リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

「北京+10」記念シンポジウム(概要)

2005年の議論 日本の女性研究者比率はOECD最下位

ジェンダーエンパワーメント指数は38位だったという……。
「北京+10」記念シンポジウム(概要)

1.趣 旨
女性と男性が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発
揮することができる男女共同参画社会の実現は、21 世紀の我が国社会を決定する最重要課題である。
そこで、国際婦人年より30周年、第4回世界女性会議(北京会議)より10年を記念し、果敢な「チャレンジ」により道を切りひらいてこられた方、日本の女性の地位向上に貢献してこられた方をお招きし、それぞれのご経験と男女共同参画社会の将来展望について語っていただくことにより、男女共同参画社会づくりに向けての人々の一層の理解と協力を得ることに資するため、標記シンポジウムを開催することとしたものである。
2.全体テーマ
北京をこえて ~きりひらく男女共同参画の未来~

3.主 催
内閣府男女共同参画局

4.開催日時
平成 17(2005)年9月5日(月) 14:00~16:30

5.開催場所
日本消防会館ニッショーホール(東京都港区虎ノ門 2 丁目 9 番 16 号)
6.参加者数
約 400 名(全国の女性団体、都道府県、市町村、関係省庁等)
7.プログラム
8.会議概要

【主催者挨拶】
主催者挨拶:男女共同参画担当大臣 細田博之内閣官房長官
皆さん、こんにちは。私、内閣官房長官男女共同参画担当大臣の細田博之でございます。「北京+10 記念シンポジウム」の開催に当たりまして、一言ごあいさつ申し上げます。
まず始めに、本日お集まりいただきました皆様方には、日ごろから男女共同参画社会の実現に向けて御尽力をいただきまして、担当大臣として心から感謝申し上げます。
本日は、台風が接近しているということで、全国的にお出かけにくい方もおられましたし、これからお帰りを御心配の方もおられると思います。また、都内では、昨日、だいぶ雨が降りまして、被害を受けられた方には、心からお見舞い申し上げます。今後とも御注意をいただきたいと思います。
先ほど、男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰を行いました。受賞者の皆様にはこれまでの御尽力に心から感謝申し上げますとともに、今後の益々の御活躍をお祈り申し上げます。
1975 年の国際婦人年以来、女性の地位向上を図るための取組が、世界各国で行われてまいりました。特に、1995年9月には、北京におきまして、第4回世界女性会議が開催され、北京行動綱領が採択されました。この行動綱領は、「平等、開発、平和への行動」を新たに誓約し、女性の権利を人権として再認識したものであり、21 世紀に向けた女性の地位向上のための国際的なビジョンとなっております。
今年は、この北京会議から10周年となる節目の年であります。本日、このような節目の年を記念いたしまして、「北京+10記念シンポジウム 北京をこえて~きりひらく男女共同参画の未来~」を開催し、果敢なチャレンジにより道をきりひらいてこられた方々、日本の女性の地位向上に貢献してこられた方々をお招きし、男女共同参画社会の将来展望を語っていただくことは、我が国の男女共同参画社会の実現のために大変意義深いものと考えております。
今年の初めに国連において開催されました「北京+10」会合では、これまでの各国政府による取組の成果が高く評価されるとともに、さらなる取組の必要性が強調されました。
これを受け、政府といたしましては、施策の一層の充実を図るべく、現在、男女共同参画基本計画の改定に取り組んでおります。
また、先般設置いたしました関係閣僚による「女性の再チャレンジ支援策検討会議」において、本年中に女性の再就職・起業等の総合的な支援策を取りまとめ、関係府省一体となってこれを実施してまいります。
しかしながら、このような取組が実を結び、男女共同参画社会を実現するためには、国民一人一人の協力が不可欠であります。本日、お集まりいただきました皆様方におかれましては、一層の御支援と御協力を賜りますよう、改めてお願い申し上げます。
終わりに、本日のシンポジウムにおきまして、活発な議論が行われ、その成果が参加された皆様の今後の活動に活かされることを期待いたしまして、私のごあいさつとさせていただきます。
【来賓挨拶】
