リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

古い朝日ジャーナルから

いろいろお宝が出てきます。

1983年6月17日号 32〜37ページ 女の戦後史?妊娠中絶 命をかけて得た「産まない自由」―ドクトル・チエコ

内容除去術の掻把によって子宮壁が傷つくのを防ぐため,昭和三〇年に術式が改良され,吸引法が発表された。昭和四〇年になり,吸引法の器具を新しく工夫した杉山式スーパーサクションが利用されるようになった。【中略】妊娠初期に流産させるとき,内容物を陰圧で吸引する。傷もなく,時間も二分くらいですむようになった。

昭和40年というと1965年,海外で吸引が爆発的に広まったのはその5年後くらいのことなので,日本のほうが技術革新が進んでいたことになる。当時,西側諸国で中絶を合法化していたのは日本くらいなので,当然とも言えるが,どうやらこの「先に開発」されたことが仇になって,1970年前後のカーマン式カテーテル(プラスチック製で使い捨て)の登場を待つことなく,日本の吸引技術は衰退していったのかもしれない。