リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

中絶対策から性教育、人権教育へ

中絶率ワーストワンになった佐賀県で、対策が講じられているとの本日付ニュースが佐賀新聞のサイトにありました。記事のタイトルは「中絶率高い佐賀 必要な対策は 佐賀市でセミナー」です。次のような内容でした。コメントしながら紹介します。

 全国の医師らでつくるNPO法人女性医療ネットワーク(対馬ルリ子理事長、600人)の公開セミナーが3日、佐賀市エスプラッツで開かれた。中絶率が高い佐賀県内に必要な対策について、医療専門家らがパネルディスカッションなどで討議し、性教育や避妊指導などで、あらゆる層への働きかけが必要と訴えた。

 東京や鹿児島の医師や県内の産婦人科医ら6人が登壇したパネルディスカッションは、中絶率ワーストワンとなっている佐賀県に必要な対策を議論した。大隈レディースクリニック(江北町)の大隈良成医師は、10代だけでなくあらゆる層の中絶率が高いことを挙げ、「中絶を減らすために産後の指導などを行っているが、30〜40代後半の人にはアプローチできない」と現状を説明。保健師と連携するなどして、各世代に働きかける工夫の必要性を訴えた。

「中絶率」だけが単独で扱われていることが気になる。「避妊率」は? 日本の避妊率は先進国中で最悪で、発展途上国の平均と比べても低い。出産した人のうち「望まれない妊娠」がどれだけの比率だったのかも気になる。日本ではリプロの統計がほとんどといって取られておらず、それが十分な対策の取れない一因である。

 また、望まない妊娠の一因として、DV(ドメスティック・バイオレンス)も考えられることから、県DV総合対策センターの原健一所長は「自分に自信のない人ほど、相手の言いなりになりやすい。自信を回復させることを重点的に考えたい」と述べた。

ここで「自信回復」とあるが、ではどこで「自信喪失」したのか? DV関係に入った時だろうか? しかし、DVの被害者が圧倒的に女性に多いことを考えると、その下地には、自分は尊厳を侵されてもしかたない存在なのだと女性たちを馴化させていく社会的な「女性身体の性的対象物化」も影響しているように思われてならない。

金沢市犀川ほとりに少女の裸像が建っている。引っ越してきてすぐに気になり、通るたびにいやだなと思っていながら「慣れて」しまってきたが、娘の成長を感じることで、最近、再び問題意識が募ってきた。「芸術=何でも許される=裸もOK」といった安易な考えは頂けないにしても、裸像そのものが悪いと言っているわけではない。そういうものが子どもの目にも触れる公共空間に何の考えもなく置くことに反対なのだ。公共空間で「あたりまえのもの」として見慣れていくうちに、「女の裸体は観賞されるもの」という感覚が次世代に伝達されていくと思うからだ。「見る-見られる」の非対称性は、心理的な力関係を及ぼす。非対称的な位置に置かれた両性のあいだに対等な性関係を育てるのは困難だろう(同性愛の場合は、また別に考える必要があるが)。

自分が思春期に入りつつあった頃、ピンク映画の看板の前を通るのがとてもいやだった。こびを売っているような女の表情もいやだったし、豊満なからだが扇情的に描かれているのも耐えられなかった。自分の身体がチープなものに変化していくような気がした。あれは女に生まれたことへの「自己否定」の一歩だったと思っている。実際、第二次性徴の始まる小学校高学年の頃から、女子の「自己肯定率」はぐっと下がっていく。身体の変化に対する受けとめ方も男女でかなり違う。「性教育」では、生物としての身体変化だけを教えるsex教育に留まるのではなく、女の子を「自己否定的」に育てる社会の問題に踏み込み、そこで生じるネガティヴなインプリンティングに対抗しうる力を個々人に養うためのgender教育も必要だと思う。その理念は人権教育と限りなく近いものになるだろう。