リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

「寿ちゃんは宝物」 真実告知でも揺らがなかった家族

朝日デジタル 内密出産3回目

内密出産 いのちをつなぐ③

 匿名での出産を望む女性が、専門機関にだけ身元を明かして出産する内密出産。医師や助産師が立ち会わない危険な孤立出産を思いとどまらせようと、熊本市の慈恵病院が昨年12月、法制度が整わない中で導入を表明した。

 特徴的なのが、子どもが一定の年齢に達し希望した場合は母親の情報を開示する仕組みを整えたこと。子どもに等しく、出自を知る権利を保障することが、大きな狙いだ。

 実の親を知りたい。だが、知ることへの不安もある。相反する気持ちは、養子となった子どもの心を揺らす。

 埼玉県の会社員石井寿紀さん(24)は、幼い頃に特別養子縁組で新たな家族を得た。いまは養親と一緒に各地で自らの体験や思いを講演する機会もあり、子どもが児童虐待育児放棄などの犠牲にならないよう、社会全体で守ることの大切さを訴えている。

 石井さんは生後間もなく、乳児院に預けられた。1歳半の時、養親となる父の敦さん(61)と母の佐智子さん(60)に迎えられ、戸籍上の実子となる特別養子縁組で3歳の時に石井家の長男となった。

 生い立ちを伝える「真実告知」の時期は、養親と養子の関係の深まりにもよって様々だ。石井さんが最初の真実告知を受けたのは、4歳の時。「両親が周囲に先手先手を打ってくれたので悲しむようなことはなかった」。佐智子さんは常々、「寿ちゃんに出会えたことは大切な宝物」と話していた。両親はPTAや寿紀さんが所属していたサッカー少年団の役員を引き受けるなど、地域活動に貢献しながら、学校や周囲の保護者らに養子として迎えたことを伝えていたという。

 実母の名前と自分の旧姓は中学1年の時に知った。席順が後ろになるというたわいもない理由で、同級生の「わ行」の姓がうらやましいと口にしたことがきっかけだった。話を聞いていた佐智子さんが、乳児院から託されていた母子手帳を初めて見せてくれた。出生時の体重や身長、そして、同級生と同じ「わ行」の姓の実母の名前が書いてあった。

 他に兄弟がいることも、その後知った。両親は石井さんに「自分で判断できるように育ててきたつもり。20歳になったら探してもいいよ」と言った。

 一番大切なのは自分を慈しみ育ててくれた家族だと思っている。「石井家の子どもになれて本当によかった」。社会人として働き始めてまもなく2年。「どんな出自であっても受け入れる覚悟はついた。生まれてきて良かった」と、自分の生い立ちと向き合う心構えも出来てきた。

 実母の消息などは尋ねていないが、実母に会いたいか?と問われれば、「会ってみたい気がするし、幸せであって欲しい」。(白石昌幸)

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