リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

胎児の遺体を黒ビニール袋に入れて逮捕…「孤立出産」に直面した女性たちを救えるか

文春オンライン 3/25(木) 11:12配信

 ショッピングモールのトイレで赤ちゃんを産み落とし殺害したとして、栃木県の女子高校生が逮捕されたのは1月28日だった。報道によると、事件が起きたのは前年12月18日。一緒に買い物に訪れていた友人が、トイレから出てこない女子高校生を心配して警備員に通報。トイレで血まみれになって倒れている女子高校生とハサミで首を切られた赤ちゃんを発見したというものだ。逮捕までに40日かかっており、慎重な捜査が行われたと考えられる。

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妊娠相談窓口に届いたメール


 女子高校生がトイレで産み落とした日から遡ること10日余り、12月7日には東京・大井町のマンションで赤ちゃんを死産した20代の女性が即日逮捕された。死産にもかかわらず、遺体を黒いビニール袋に入れていたことで死体遺棄罪に問われ、さらに報道各社が所轄の大井警察署の発表文のままに実名で報道した。

 女性の件で最初に大井署に連絡したのは熊本市にある慈恵病院の蓮田健院長だった。

 蓮田さんが女性の状況を知ったのは、女性が同院の妊娠相談窓口にメールしたことによる。死産した赤ちゃんをどう葬ったらいいのかわからないと記した女性と直接電話で話した蓮田さんは、妊娠期間の体調の変化を時系列で聞き取り、妊娠6~7ヶ月での死産であると推定。 

 ひとが家で亡くなると、かかりつけ医に連絡して死亡診断書を受け取るのが通常の手続きだが、かかりつけ医がない場合は警察を呼ぶことになる。警察が事件性はないと判断すれば死体検案書を受け取り、火葬の手続きに進むことができる。だが、女性は医療機関を未受診だった。


「黒いビニール袋」に入れたことで即日逮捕

 蓮田さんは女性に了解を得たうえで、最寄りの大井警察署に連絡した。そして警察官が女性のもとを訪れ、そのまま彼女を逮捕したのである。

 逮捕の判断を決定づけたのは「黒いビニール袋」に入れていたことだと考えられる。本人は「捨てた」のではなく「置いていた」のだが、警察は遺棄と断定し、即日逮捕した。しかし、蓮田さんによると、妊娠6~7ヶ月という早い時期に死産で生まれた嬰児は体が羊水を吸収してブヨブヨになっている(浸軟胎児)と考えられる。一般に想像する新生児の様子とはかけ離れていて、とても布団に寝かせるような状態ではないという。加えて、慈恵病院は女性に赤ちゃんを弔う意思があったことを確認していた。

逮捕の3日後に「反論記者会見」

 孤立出産で生まれた赤ちゃんが死産だったのか、殺害したかは、遺体解剖でわかる。しかし、死産が遺棄罪に問われるのはどこからなのか、明確な規定はない。そこで私たちは大井警察署と警視庁に取材を申し込んだが、回答は得られなかった。

 蓮田さんが懸念したのは、この事件が自宅出産での死産が罪に問われる先例となってしまうことだった。蓮田さんは大井署に抗議するとともに、逮捕の3日後に反論記者会見を行った。

 結果として女性は10日後に不起訴処分で釈放されたが、心身が傷ついているところへ不当にプライバシーを晒されたことのダメージは計り知れない。


増える若年層の妊娠電話相談

 コロナ禍の2020年、厚生労働省の人口動態統計速報によると、出生数は前年より2万5917人減少し、87万2683人。過去最低となった。しかし、全体の動きと逆行するように、若年層の妊娠電話相談は増えた。春以降、予期せぬ妊娠をした女性の孤立出産が増える恐れがある。妊娠を誰にも相談できず、ひとりで産まなくてはならない状況に追い込まれた女性が死産となってしまう可能性は、今後も十分にあり得る。そうした不幸な出来事が死体遺棄罪に問われてしまうことになれば、予期せぬ妊娠に悩む女性をますます誰にも相談できない状況に追い込むことになる。

 慈恵病院は、「こうのとりのゆりかご赤ちゃんポスト)」の運営を通して、孤立出産に直面した女性たちを支援してきた。本稿では、慈恵病院が支えたケースをもとに、そうした女性を支えるためには何が必要かを考えたい。