皆様こんにちは。房野でございます。本日は、内閣府の主催で、北京+10 記念シンポジウム「北京をこえて~きりひらく男女共同参画の未来~」の開催に当たり、国際婦人年連絡会を代表してごあいさつを申し上げます。本日は、はからずも、私ども国際婦人年連絡会の所属団体である国連NGO国内婦人委員会の委員長である江尻美穂子が、男女共同参画社会づくり功労者として表彰されましたことは、今年、連絡会結成30周年に当たり、私どもNGOの地道な活動をお認めいただきましたものと大変うれしく存じております。早いもので、あの世界中から約5万人が参加して開いた北京会議から 10 年が経ちました。
このようなシンポジウムを開催して、ジェンダー平等による男女共同参画の周知を図られます ことは誠に意義深いことと存じます。
さて私は、つい数日前に中国婦女連、中国外務省、中国国連システム等の主催で3日間に わたって北京で開かれました第4回世界女性会議10 周年記念会議から帰ってきたばかりでございます。この会議は、海外から 500 名、中国国内から 500 名が参加した 1,000 名規模の会議でございました。
開会式では、呉中国国家副首席の司会で、胡錦涛中国国家首席、スリランカ大統領、 エストニア大統領、国連事務総長を代表する国連人権高等弁務官などがあいさつをなさいました。特に、胡錦涛国家首席は、ジェンダー平等が、いかに開発にとって鍵であるかについて 大変によい演説をなさいました。
開会式に続く3つの本会議で、婦女連会長、モザンビーク首相、国連ジェンダー問題事務総長特別顧問、北京会議NGOフォーラムの議長マスディットさん等に続いて、合計 51 人の各国閣僚、政府高官、女性団体の長、国連関係者より、この 10 年でジェンダー平等に向けてどういうことをしたかについての演説がございました。日本は、名取局長が参加されましたが、演説の順番は香港やマカオよりも後、NGOよりも後の最後に回され、現在の中国の日本に対する態度を如実に見せつけられましたが、名取局長は、最後までにこやかに、忍耐強く、きちんとした報告をなさいました。この 51 人の人たちの中で男性はわずか4人で、次々と登壇する女性大臣や政府高官の数に圧倒されました。
最終日には、6つのテーマ別ワークショップが開かれました。その6つのテーマとは、女性と意思決定、女性の経済的エンパワーメント、女性の人権と女性に対する暴力の撤廃、女性と持続可能な開発、女性と貧困撲滅、女性とHIVエイズで、日本から出席した約 20 名のNGOは、それぞれワークショップのために論文を出していたのですが、1つも取り上げられませんでした。しかし、日本のNGOは、フロアから発言してワークショップに協力いたしました。
ワークショップの後に開かれた本会議で、「北京+10 宣言」が採択されました。これは大変弱い文章であるとの批判もございましたが、婦女連や中国外務省の見解では、これは国連文書ではないし、法的拘束力もないので、原則だけ述べればよいということでございました。
国際婦人年連絡会では、「女子差別撤廃条約」と、それから、「ディセントワーク(decent work)」について言及するように前々から提案しておりましたところ、この提案が取り入れられ、宣言文に入りました。27 パラグラフより成るこの宣言は、早速翻訳いたしましたので、多くの方々に広めたいと思います。
閉会式で、モザンビーク首相、国連の中国駐在コーディネーター、アメリカのNGO代表、婦女連会長のあいさつがございました。どのスピーチを聞いていても、ミレニアム開発目標達成の根底には、ジェンダー平等がなければならないということを思い知らされました。
皆様、真の男女共同参画社会実現のために、日々力を合せて活動し、日本の男女共同参画を一層前進させようではありませんか。日本はジェンダー平等の点では、世界に後れを取っております。国連開発計画のGEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)がこのことをはっきりと示しております、ということを申し上げて、私のごあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。
【「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」受賞者紹介】
今回で3回目、10年ぶりに行われた「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」(以下、「総理大臣表彰」)の受賞者27名の紹介が行われた。
