リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

毎日新聞の記事

先週、7月17日付けの毎日新聞のサイト(毎日JP)で、「スローライフ スローセックス:中絶したことで、自分を責めないで!」と題した次のような記事を見つけました。以下、コメントをつけながら紹介します。

 「私には2回の中絶経験があります。理由はなんであろうと、二つの命を奪ってしまったのです。そんな自分はもう二度とセックスはしてはいけない気がします。それでもセックスをするというのは、自分が理性のない恥ずべき人間のような気がしてしまいます」

 ゆうきさん(32歳)からのメールです。厚生労働科学研究の一環として2006年に僕たちが実施した「第3回男女の生活と意識に関する調査」からも、15歳から49歳の日本人女性のうち14.2%に中絶の経験があり、そのうちの23.6%が複数回であることを思えば、ゆうきさんのように日々悩んでおられる女性が大勢いるのではないかと拝察し、胸が苦しくなります。

想像して同情するのに止まらず、まずはデータを見てみましょう。2007年2月にUSAID(アメリカの国際開発庁)が発行した"What Works: A Policy and Program Guide to the Evidence on Postabortion Care"がエヴィデンスの高い文献をレビューした結果では、中絶後のメンタル・トラブルについて、次のような報告があります。

  • 現在も、公的な報告数だけで年間30万件以上の中絶が行われています。9つの調査が、中絶を受けた女性の1〜41%が喪失感、罪悪感、恥辱、不安、自責、鬱を体験することを示している。(Broen et al., 2004; Suffla, 1997; Adler et al., 1990; Dagg, 1991; Reardon et al., 2003; Deckardt et al., 1994; Bradshaw and Slade,2003; Major et al., 2000; Cougle et al., 2005).
  • 中絶後の1ヵ月間に、19〜27%の女性が高レベルの不安を覚えている。(Dagg, P.K., 1991; Bradshaw and Slade, 2003)
  • 中絶を受けた女性の1〜10%は、精神科医の介入が必要なほど深刻な鬱や不安の症状を示す。(Bradshaw and Slade, 2003).
  • 13〜49歳の女性で中絶後、特に直後の90日間に精神科に入院する率は非常に高い。(Reardon et al., 2003).
  • 中絶後1〜2年間に最大20%の女性が、自責や身体症状を伴う臨床的な抑鬱状態を経験する。(Deckardt et al., 1994; Dagg, 1991; and Major, 2003).
  • トラウマ後ストレス症候群と診断できる女性は1%程度である。(Major, 2003).
  • 年齢が若い女性(Pope et al., 2001; Major et al., 2003)、妊娠前に鬱を経験している女性(Reardon, 2002; Major, 2003; Pope et al., 2001; Bradshaw and Slade, 2003; Dagg, 1991)、妊娠に関して圧力や強制を受けた女性、中絶に関して保守的な態度の女性、もしくは矛盾する信仰をもつ女性(Bradshaw and Slade, 2003; Kishida, 2001; Adler et al., 1990)は、特にネガティブな反応を示すリスクが高い。

これはあくまでも世界のデータです。日本の場合は、キリスト教の影響が薄い一方で、水子供養などの疑似宗教が心理的な責め苦をもたらしている可能性があります。つまり、毎日の記者も指摘しているとおり、水子供養が心の慰めになるどころか、かえって自責の原因になっているとも考えられるのです。(念のため補足しておくと、水子供養は昔ながらの日本の風習というよりも、1970年に保守政治家絡みで大々的に喧伝されて定着した新しい習俗です。)

 仕事柄、水子供養寺に詣でたことがあります。水子の石像が居並ぶ光景は異様な雰囲気を感じさせます。線香に火をつけ花を手向けている老女。中絶した日をひとときも忘れることなく今まで生きてこられたのでしょう。その老女が涙している姿を遠目で見ながら、駆け寄っていきたい衝動に襲われました。「おばあちゃん、もう自分を許してあげようよ」。

 自分で縫ってきたのでしょう。小さな服を石像に着せようとしている若い女性。ひざまずいたままいつまでもその場を離れようとしません。どのような思い出が彼女の心によぎっているのか。彼と楽しく過ごした日々か? それとも手術器具が自分のカラダに挿入された瞬間か?