◆ ◆ ◆

車内から陣痛の合間に電話を…

 慈恵病院の妊娠電話相談には年間6500件の相談がある。そのうち、陣痛のさなか、もう臨月、孤立出産直後など、差し迫った状況にある女性からの相談は25件ほどになる。ほとんどが熊本県外からの相談で、状況はそれぞれに異なり、ときには思わぬ事態が起こる。

 桜がほころび始めた2020年のある夕方、相談員が受けた電話は九州のある県に暮らす20代の女性からだった。3~5分間隔で陣痛があり、痛がっていた。病院は未受診で、一緒に暮らす母親に妊娠を打ち明けられないまま自宅で出産しようとしていた。相手はわからないという。しかし、相談員が「よく電話をかけてくれましたね」といたわりながら話を聞いていくうちに、異なる状況が見えてきた。女性は自分で運転して慈恵病院に向かう車内から電話をかけていた。陣痛の間隔を縫いながらの運転で、いつお産が進んでもおかしくない状況だった。

「救急車を呼ばれるくらいならひとりで産んで赤ちゃんと一緒に死にます」


 電話を代わった相談窓口責任者の蓮田真琴さんは女性に救急車を呼ぶことを提案したが、女性は身元がばれることを恐れ、また、救急車の費用は自分で払わないといけないものと思い込んでいた。陣痛とひとりで産む恐怖でひどく混乱しているようだった。

「救急車を呼ばれるくらいならひとりで産んで赤ちゃんと一緒に死にます」

 泣きながら口走る女性に、

「ここまで来たのだから死なずに最後まで頑張りましょう。必ず病院で出産できるようにしますから。私たちを信じてください」

 と真琴さんは説得を続けた。

 熊本市の一帯は盆地のため朝晩は冷え込む。夕刻、既に気温が下がっていた。万一赤ちゃんが生まれてしまったら、低体温症の危険も考えられる。母子の生命の危険を回避するために、蓮田さんが病院車で迎えに行くことを判断した。看護部のカンファレンス終了直後で、たまたま院内に残っていたシフト外の看護師と助産師が同乗した。分娩器具や保育器を積み込み、病院車が出発したとき、電話を受けてから1時間が経過していた。

 女性の車の停まっている熊本市郊外のコンビニに病院車が到着したのは1時間19分後。20時55分、無事に女性を保護することができた。


遠方からの相談には「病院で産みましょう」と説得

 このケースは、たまたま慈恵病院からさほど遠くない場所からのSOSだったが、遠方からの相談にはどう応じるのだろう。

「陣痛で苦しんでいる女性には救急車を呼ぶようお話しします。でも、家族や近所の人たちに気づかれたくないとためらう人は少なくありません。そのときは、安全に産みましょう、病院で産みましょうと説得します」

 真琴さんはこう話した。

 やり取りを続けるうちに女性が心を開いてくれたら住所を聞き、Googleマップで最も近い消防署を探し出して通報する。家族に知られたくないという女性の状況を尊重して消防署と自宅の中間地点にあるコンビニを指定して搬送を依頼することもある。

 関東のある消防署に連絡したときには、女性が未受診であることを伝えると救急車の出動を断られたという。おそらく受け入れ先の病院を探すのが難しいためだ。

 自分で救急車を呼びますと言う女性に対しても、できる限り慈恵病院から救急車や病院に連絡を入れてつなぐようにしている。自分で呼ぶと言って電話を切った女性がその後ひとりで出産して死産となってしまったことがあったからだ。

お金のことは「産んだあとで考えましょう」


 経済的な問題が女性を孤立出産に追い込む要因のひとつになっていると真琴さんは感じていた。

「8、9割の方が保険証を持たない、国民健康保険の保険料を滞納して使えないなどの問題でお困りです。お金のことはどうにかなるから、産んだあとで一緒に考えましょうとお話しします」

 実際に、搬送先の病院の精神保健福祉士社会福祉士が地域の保健師と連携して、生活を立て直す支援ができたこともあるという。 


赤ちゃんを育てられないという悩みには?