男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰は、国際婦人年から 30 周年を記念し、男女共同参画社会づくりに関し顕著な功績のあった個人を内閣総理大臣が顕彰することを目的とするもの。
【基調講演】
「女性の活躍の場をひろげるために」
米沢 富美子(慶應義塾大学名誉教授/2005 年度ロレアル・ユネスコ女性科学賞受賞者)

(1)物理、アモルファスについて(20 世紀までの成果と 21 世紀の展望)
物理というのは、日本語で言えば、字でそのまま表される「物の理(ことわり)」を解き明かす学問である、と捉えている。「物」というのは、森羅万象、宇宙に存在する一切のもの、天体や地上の物体すべてである。それに加え、今は、地上の生命、宇宙の中の生命といったことについても、物理学がいろいろ考えていこうという段階に達している。
まず、空間的なスケールについて。非常に広い範囲の長さのものを20世紀の物理学は明らかにしてきた。この長さは、ただの数ではなく、桁数(対数、「10の○○乗」。10の0乗は1、1乗は10、2乗は100、マイナス1乗は0.1、マイナス2乗は 0.01)で表す。
この世に存在するすべてのものの中で一番大きい宇宙そのものは10の26乗、単位はメートルである。これは1兆の数百兆倍といった大きさである。また、私たちの地球が属している太陽系は、およそ10の13乗、地球は10のおよそ6乗となる。
小さい方も調べられている。原子、アトムは 10 の-10 乗、原子核は 10 の-13 乗。一番小さい究極の素粒子であるクォークと呼ばれるものは、10 の-18 乗であり、想像できない小ささである。
20 世紀の物理学は、宇宙からクォークまで、桁数にして 44 けたのスケールのものを研究してきたということになる。
このスケールをもっと直感的なもので考えてみたい。光が進む速さは、1秒間に地球の赤道の回りを7回り半するが、その光速に乗って 138 億年走り続けると、それが宇宙の端から端となる。この138億光年という宇宙の大きさは、肉眼ではなく電波望遠鏡などで地球から見る情報により明らかとなった。
今 度 は小 さい方 を考 えてみたい。物理学の実験では、手の上に乗る程度、あるいは指でつまめる程度の大きさの「サンプル」を用いる。この「サンプル」をはじめ、すべての物質、生物、人間は、アトム=原子でできていることはご存じと思う。そこで、「サンプル」を地球の大きさとすると、アトムはパチンコ玉くらいの大きさとなる。
このアトムも最終的な単位ではなく、その中央に原子核がある。アトムがパチンコ玉の大きさとすると、原子核は針の先ほどの大きさとなる。原子核も最終単位ではなく、その中に陽子、中性子と呼ばれるものが入っている。今、原子核は針の先ほどの大きさになってしまったので、その中にある陽子や中性子は表すことができない。そこで、この陽子をもう一度、太陽系の大きさにしてみる。すると、先ほど説明した一番究極の素粒子クォークは、やっとパチンコ玉の大きさになる。このような二段階の拡大作業を行ってやっとたどり着く、そのような小さな世界が 10 の-18 乗である。20 世紀の物理学は、宇宙からクォークまでの要素に還元するという考え方で進められてきたといえる。
私の専門であるアモルファス及び不規則系には、半導体、金属、ガラスなどがある。ワイングラスなども含まれる。
また、いろいろなプラスチックを合成する高分子、テレビなどの画面になっている液晶、そして液体自体もある。
アモルファスあるいは不規則系というと、何か特別なものかと思われるかもしれないが、多くは身の周りにあり、本当にランダムな世界である。
片や、20 世紀の生物学は、やはり要素還元論で、生物を細胞に分け、細胞をDNAという、これは物理で言えば原子に相当する基本単位にまで還元した。今や、ラジオでも新聞でもテレビでも、ただ「DNA」といえば誰でも理解できるレベルになるほど、一般の人々の知識としても浸透している。
では、21 世紀の物理学はどうなるのか。今度は、階層の「上から下」ではなく、素粒子から出発して原子、分子を組み立てる。生物学では、DNAを組み立て、生きた組織細胞に、そして臓器に、さらには生物個体にしていくという、階層の「下から上」を見ていくことになる。
