リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

ロシアの中絶について

忘備録

ロシアは1917年十月革命で発足したレーニン政権下でアレクサンドラ・コロンタイの活躍により1920年に中絶を合法化、レーニンの死後、独裁的権力を拡大していったスターリンは1936年に人口減少を理由に中絶を禁止したが、スターリンの死後1955年に合法的中絶が復活した。

1991年、ソ連は解体されロシア共和国に。
2003年、人口減を理由にそれまで13あった合法的中絶の理由を次の4つに減らした。
1レイプによる妊娠
2親権を剥奪されている
3受刑中(投獄されている)
4父親の死亡または深刻な障がい(母親が子の十分な養育ができなくなるため)

出典は比較的最近の文献です(PDF):
Abortions in Russia Before and After the Fall of the Soviet Union
Tomasz Wites
DOI: https://doi.org/10.2478/mgrsd-2004-0025 | Published online: 25 Nov 2018

他には:
Wikipediaの”Abortion in Russia”参照。
中絶合法化のために活躍したAlexandra Kollontiのウィキも参照のこと。
Alexandra Kollontaiの論考:The Labour of Women in the Evolution of the Economy(1921)On the New Abortion Law(1936)Why did Alexandra Kollontai advocate the legalization of abortion in Soviet Russia?

The Alexandra Kollontai Archive
コロンタイの書いた文章が英語で収集されています。


14年前のメモも以下に貼り付けておきます。

スロヴァキアやスロヴェニアの中絶法(の英訳)では,artificial termination of pregnancyという言葉が使われていることに気づいた。もしかしたら日本の「人工妊娠中絶」という言葉も,1948年時点で中絶を合法化していた(あるいは中絶合法化をした経験のある)国々の言葉に基づいているのではないだろうか。そういえば,ロシア語で中絶を何と言うのかも分からないし,調べたこともない……。(後日追記:"аборт"だそうです。)

ついでなのでソ連の中絶合法化→再禁止→再合法化の流れを手持ちのメモからざっとまとめておく。

1920年ソ連は「堕胎自由化法」で中絶を合法化した。11/18 新生ソビエト人民委員会「健康と正義部会」が、中絶は希望するすべての者が医療機関で無料で受けられると発表した。ただしソビエト医療機関の医師以外が行なった場合は、人民裁判にかけられた〔ローゼンブラッドp.96-7〕。医学的理由のみならず社会的理由を認めたことがドイツ人医師たちの熱い議論の的になった〔Susan Gross Solomon1992〕。レーニンの「産むか産まないかを決定する自由=生存の基本問題を自ら決定する女性の権利」という考え方に基づく〔中谷瑾子『21世紀につなぐ〜』1999:122〕。特に妊娠初期の10週以内は女性のオンディマンドとされた。

1927年,真空吸引法vacuum suctionがソ連で発明された〔Joffe1995:43〕。

1936年,スターリン政権下のソ連は,「堕胎禁止法(家族保護法)」で中絶を再び禁止した(1918年に合法化されていた=中谷瑾子によれば1920年「堕胎自由化法」で解禁……このズレはおそらく法制定の年と実施年の違いだろう)。理由は、1920年代後半の飢饉によって地方人口が激減したため。「国家の繁栄がその弁明となった」〔ローゼンブラッドp.99〕。グリセスも,この新しい法令は「戦争による損失を埋め合わせるために人口増を狙ったもの」とする〔ローゼンブラッド〕。「人口政策,ドイツとの国際緊張関係などの状況下で,再び可罰的なものにした」〔中谷瑾子, p.122〕。

1955年,コロンタイの活躍で再度合法化(中谷瑾子によれば1954年に再度合法化……このズレも同上か?)。とはいえ、コロンタイは1952年に死亡しているので、長年の活躍によってこの年にようやく合法化されたと解釈すべきだろう。

さらなる追記:上述のOn the New Abortion Law(1936)を読んだ限り、コロンタイは中絶規制強化に対して、フェミニストとして怒りを示してはおらず、社会主義者として母性への支援強化策だと説明しています。政権側だから仕方がなかったのかもしれないけれど、1955年の中絶の再合法化に彼女が活躍したかどうかはほりゅにした方がよさそうです。

ロシア(ソ連)の中絶政策の変遷についてとても参考になる文献を見つけました。
TOWARDS A FRAMEWORK FOR THE ANALYSIS OF ABORTION CULTURE
GAIL GRANT, Division of Social Statistics, School of Social Sciences, University of Southampton
ロシアの「中絶文化」は1950年代の日本をほうふつとさせますが、では日本はどうやってその文化から脱したのか……ということを今後は考えてみたいです。