 つい最近は、こんなケースがあった。

 東北地方に暮らす20代のその人は、昨年4月の生理を最後に、妊娠を誰にも打ち明けられず、隠して仕事をしていた。孤立出産の不安と生まれてくる赤ちゃんを育てられないという悩みを抱え、慈恵病院の電話相談にかけてきたのは今年1月。

 慈恵病院では特別養子縁組の活動も行っているが、女性はすでに長距離の移動ができない週数に入っていて、慈恵病院で出産して赤ちゃんを養親に託すことは難しい。そこで真琴さんは女性を北関東の特別養子縁組のあっせんを行うNPO につないだ。NPOが女性のお産を引き受ける病院を探し、受診に同行。2月、女性は無事に帝王切開で出産した。保険証の再発行は出産には間に合わなかったが、NPOが行政の担当者に相談し、後日、算段がついた。それにより入院費を保険で精算できる目処が立った。特別養子縁組の手続きを進める予定だ。

「この方のように出産までに時間の猶予のある方は、その方の暮らす地域の民間相談窓口や母子保健センター、あるいは特別養子縁組のあっせん団体におつなぎするなどして、病院で安全に産んでいただけるようお手伝いします。特別養子縁組のあっせん団体がお手伝いしたからといって絶対に養子に出さなくてはならないわけではありません。赤ちゃんを産んでから、やっぱり自分で育てたいと思い直す方もいます。お母さんの希望はもちろん受け入れられます」

 慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に対しては、孤立出産を誘発しているのではないかとの意見が根強くある。匿名で赤ちゃんを預け入れることができるためだ。保護責任者遺棄罪に問われないのはおかしいという批判だ。

 反対の立場をとる人は、ゆりかごには赤ちゃんが将来自分の出自を知る権利が担保されておらず、子どもの権利を侵害していると指摘する。当初は匿名性を最優先していた慈恵病院だが、熊本市からの強い要請により、預け入れた親に声をかけるよう関わり方を変えた。親との接触を重ねた結果、例えば2019年には預け入れられた11人のうち、10人が孤立出産だったことがわかっている。

一緒に責任を負うべき男性の問題を棚上げ


 だが、孤立出産は一般に思われている以上に多いのだと蓮田さんは話す。

「全国的に見れば、産婦人科で受診せずに自宅で出産するケースは決して稀ではありません。熊本市を例に挙げれば、熊本赤十字病院熊本市民病院ではたまに経験することです」

 そして蓮田さんは、「反対する人の意見にはゆりかごが母親を甘やかしているというニュアンスが含まれている」と違和感を示した。

「予期せぬ妊娠を自分で処理できなかった女性が悪いというような感じを受けます。ですが、お産に伴う陣痛は時として指を切断するほどの痛みです。加えて、医師も助産師も家族もいないなか、ひとりで分娩に立ち向かう不安は男性の私には計り知れません。まして、初めてのお産であればなおのこと恐怖は増幅するはずです。決死の覚悟で孤立出産をせざるを得なかった女性たちが抱えている背景を見なくてはなりません。世間で思われているような安易な選択では決してない。一緒に責任を負うべき男性の問題を棚上げし、女性が追い込まれた現実に蓋をしているとしか思えません」


妊娠を打ち明けられず、思いつめている女性へ伝えたいこと

 ゆりかごの運用が始まった2007年から2019年までの間に預け入れられた赤ちゃんは155人。赤ちゃんの多くは、孤立出産で生まれたと考えられる。母親がたったひとりで恐怖に立ち向かい、必死の思いで産み落とし、疲れ果てた身体で危険を顧みずに連れてきた命だ。彼らが無事に生まれ、ゆりかごにたどり着いたのは当たり前のことではない。慈恵病院が病院車で迎えに行き保護したあの女性も、入院後2日間の陣痛ののちにお産が進まず最後は帝王切開での出産となった。もし、自宅で出産していたら、長時間の陣痛に母子が耐えられたかはわからないと蓮田さんは言う。仮に逆子だった場合、赤ちゃんの命の危険は格段に高まる。

 ひとりで産む以外にも選択肢はある。

 妊娠を隠さなくてはならない事情があり思いつめている女性に、真琴さんはこのことを伝えたいと言った。

「まずは連絡してほしい。できる限りのお手伝いをしたいです。慈恵病院に限らず、各地でいろんな団体が妊娠相談の活動をしています。行政の電話相談もあります。ひとつ電話をしてみてもしうまくいかなくても、相性もあるのであきらめずに別の団体にかけてみてほしい。必ずどこかにつながるはずですし、つながってほしい。病院で安全に出産して生活を立て直すことをあきらめないでほしいです」

三宅 玲子