下から上に行ったとき、下のレベルの物質にはなかった性質が、上のレベルに行くとはじめて現れ出てくる。例えば、生きた組織細胞以上のレベルでは、「生きている」ということが本質的な特性になる。素粒子、原子、分子は生きていない。DNAも生物の単位だが、これ自身はまだ高分子であり、「生きている」とはいえない。組織細胞になってはじめて、「生きている」という性質が出てくる。21 世紀では、これらがどういうことなのか、どうしてそうなるのか、について解き明かしていく。生物の話のように聞こえるかもしれないが、これは物理学も大きく関与するテーマである。生物個体については、生命があり、脳があること、そして、知能、心といったこと、少なくとも脳の中での知能の成り立ち、というようなことが、少しずつ解き明かされている。
(2)女性科学者を取り巻く状況について
次に、女性科学者の現状を、日本と海外とを比較してお話ししたい。
10 年ほど前の統計だが、大学の物理学科の全スタッフの中で、女性が占める割合を 31 か国について調べたものがある。女性の割合が一番高いのは 47%のハンガリー。以下、ポルトガル、フィリピン、ロシア、タイ、イタリア、トルコ、中国、ブラジル、ポーランド、スペイン、フランス、ベルギー、インド、南アフリカアイルランド、台湾、オーストリア、オーストラリア、オランダ、メキシコ、英国、アメリカ、ノルウェー、スイス、ドイツ、カナダ、最後に日本の順。日本は 31か国中最下位である。
では、10 年間でその事情は変わったのか。2004 年の統計を見てみたい。まず、OECD経済協力開発機構)が出している、各国の高等教育(大学・大学院など)の卒業者に対する女性の割合では、OECCD 加盟30 か国の中で、日本はやはり最下位である。
次に、研究者に占める女性の割合を、2002 年の OECD30 カ国についての統計で見ると、日本はその中でやはり最下位である。韓国、ポーランドスロバキア、トルコ、ハンガリーといった国よりも低い。
今年6月に、ルーマニアで開催された国際会議に参加した。会議には、ブルガリアハンガリーなど、近隣の東欧諸国やロシア、トルコなどから多くの研究者が参加していたが、参加者に占める女性の割合が非常に高かった。日本であれほど多くの女性物理学者を見ることはない。(今紹介した)統計を実感した次第である。
では、日本の状況はずっと変わっていないかというと、日本の研究者(理科系のみならず文科系、社会学系を含めた全ての分野)の中で女性が占める割合は、1992 年で 7.9%、2003 年で 11.2%と、少しずつ伸びてはいる。減るよりはましだが、まだまだ少ないと思う。理科系の女性研究者に限れば、理科系全体に占める割合は4%程度にしかならない。
ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言ったり、「日本は経済的にはアメリカに次ぐ世界第2の国だ」と言ったりする男性の方々は、日本が最下位となっているこの OECD 統計をどのように感じるのか聞いてみたい。
なぜ日本では女性研究者が少ないのか。外国と比べて特に制度が後れているわけでは決してないと思う。今回、ロレアル・ユネスコ女性科学賞をいただいたときは、他にチュニジア、ブラジル、フランス、アメリカの方がおり、計5人が受賞した。チュニジアの受賞者のお母様は、小学校にも行けなかったとのことであり、今も女子教育は非常に後れているようだ。ブラジルも同じような状況である。
また、フランスにおいても、理工系で最高峰とされる大学、エコール・ポリテクニークでは、1972 年まで女性の入学は許されなかった。さらに、フランス科学アカデミーの女性会員は 1979 年まで皆無だった。
アメリカの受賞者が、「成功した女性科学者のなかには、私は別に差別を受けなかった、と言う方がいるかもしれない。多分、その人はあまり差別を感じないまま来たのかもしれないが、成功した人がそのような発言をすることにより、あたかも差別がないような印象を与えてしまうのはよくない」というふうにおっしゃっていた。ハーバード大学の学長から「女は科学に向かない」という趣旨の発言が飛び出すくらいの国なので、アメリカでもいろいろなことがあり、やはり厳然と差別があるようだ。
一方日本では、戦後、60年近く前には、女性参政権ができ、国公立大学に女性が入れないということはなくなった。
従って制度上は、フランスのエコール・ポリテクニークなどよりはるかに進んでいるといえる。フランス科学アカデミーと比較しても、日本学術会議の女性会員が生まれたのが 1981 年なので、それほど差はない。
しかしながら先ほど見たように、日本は 30 番目という非常に低い順位である。これは、制度としては整ったが、精神的な土壌が後れている、ということではないかと思う。つまり、第2ステップとしての「たたかい」は、「精神的な土壌」ということになるのではないか。

(3)シンポジウム参加者へのメッセージ
