リプロな日記

日本のアボーション(中絶と流産)にまつわる諸問題を研究しています

新聞の身の上相談

本日付読売オンラインで「8年前の中絶 今も後悔」という身の上相談を見つけました。

 40歳代女性。8年前に中絶しました。愛する人の子だからどうしても産みたかったのですが、相手の男性は子を望みませんでした。何度も頼みましたが「認知できない」と言われ、父のない子を産んでいいものか、一人で育てることができるのかと悩みました。誰にも相談できませんでした。

 泣きながら手術台に乗った日のことは今も鮮明に覚えています。大切な大切な命を奪ってしまい、人殺しの罪を一生背負っていくことになりました。

 最近、未婚の母とその子どもを巡る社会環境は少しずつ変わってきています。あの時産んでいればよかったなどと、いろいろなことが頭に浮かぶようになりました。あの時に戻りたい、子どもに会いたい、そればかり考えています。目を腫らして眠りにつく毎日です。私はどうすればいいのでしょう。(神奈川・N子)

回答者は、3歳児神話や母性神話の問題点を指摘した大日向雅美先生でした。

 胎児の命を奪う中絶については、いろいろと議論のあるところですが、中絶によって女性の心身もまた大きな痛手を受けることも忘れてはならない点です。

――中略――

 人生には絶対に正しい選択だったと言い切れるものは案外少ないものです。過去を悔やむのではなく、懸命に悩み考え抜いた末の選択だったと納得し、過去を味方にすることに力を注いで下さい。心の傷が癒えていないあなたが一人で過去と対峙(たいじ)するのは、難しいかも知れません。カウンセラーや心療内科の先生の力を借りることも大切です。
(大日向 雅美・大学教授)

(2008年4月13日 読売新聞)

相談者が自らを「人殺しの罪」を負ったと責めているあたりに、プロライフ的言説がいかに日本社会に根強く行き渡っているか気づかされます。また、アメリカのプロライフの人びとは中絶を行った医師をchild murdererと責めるのに対し、日本ではあくまでも中絶の責を負わされるのが母であり、「母による子殺し」として認識されていることも明かです。

こういうケースを見るたびに、(最低でも、事後の心理的適合が困難な女性に対する)ポストアボーション・カウンセリングの必要性を強く感じます。彼女が悲しんでいるのは、おそらく中絶の選択そのものや潜在的な子どもの喪失だけではなくて、実際には人生のなかのいろんな不遇が分かちがたく絡み合っているのだろうと思うからです(たとえば、中絶を契機に相手の男性と別れてしまったとか、年齢的にそろそろ出産が難しい時期にさしかかっているとか、仕事やその他の生活がうまくいかなくて「子どもさえいれば、生活に張りがあったのでは」などと、つい回想してしまいがちだとか……いろんな可能性があります)。

大日向先生が書いてらっしゃるとおり、中絶については当人の「納得」が重要なポイントになります。「誰にも言えない」で「一人でぐるぐる考えてしまう」のが一番良くない。この相談者は、それでも“一歩踏み出した”のだと思います。こうやって相談することで、変わろうとし始めたのだと思います。

この女性に、自分だけを責める必要はないんだよ……と、言ってあげたい。たとえば、シングル・マザーで生きることのハードルがもう少し低ければ、彼の意向に従属しなくてもすむような何らかの保障があれば、彼女の選択は変わっていたのではないでしょうか。社会のありようが、彼女のリプロダクティヴ・チョイスをねじ曲げ、中絶に追いやったとも言えるでしょう。

欧米でも中絶はある種のタブーですが、それでも女性たちを孤立させないために、自分たちの経験を次の世代がくり返さないために、経験を語り継ごうとする動きがあります。日本でも、ネットではそうした動きがあちこちにありますが、いまだに力を結集できず、大きな勢力にはなっていません。先進国でリプロダクティヴ・ライツを擁護する勢力がこれほど弱いのは、おそらく日本だけでしょう。(その証拠が、以前、書いた男女共同参画基本計画におけるあからさまなリプロダクティヴ・ライツ否定や、RU486の輸入禁止に、どこからも反論の声が上がらないことです。)

中絶合法化が他の国々より20年から30年も早い日本で、あいかわらず女性たちが孤立させられ、沈黙させられていることに、不当性を感じずにいられません。日本において中絶の問題は、「罪悪感」によって女性たちの力を奪うディスエンパワーメントの問題になっているように思われてなりません。