Betsy Hartmannの"Reproductive Rights and Wrongs"のWomen's Rights to Her Lifeの項から、一部抜粋して訳してみました。
……中絶は他の避妊手段から切り離して見るべきではない。理想的には、中絶は避妊を補完するものだからである。完璧な避妊手段はひとつもない。安全な中絶によるバックアップ――胎児を抽出することで妊娠を終了させること――は、避妊の失敗に備えて重要な保障を提供してくれるので、女性たちはバリア法や自然な家族計画法など時に有効性の低い手段を選択する余地を得られる。
p.258
女性の中絶権を認めないことは、男性にも責任があることや、望まない妊娠の多くが望まない性交に起因するという事実を無視して、望まない妊娠による困難と非難を全面的に女性に引き受けさせることになる。多くの女性、とりわけ若い女性にとって望まない妊娠は、選択肢が閉ざされ、望まない結婚に追い込まれ、社会的および物質的な支援もなく子どもを育てることを強制されるなど、自らの人生の行方を不可逆的に変容されうる出来事である。中絶せずにすむものならば、それを望む女性などいないが、時にそれは唯一の逃げ道なのである。
p.258
……今日の中絶を巡る議論は的外れである。中絶を行ってよいのかどうかは、実のところ問題ではない。中絶クリニックにいくつ爆弾が投げ込まれようとも、教皇が何度非難しようとも、他の避妊方法がどれほど幅広く普及しようとも、中絶は行われ続けるだろう。望まない妊娠は、減ることはあっても、完全に消えることはないだろう。
そうではなく、中絶に関して真に重要な問題は次のとおりである。
- それが合法的で安全でアクセス可能であるか、それとも非合法で危険で地理的にもしくは経済的に手の届かないものであるか。
- 人口の量や質のコントロールの道具として悪用されているか、それともリプロダクティヴ・チョイスの道具として使われているか。
適切に行われる限り、中絶は女性にとっての安全網であり、何より最も重要なリプロダクティヴ・ライツのひとつなのである。
P.267