日本で理工系科学者に占める女性の割合は4%、学生の数は4%、研究者として就職しているのは全体の2%である。私が会長を務めさせていただいた日本物理学会では、大学院の学生を含めた2万人の会員の中で、女性の割合は3%弱である。
それでは、このような状況を踏まえ、「女性研究者を増やさなければ」となったときに、はたして「女性がサイエンスに参加すれば、こういう良いことがある」といったことを言う必要はあるのだろうか。例えば、「女性は産み育てる性なので、人間にやさしい科学技術をつくる」、「兵器や環境を破壊するものはつくらないだろう」、だから女性を参加さ
せよう、ということを言う必要はあるのだろうか。
そういう論理は要らない、というのが私の主張である。そもそも女性は戦闘的ではない、攻撃的ではない、優しい、といえるのか。これは大いに「?」である。そのようなアリバイ証明あるいは言い訳をする必要は全くない、と私は思う。
これは他の分野においても同様である。人類の半分は女性、従って、すべての分野に女性が半分いて当然ではないか、それだけでいいと私は考える。
私から会場の皆さんへのメッセージは、先ほど申し上げた「女性の参加について、現在は、制度を整えた後の第2ステップとして、精神的な土壌とのたたかいがある」ということ、そして今申し上げた「女性の参加を増やすのに、アリバイ証明あるいは言い訳は要らない」という2つである。精神的な土壌には、外なる敵、また内なる、女性自身の気持ち(女性だからできない、といった気持ちなど)とのたたかいの2つがある。精神的土壌というのは、制度とは異なり、目に見えず、達成ポイントが明確でないので、終わりが見えず、非常に大変なたたかいであると思う。
御清聴ありがとうございました。(拍手)

【パネルディスカッション】
●コーディネーター: 篠塚 英子(お茶の水女子大学教授、男女共同参画推進連携会議議員)
●パネリスト(五十音順):内永 ゆか子(日本アイ・ビー・エム株式会社取締役専務執行役員男女共同参画会議議員)
田部井 淳子(登山家、平成7年度功労者表彰受賞者)
山田 昌弘 (東京学芸大学教授、女性に対する暴力に関する専門調査会委員)
※シンポジウムの趣旨
1975 年の国際婦人年以来、女性の地位向上を図るための取組が世界的な規模で行われ、1995 年には、北京で開催された第4 回世界女性会議、通称「北京会議」において、21 世紀に向けた女性の地位向上のための世界ビジョンである「北京行動綱領」が採択された。
日本においても、1975 年以来、男女共同参画への取組が行われ、1985 年には女子差別撤廃条約を批准した。
2000 年には、男女共同参画社会基本法により、男女共同参画社会の実現は、日本政府の最重要課題と位置づけられるに到った。
今年、2005 年は、北京会議から 10 周年、国際婦人年から 30 周年、日本の女子差別撤廃条約批准から 20 周年となり、国連では、女性の地位向上に関する重要な会議である「北京+10(ペキン・プラス・テン)」会合が開催された。「北京+10」では、10 年前に採択された「北京行動綱領」等を再確認し、その完全な実施に向けた一層の取組を国際社会
に求める内容の宣言が採択されている。
このような経緯を踏まえ、日本アイ・ビー・エム株式会社初の女性取締役である内永氏、女性で初めてエベレスト登頂を成し遂げた田部井氏、「パラサイト・シングル」という言葉を送り出され、社会学の観点から家族・親子・夫婦などの問題を分析されている山田氏をパネリストにお迎えし、男女共同参画社会の将来展望について考える。
(1)出演者自己紹介
○ 内永氏
このようなすばらしい機会をいただき感謝する。私は 1971 年に大学を卒業して日本アイ・ビー・エムに入社、現在 は開発製造部門を担当し、様々なテクノロジーや製品の開発・製造と基礎研究の統括をしている。国際婦人年から 30 周年というお話があったが、この 30 年間は自分の会社生活とほとんど重なるということもあり、そういった中から何かお話しができればと思う。

○ 田部井氏
ちょうど 30 年前の 1975 年にエベレストに登頂した。その年が国際婦人年だということを自分は全く知らなかった。
帰国し、新聞報道で「国際婦人年飾る」というタイトルを見たときにはじめてそのことを知った。その当時、女性がエベレストに行くということに対しては、社会的な批判がかなり多かったと思う。企業に寄付をお願いして回る際も大変苦労した。先ほど、米沢先生のお話の中に「精神的土壌」という言葉があったが、先生の精神的土壌を支えたのは、物理研究と家庭生活を応援されたすばらしい御主人ではないかという気がする。自分は科学ではなく山登りの分野だが、1人より2人でいた方が自分の思うことができそうだ、ということで結婚し、それが「大当り」だった、(夫は)「役に立つ男」であった。「役に立つ男」というのが自分のキーワードであると思う(笑)。