馬鹿なことを言わないでください。日本の中絶のほとんどで「全身麻酔」が使われていますから、そんな瞬間を記憶しているわけがありません。全身麻酔が使われるのは、D&Cという鋭利な刃物を身体のなかに入れる外科的手術が日本で長年、用いられてきたからです。この方法は、国際的には安全な方法がない場合のみに使うべき二次的手段として位置づけられており、世界では1960年代後半から始まった中絶合法化とともに、機械を使った吸引法が見る間に普及していきました。なお、日本では1980年代でもまだD&Cが標準的な方法でした。1990年代になってようやく、一部の医学の教科書が二次的な扱いで吸引法を紹介するようになりました。ごく初期の吸引法であれば局所麻酔で行えますから、手術中の記憶があってもおかしくはありませんが……。

 そんな僕をいらだたせることがあります。その場に男の姿が見えないのです。涙する、花を手向ける、手を合わせる男はいません。中絶を選択するということは、妊娠があった、セックスが行われたことを意味します。男の存在なしには起こり得ないことなのに、なぜ女性だけが責めを受けるのでしょうか。男は一切の責任を免れることができるとでもいうのでしょうか。

最近は、男性と一緒に水子供養にくることもけっこうあるようです。いやいやつきあわされたのかどうかは知りませんが、水子絵馬にカップルそれぞれのメッセージを書いているケースを見たのも、一度や二度ではありません。ただし、社会的に男性ばかり免罪されていることは正しい指摘だと思います。

 セックスが行われたことは事実としてあるのに、妊娠が発覚した途端、「おれの子だという証拠があるのか」と迫る男。「今はとても育てられない。親を説得できない」と現実からの逃避をもくろむ男。「妊娠しないから大丈夫だって言ったじゃないか」と俺に責任はないかのように開き直る男。返す言葉もみつかりません。

同じ男性として、女性に申し訳がたたない、だから「返す言葉もみつかりません」とおっしゃるのでしょうか? そうやって「男性対女性」の構図に落ちなくてもいいと思います。こうした二項対立的発想では、下手をすると「でもやっぱり女性が悪い」と寝返って、「同じ男の立場」を弁護する側にさっさと転じるかもしれないと、心配になります。

 誰一人として中絶をするために妊娠する人、セックスする人はいません。でも、パーフェクトな避妊法がない以上、妊娠は思わぬ形で現実のものとなります。今月は何とか乗り越えられたものの、翌月に事件が起こります。だから、中絶なんて気にするほどのことではないと申し上げるつもりはありません。人事を尽くして天命を待つではありませんが、人として最大限の努力をして、それでも結果として起こってしまったことについては、いつまでもくよくよしないのです。ゆうきさんからは、「男に振り回され続けて、避妊についても女性としての努力ができなかった」という声が聞こえてきそうですが、それでも、今の「気づき」は何にも増して尊いものです。この「気づき」まで多少の時間がかかったとしても経験にマイナスなしです。

 そこでゆうきさんにお願いです。妊娠を望むのか、望まないのか。望まないのであれば、避妊を男性任せにしないで、低用量経口避妊薬(OC)あるいは妊娠の経験があるわけですから子宮内避妊具(IUD/IUS)を最優先の避妊法として選択してください。もちろん、HIV/AIDSを含む性感染症の予防には相手にコンドームを使わせる。「使ってもらう」などという甘っちょろい態度ではなくて、「使えなければさせない」頑固さを貫いてください。あなたが妊娠を望んでも、相手にその気がないこともままあります。セックスの重大性を踏まえて十分議論し納得できなかったら“ゆうき”を振り絞って拒絶してもいいのですよ。それでこそ、幸せなセックス実現の第一歩であるってことをお忘れなく。

*低用量経口避妊薬(OC)全般についての電話相談:『OCサポートコール』(月〜金、10時〜16時、03−3267−4104)

2008年7月17日

以上が、今回、毎日新聞のサイトに載っていた記事です。

最大限の避妊を呼びかけるのはもっともですが、さらにモーニング・アフター・ピルとか事後避妊薬などと呼ばれる緊急避妊(EC)の存在も紹介すべきでしょう。この方法では、必要量のピルを無防備なセックスがあった72時間以内に服用する必要があるので、他の国々のように薬局で専用薬が店頭販売されるようになるのが望ましいと考えられます。現在でも一部の産科医が認可済みの治療用ピルを使って処方してくれますが、本来は専用薬があります。

同様に、日本ではほとんど使われていないけれども安全で確実な手動吸引法(月経吸引法とも)や、世界50ヵ国以上で使われているRU486(ミフェプリストン)という初期中絶薬の導入も検討すべきでしょう。この2つは世界標準でWHOが推奨しているにも関わらず、日本には全く導入されていない女性のからだにやさしい初期中絶方法なのですから。

ECについては、この日記でも過去に何度か取り上げています。興味のある方は「緊急避妊」というキーワードで検索してみてください。