リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

マダム・レステル:「レステリズム」という言葉を産んだ偽の女性医師

Madame Restellに関する忘備録

ざくっとまとめてみました。

 マダム・レステル(本名アン・トロー・ローマン、1812~1878)はロンドン生まれで、イギリスで結婚してから子どもを連れてアメリカに移住した。夫は早く亡くなり、2人目の夫は出版業で、自由主義的な人々と付き合い、避妊や人口抑制に関する小冊子も出版していた。夫は彼女に「フランスで医学を学んできた」と経歴を詐称して新聞に宣伝を出すよう勧め、アンは「マダム・レステル」の名で民間療法の中絶薬を販売し始めた。しかし、薬の効き目が良くなかったため、バックアップとしての器具中絶も行うようになった。
 19世紀のニューヨークでマダム・レステルという名は広く知られ、「レステリズム」という言葉が中絶を意味するようになったほどである。マダム・レステルは貧しい女性には20ドル(1845年の通貨価値からすると、現在の6万円くらい)、裕福な女性には100ドル(同30万円くらい)で中絶を提供し、相当な財を成したという。彼女が中絶を商売にし始めた頃はまだ中絶は罪ではなかったが、1845年にニューヨーク州で中絶禁止法が通過したため、彼女は逮捕され、1年間投獄された。釈放後の彼女は中絶はやめたと公言していたが、ニューヨーク悪徳弾圧協会のアンソニー・コムストックは妻のために堕胎薬が必要だと嘘をついてマダム・レステルから薬を受け取り、翌日、警察を連れて戻って彼女を逮捕させた。コムストックの背後にはマダム・レステルの後釜を狙っている正規の医師たちが控えていたと言われている。翌朝、マダムは自宅の風呂の中で首をかき切って死んでいる姿で発見された。


Madame Restell: The Abortionist of Fifth AvenueMadame Restell: The Abortionist of Fifth Avenue | History | Smithsonian Magazine

Madame Restell - Wikipedia

Advertising Abortion During the 1830s and 1840s: Madame Restell Builds a Business