○ 山田氏
自分はずっと家族社会学、つまり家族問題、結婚問題、少子化、役割分業などについて研究してきた。家族の研究には、必ず男性、女性が絡んでくるので、そういったことで本日お呼びいただいたと思う。最近は、フリーター、格差といった方面にも研究範囲をひろげており、今日はその話もしたい。なぜ家族の研究を始めたのかとよく聞かれるが、それには自分の経験(学生の頃に母親が寝たきりとなり、父、弟と3人で介護をしながら、研究、家事、仕事等を両立してきた)が影響を与えていると思う。
○ 篠塚氏
自分は 11 年間お茶の水女子大学に勤務した後、日本銀行で 3 年間役員を務め、3 年前に同じ大学に戻ってきた。
日本銀行にいた 3 年の間に、女性職員がいる企業同士で是非コミュニケーションを、ということで日本アイ・ビー・エムの内永氏のところにうかがい、同氏とはそれ以来のおつき合いである。お茶の水女子大学では、大学経営の中に女性役員を多く取りこむことについて協力し、その過程を間近で見た。女性が組織のトップに入り、思いがけずすばらしい企画が出てくるのを目の当たりにした。自分がこの場にいることも、そのような経緯からであると思う。
(2) 国際婦人年からの 30 年で、きりひらかれてきた女性の参画可能性とは何か、また未だに残されている課題とは何か
○ 田部井氏(山、スポーツの分野について)
山へのきっかけをつくって下さったのは、非常に山好きで、自分を山に連れていってくれた小学校の担任の先生だと思う。お陰で、学校の教科書や黒板では教えられないもの、本当に自分の足で歩き、自分の目で見、自分の肌で感じて新しいことを知るという、この感動を教えていただいた。この先生がいらっしゃらなければ、自分の山との出会いはなかったと思う。当時(昭和20 年代初期)は、それほど山に行く機会はなかった。岩登りがしたかったので、大学卒業後、社会人の山岳会に入ったところ、全員が男だった。男性と一緒に岩登りをして感じたのは、まず男性と女性の肉体の違いである。一番の違いは歩く、走る、登る速度。また、瞬間的に出す力、重い物を持ち上げたり、岩場にハーケンを打ち込んだりする時の力なども違う。男性と女性は絶対的な差がある。この男女が同じルートを同じ時間で登っていくのは非常に難しい。ヒマラヤなど、長期間山に行く場合には、やはり肉体的な条件が同じ者同士で行った方がいいと感じた、これが大きなきっかけとなり、女同士でヒマラヤに行こうと思うようになった。1つの目的に向かっていく場合、女同士の方がフェアだという意味で、女子だけの登山隊をつくったのである。なお、女性が勝っている点 は、1つのことを持続する持久力や耐久力、なかなか物事をあきらめないという点ではないか。
苦労した点というのは自分にはあまりない。勿論、企業に寄付をお願いして回る際、またその他のいろいろな場で、「女だけのエベレスト登山隊は無理だ」というような見方をされた、ということはある。しかし、夫も山が好きで、強く後押ししてくれたので、自分は全く迷うことなく好きなことを続けてこられた。これまで、全世界でエベレストに登頂した人は 2,100 を超えているが、女性はそのうち 126 人、わずか5%程度。今、日本の山では、女性が非常に大きな力(自分たちはそれを「バリキ」=「婆力」と呼んでいる)を発揮している。女性たちは非常に元気で、友達も多く、生き生きしている。30 年前とは目の輝きが違う。そういう意味で、この 30 年でゆるやかながら、女性のおかれた立場、境遇
は変わってきたのではないかと思う。
○ 山田氏(これまで実施した専門の研究結果などから)
今は、経済・社会状況の大きな転換期に立っていると思う。グローバル化、IT 化、あるいはニューエコノミーなどにより、新しい社会・経済環境がもたらされた。そのなかで、男女共同参画に関しても、新たな側面が出てきたのではないか。勿論、プラスの側面も相当ある。例えば、女性を活用する企業は業績が良い、といった調査データが出ていることなど。
昔の産業、つまり高度成長期の物づくり産業の時代は、朝から晩まで働き、物をどんどんつくって売ればよい、という時代だったと思う。しかし今後は、つくれば売れる、というわけではなく、何が求められているかを察知する能力、広い意味でのコミュニケーション能力ともいうべきものが求められている時代だと考える。生物学的に決まっているというわけではないが、今のところそのような察知能力は、女性の方が習得する機会が多い。もちろんこのような察知 能力を持つ男性も、今後活躍できると思う。そういう意味で、これまで「男性的能力」とされてきたもの以上に、「女性的能力」とされてきたものが、経済的な活躍にとり必要になってきていると思う。
