎署は3日、同県高崎市内のアルバイトの少女(19)を殺人の疑いで逮捕した。少女は未婚で、「中絶しようと思ったが、金がなかった」と話しているという。

 調べによると、この少女は2月6日午前1時ごろ、自宅の洋式トイレで女児を出産して、放置した疑い。同署によると、死亡は出産の約5時間以内で、体温が低下し、気道をつまらせるなどしたのが死因とみられている。少女から連絡を受けた医院が警察に通報して発覚した。

 少女は両親、祖母、姉の5人暮らし。家族は妊娠に気づいていなかったという。

この国では、基本的に「経済的理由」による中絶のみ許可していながら、中絶への補助金はない。そのことの矛盾はしばしば指摘されてきたが、「中絶しやすくするなんて、中絶を増やすばかりだ。とんでもない」という声が強く、その問題性は放置されてきた。

しかし、本当にそうなのだろうか? 中絶しやすくすることは、女性の心身の健康を守ることにもつながるのではないか? 現に他の国々では、そうした論理が主流である。一方日本では、中絶しにくくすることで、この少女のように出産・殺人に追い込まれる女性も出ているのではないのか?

出産&胎児遺棄のほとんどが、若く未婚で貧しく、様々な意味で(避妊の知識不足とか、妊娠の兆候に気づくのに遅れたとかいう意味で)無知である。彼女たちに助けの手を差し伸べる必要はないのだろうか?

この記事の奥に潜む少女の苦悩の深さは忘れられがちである。しかし、いったいどんな思いで、どんな状態で医院に「連絡」したのだろう……想像すると胸が痛い。そして、こうした記事では常に“妊娠させた男性”が出てこない。その無責任さが問われないばかりか、存在さえ忘れられているのだ。

単に「ひどい母親だ」と非難するだけではすまないだろう。問題の根はあまりに深い。