リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

第68回国会 参議院 予算委員会 第4号 昭和47年4月4日

1972年の時点で日本人の「中絶=悪」の観念は薄かった

170 ○国務大臣(斎藤昇君) 優生保護法の問題は、玉置委員のおっしゃるのは、おそらく、その中の人工中絶の問題であろうと、かように考えます。二年前に、厚生省が実態調査をやり、その直前に内閣でも世論調査をやっていただきました。その結果を見ますると、達観をいたしますると、いわゆる人工中絶というものに対する考え方は、まあ一般的に言って、人命の尊重、胎児を人工的に中絶することは悪であるという意識が非常に薄いと、国民全体的に薄いという感じでございます。これは、優生保護法の中に、人工中絶の道を認めたわけでありますが、その実際は、範囲を逸脱して行なわれている事実もあるし、そしてさらに一つは、やはり自分たちの生活を豊かにしたい、子供を育てるよりも、精神的あるいは物的な面をあれしたいという、ちょうど日本の経済成長が始まったころからの一般の風潮がしからしめたという点もあるであろうと思いますが、いずれにいたしましても、この人命尊重という面を、これをもっと徹底させなければならないと。ことに優生保護法の中で、経済的な理由で母体の健康が維持できたいときには中絶してもよろしいという規定がございますが、今日社会福祉が叫ばれ、そして児童福祉、その他も、まああるいは生活の保護の面も相当整ってまいりました。これで完全とは言えませんけれども、しかし経済的理由で人工中絶してもよろしいという、そういう考え方自身は、やはり生命尊重に反する考え方に通ずるものと、かように考えます。したがいまして、こういう点をぜひ是正しなければならない。
 同時に、人工中絶をどうしてもやったほうがいいという面もございます。たとえば、妊娠中にいろいろな医学的な問題から、奇形児が生まれるであろう、重症の心身障害児が生まれるおそれがあるというような場合には、これは、生命の尊重とは言いながら、そういう方々は一生不幸になられるわけでありますから、こういう場合には、新しく人工中絶を認める必要があるのではないか。さらに、優生保護法の中で、家族計画、いわゆる妊娠調節の規定が——規定というか、これをもっと普及をするようにという規定がございます。そういった家族計画を健全にやっていく。ことに、第一子の子供は、これは非常に大事な子供であるというようなことを強調し、妊娠中絶、人工中絶をやらないで、家族計画によって、そして理想的な家庭を持つという方向に進めていくというような方向に、ぜひ改正する必要がある、かように考えまして、ただいま関係方面と折衝中でございます。したがって、この折衝が済みましたら、できればこの国会にぜひ提案をいたしまして、皆さんの御審議の上、ぜひ通過をお願いをしたいと、かように考えて、その調整を急いでいるわけでございます。
171 玉置和郎君 いま厚生大臣から、るるお話がありまして、この妊娠中絶に関する優生保護の一部改正、これが近く政府提案の形で出されるということ、まことにうれしい限りでございます。
 そこで、総理にお伺いをいたします。さきのこの委員会で、私もちょうどここで聞いておりましたが、総理は、本問題を単なる人口問題だとか、若年労働者の確保だとかという形でとらえることは、これは間違っておると、何としても政治の根本は、生命の尊重だと、こういう観点からとらえるべきだというお話がありまして、私たち深い感銘を受けたものであります。そうして、言うばっかりでなしに、みずから水子の供養の先頭にお立ちになりまして、秩父の山奥まで、御夫妻そろってお出かけになっておられます真剣な総理の、そうした生命尊重という態度に対して満腔の敬意を払っておりまするが、この問題について再度御見解を承っておきたいと思うのでありますが、よろしくお願い申し上げます。


172 国務大臣佐藤榮作君) 先ほど来の御意見、お尋ねの中にも、これ、やはり関連するのじゃないかと思います。最近の乱れ、セックスの問題、ことに生命尊重、これがどうもそのままことばどおりに守られていない。そういうところにも堕落があり、やはり社会秩序の破壊もあり、いろいろの犯罪にもつながると、こういうように指摘ができるのではないかと思っております。ただ、先ほども厚生大臣が申しましたが、優生保護、まあそういうほうからこの問題に取り組む、そういう方もあります。しかし、私は、ただいま御指摘になりますように、もっと生命の尊厳、それは胎児のうちから、まあ片一方で胎教ということばがあります。胎児の間から教育をする、その感じを持ってその胎児を大事にするところにやはり将来性があるのだと、生まれた子供もしあわせになれるのだと、こういってやはり胎教というものを盛んに唱えておる人もあります。私は、一面で、わが国が堕胎天国だという、そういうたいへん忌まわしい、また耳にする、口にするすらたいへんいやなことばを言われております。これは、先ほど来の優生医学というか、そういう意味からも、乱用されているんじゃないかと、こういうことがあってはならないように思います。私は、子供を労働の観点から、労働充実から、それを大事にしろとか、そういうのではございません。ただいま申し上げますように、社会秩序の乱れ、そこらにやはり関連があるんではないかと、さように考えるがゆえに、やはり胎教ということを大事に考える。まあ、そういうことを考えると、いわゆる家族計画、これなぞはあまり功利的に考えるべきもんじゃないと実は思っております。でありますから、一応理論的には合うようだが、これはもっと、自然の授かりものとして、われわれが大事にしていくと、こういうことが必要ではないだろうかと、かように思っております。
 たいへん堕胎あるいは中絶という、まあ、いわゆるそういう不幸な方々を祭りたいという、水子供養をしたいという、そういう奇特な方がありまして、それがただいま御指摘になりましたように、秩父の奥に水子地蔵尊を建立すると、私のところにも相談に見えましたので、私も、生命は大事にすべきだと、また、こういうところに大事にする、しがいのある仕事だと、かように実は思って、わずかながら力をかしておると、こういうことであります。私は、いまの問題も、すべてをそこに結びつけることは、これも行き過ぎでございますけれども、どうも最近の諸悪の根源の一つに、ただいま言われるような点がある。これは何としても悪を除く、こういう意味で取り組むべき筋のものだ、かように私は思っておる次第でございます。

訳の分からない答弁だ。