米沢先生も先ほどの基調講演で強調されていたが、このいわゆる「女性的能力」は女性だけが持っているから、だから女性が必要、というわけではない。ちなみに、自分は男性だが、非力で粘り強くもない(自分のゼミの女子学生に腕相撲で負けたこともある)。もともと「女性的能力」を持っているか、持っていないかに関わらず、今後女性の活躍する場は広がってくる、というのが1つある。
もう一点、すべての人が正社員として勤められるわけではない、という時期になってきたと思う。つまり、活躍できる女性もいるが、取り残される女性、更には正社員として勤められない男性が出てきている。そういう中で、これまでの男女に関する固定的な意識のままでいると、多分、日本は大変なことになるのではないかと思う。
従って今後は、新たな経済・社会状況に対応した、新しい形の男女の分業の在り方、意識の在り方が求められている、と考えている。
○ 内永氏(働く場など)
30 数年前の 1971 年に大学を卒業し、日本アイ・ビー・エムに入社した。当時から弊社は同じ仕事なら男女関係なく機会均等の方針だったが、国の制度、特に、労働基準法などが女性の残業について非常に厳しく、休日出勤もできない内容になっていた。
この 30 年を振り返ると、現在では制度上の問題はほとんどなくなったと思う。働く環境も同等であり、手厚い保護もある。しかし一番の問題は、先ほど米沢先生が基調講演でおっしゃった内容に私も全く賛成で、「目に見えないもの」だと思う。たとえば、いわゆる「(グッド・)オールド・ボーイズ・ネットワーク」、すなわち、男性たちが長い間培った本人たちも意識しないような独特のネットワークがあると感じる。女性はなかなかこのネットワークに入れないし、ネットワークの存在自体がわからないこともある。
また、女性たち自身の「内なる問題」がある。一般に女性は自分の人生について男性よりも多くの選択肢を持っており、苦しくなれば別の選択肢を選びやすいため、1つのことをなかなか全うしにくい。さらに、日本では昔から、どちらかというと女性は男性の後ろ、といった文化があるので、「チャレンジする」ことについて、なかなか一歩を踏み出さない傾向がある。
私が日本アイ・ビー・エムの中で現在のポジションに就いたのは、会社が女性活用を慈善事業と考えたからでは決してない。弊社では、女性活用も含んだ「ワークフォースダイバーシティー(人材の多様化)」推進を、IT 分野でグローバルな厳しい競争で勝ち残るための「非常に重要な企業戦略」と位置づけている。アイ・ビー・エムでは各国の女性の活躍率を数値化し、目標値を定め、ウィメンズ・カウンシルという組織を作って女性の活用促進を熱心に行っている。全世界約160 カ国で事業展開しているが、この促進活動を始めた時、女性の活躍率では日本アイ・ビー・エムが世界 160 カ国のうち最低だった。最下位でありながら、このような場でお話するのは大変心苦しいが、それでも日本アイ・ビーエムは女性を活躍させている、と日本の中では言っていただけるということは、日本自身が
もっと変わっていく必要がある、ということではないかと感じる。
男女で優秀な人材がいる割合はそう変わらないはずなのに、人口の半分(男性)しか活用しないというのは、グローバルな世界を勝ち抜いていこうとする企業にとっては非常にもったいない話である。
○ 篠塚氏(パネリストの発言を受けてのコメント)
内永氏のケースは、やはりかなり進んでいる企業の例であろう。30 年前の 1975 年は、女性の地位が低いことが一国のみの問題ではなく、世界中で普遍的な問題であるということで、国連が音頭を取り、この問題を考えていくこととなった、そのスタートの年である。そのスタートの時点で、内永氏が大学を卒業し、以来 30 年、企業の中で勤め続けられたということは、すばらしいことではないか。
自分自身のケースを紹介すると、働き始めたのは内永氏とは5、6年の違いだが、状況は全く同じだった。男女の給料の差が2倍あり、労働組合をつくって、男性と女性の給与を同じにしろという運動から始めていった経緯がある。日本の男女の地位の差に関し、一番問題となっているのは、経済的側面における力の性差というものが非常に大きいことではないかと思う。
