リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

出発点の認識がズレている日本のリプロ議論

10年前に日本母性衛生学会編で出版された“Women's Health 女性が健康に生きるために”の人工妊娠中絶の節を読んで愕然とした。

そもそも取り扱いが小さい。1頁にも満たない節の3分の1を諸外国の人工妊娠中絶件数を比較した厚生省の「母子保健の主なる統計」(1994年)のグラフが占めている。そのグラフを示して、本文には「世界で最も多いのはインドであり年間60万件の報告がされている。第2位は日本の43万件である……」と書いてある。

これまでわたしが目にしてきた国連統計などによれば、日本は西欧諸国の中では中絶率はそれほど高くはなかったと記憶している。しかも日本の中絶率がピークだった1960年頃ならともかく、1990年代半ばの数値で世界2位だとは信じられない。

上記の厚生省統計では「資料の得られない国は除かれている」というので、極度に国が偏っているのかといえば、特にそういうわけでもない。他にグラフに示されているのはカナダ、シンガポールデンマークフィンランド、フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ノルウェースウェーデン、イギリス、ニュージーランドの12ヵ国であり、日本とインドを合わせて全14ヵ国の比較である。このグラフで見る限り、日本に次いで中絶が多いのはフランスとイギリス、イタリアだが、この3ヵ国の中絶件数もそれぞれ日本の半分以下でしかない。それ以外の国は地を這うほど少ないように見える。

このグラフを見る限り、日本の中絶の多さは目を覆うばかり……と思えてしまう。実際、『Women's Health』の筆者は、次のように結論づけている。

中絶件数が多い点について日本人女性の避妊に対する認識が低いと考えられる。言い換えれば、望まない妊娠をしないという意識の低さに問題があるように思われる。

「望まない妊娠をしないという意識」が高まるとは、どういうことだろう? 筆者は次のように続ける。

また、日本人の避妊法に特徴があり、女性側の選択で避妊できるピルは許可されていないので、現状では夫の協力なしでは避妊は実施できない。

だからどうなのか……ということが、この節では何も語られていない。女性のみが悪いと責任を押しつけているようにも読めてしまう。

そもそも「夫の協力なしで避妊できない」状態なのに、女性が「望まない妊娠をしないという意識」さえ高まれば、中絶件数が減るというのだろうか? ここでいう日本に特徴的な避妊法とは、コンドームを使ったバリア法が全盛だという点で、日本は他の先進諸国のみならず、最近は全世界の国々と一線を画しているのである。この文章では、日本にピルが広まらない理由を「許可されていない」点のみに求めているが、すでに低容量ピルが認可されて10年経つ現在でもピル使用はさっぱり増えず、今もコンドームが主流であることには変わりない。*1

穿った見方をするなら、ここで得られる結論は、女性たちが「望まない妊娠をしないという意識」を高めていくことを通じて、夫に避妊の協力を要求していくか、あるいは夫の協力なしで避妊できる方法を社会に求めたりしていくべきだ……ということになる。そのためには、女性たちをエンパワーしていかねばならない。意識改革のための情報提供や教育が必要となる。確かにそうした方向の対策を推進していく必要はある。

しかし、上記の節ではそうした現実的な対策については、一言も触れていない。「中絶が多いのは女性の意識が低いため」――それで終わりなのだ。女性が悪いから中絶が多い?

だが、その議論以前に、果たして上記のグラフに示された“前提”――日本は国際的に見ても中絶が多い国である――は正しいのだろうか? 

すぐに疑問が浮かぶのは、件数ではなく“率”ではどうなのかという点である。

実際、『地図でみる世界の女性』によれば、「合法的人工妊娠中絶の割合」のグラフにおいて日本の中絶率は18カ国中最少のオランダに次いで2番目に低い。厚生省の「中絶件数」のグラフでは地を這うほどに少ないかに見えたスウェーデンは18ヵ国中11番目で日本の約2倍、18ヵ国中最多の域にあるキューバやロシアなどの旧社会主義諸国の中絶率は、日本のおよそ5〜6倍の中絶率となっている(通常、スカンジナビア諸国や旧ソ連圏は総じて中絶率が高い)。

中絶率が低いから、今のままでいいと言っているわけではない。ただしここでは、見ている現実が違うと、前提が違ってくるし、“対策”の立て方もまた違ってくると指摘しておきたい。

ましてや「女性が悪い」だけでは、何も状況は変わらないのだから。

*1:私見では、日本で避妊ピル使用が増えない理由は、利益団体の妨害や女性たちのあいだでピルについて悪いイメージが共有されていること以上に、価格が高く、いちいち医師の診察が必要だとされているためだと思う。何しろ診察料を含むと、1ヵ月分が3000円をゆうに超えてしまうのだ。それに妊娠してもいなければ病気でもないのに、いちいち混み合った産婦人科に通わなければならないのは、忙しい現代人にはなかなかできない。