リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

Re:子をもつ選択 もたない選択

自己レスです⇒2020/03/21

この記事のことで友達と話してて、ふと、「ああ、自分の立ち位置を意識してなかったなぁ…」と反省しました。

「選択」したくてもできないこともある。「選択」するつもりだったのに、気づいたら、選択できなくなっていた。「選択する」なんてことを全く考えてこなかったけど、後になって思えば「選択」を考えるべきだった、「選択」しておけばよかった……ということだってあるだろう。

「もつ/もたない」という二項対立の図式は、あまりに単純化しすぎで、あまりにも多くの思いをを無視した言い方だったな……と思った。

それと共に、自分自身、中絶、流産については多少なりとも語っていながら、たとえば「産まない選択」をしていた十数年については、あまり深く考えず、語ってもこなかったな……とも気づきました。

「産まない選択」の時期を経て、それでもやはり「産みたい」という自分の気持ちを再確認したこと……それでもすぐには授からず、不妊を疑い……産婦人科へ行き、不妊治療に向けての第一歩を踏み出したこと……その末に、妊娠し、すったもんだで出産し……産んだ後にも、また別の……全く思ってもみなかったことに遭遇しながら育児をしてきたあげくに……今がある。

すべてを語ることはできないけれど、わたしの「リプロ」へのこだわりは、中絶だけではなく、本当は、そうしたすべてが影響しているのだと思う。

「産まない選択」をしていた頃。わたしは、落合恵子さんの「子どもを持たないからこそ経験できる人生を生きている」といった考え方(ググっても出てこないので、正確な言葉ではないと思います)にある種救われていました。

ううん、たぶん逆だな。子どもがいないからこそできる経験もあるという考え方を知って、「産まない選択」ができたのだと思うし、それを肯定していられたのかもしれません。

不妊を疑い、そのまま治療してもうまくいっていなかったとしたら、わたしはまた違う人生を生きていたのかもしれないけれども、でも死ぬ瞬間に人生を総括したら、結果的に、そう大きくは変わらない生き方をしてきたんじゃないか……という気もする。

女の人生は、あまりにも「産む」「産まない」で分断されているように思う。

そこではなくて、今、自分がどう生きようとしているのか、どのように他者や社会とかかわっていこうとしているのか……といったことが重要なのではないだろうか。