過去10 年を考えると、日本にとっての 1995 年は、いわゆる「失われた 10 年」、90 年代の後半から長く続いた厳しい経済状況、不況の 10 年と重なる。
その中で、経済とジェンダーとの間で何が起きたかというと、戦略とは言いながら、女性が正社員から排除されていった。今、男性と女性とで正規雇用、非正規雇用という形に分けると、男性は正規雇用がまた8割いるが、女性は5割を切り、非正規雇用の方が多くなっている。1985 年、日本は男女雇用機会均等法が制定され、これが 90年代になり改正された。つまり、制度は着実に整ってきたが、中身の方は、この経済状況の中で進まず、女性の置かれている立場は一層悪くなっているようにも思う。
(3) 今後の10年で、男女がともに輝く社会=男女共同参画社会の実現に向けて、必要とされる変革は何か。(先の30年との違いとなるキーワードを例示)
○ 山田氏
性別役割分業、固定的な性別役割意識というものによって被害を被っているのは果たして女性だけなのか、という意識からスタートしたい。
キーワードとしては、「男女共同参画は日本を救い、男性を救う」あるいは「男性が家族を支えるべき、という意識を変えよう」ということ。「男は仕事、女は家事・育児」という意識に対し、表面的にはノーと答える人が多くなってきたかと思う。しかし、質問を変えて「夫は収入を得る責任を持つべきか」と聞くと、日本では、フルタイムで働く女性でも84.6%の人がイエスと答える。スウェーデンでは、パートタイムの女性でも、同じ内容の質問をした場合、イエスは24.3%しかいない。この辺りの意識が変わっていかないことがネックになっているのではないか。自分は結婚問題、そして離婚問題なども研究しているが、フリーター男性は結婚相手として選ばれにくく、男性は失業した途端に離婚をされてしまう、というケースも多い。「男は仕事、女は家事・育児」という意識が女性の社会進出を妨げているという側面もあるが、同様に、一部の男性に過重な負担を強いている、そして、それが少子化につながっているという側面もあるのではないか。今後は、「夫、男性が家族を支えるべき」という意識の変革、つまり、「男女どちらかが支えればいい」もしくは「一緒になって支えればいい」という形での意識の変革が必要になってきている。男女とも今までの固定的な意識にこだわらず、多様な家族形態を取っていかなければ、日本の家族はもたなくなっている、というふうに思う。
○ 田部井氏
今年1月、チリ最高峰の 6,900 メートルの山にガイドと登頂した。そのガイドがすばらしかった。日本語は話せないが、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の4か国語に堪能で、スーパーで新鮮な野菜や果物をきちんと選ぶことができ、レストランで料理に合うおいしいワインも選べる、冗談もうまい、悪路も安全に運転し、見た目も良い、足も長い、そして、一緒にいて会話が非常に楽しい、もちろんガイドの仕事も一生懸命やる。こういう男性が果たして日本にいるだろうか、と思った。「一緒にいて役に立つ男性を増やそう」ということがキーワードではないかと思う。
○ 内永氏
田部井氏の「役に立つ男性を増やそう」に大賛成。
山田氏が指摘されたこととも関係するが、よく考えてみると、男性であれ女性であれ、人生において選択肢が多いのはよいことだと思う。
つまり「ともかく頑張って企業に入り、あるいはビジネスをやって家庭を守る義務がある。それが男だ」と決めつけられる男性はかわいそうだし、「家に戻って子育てに専念し、すばらしいハウス・ワイフを務めるのが女性」と決めつけられるのも迷惑だと思う。今後は、自分の人生(に対する考え方)、また自分の持っている「強み」といったものを活かし、自由にライフサイクル、ライフスタイルを選ぶことができる、そういう社会になっていく必要があるのでは、と感じる。そういう観点で、まさに男女共同参画、男性も女性もそれぞれ自分のライフスタイルを選びつつ、互いに助け合って人生を送る、そういった社会が望まれると思う。
とは言っても、女性と男性のいろいろな違いは存在する。そういう中で、女性の活躍を支える社会的なインフラはまだまだ十分ではないと感じる。女性がハンディキャップを負っていることに対しての様々な制度面の整備は随分進んだと思うが、例えば、女性が出産し、子育てをしながら仕事も続けたい、という意欲を支援するインフラは十分でない。また男性が家に入り、家事をやりたい、と思っても、その男性を支える部分がまだ十分でない。つまり、「自由なライフスタイルを支える社会的インフラ」を、今後皆でつくっていく必要があるのでは、と考えている。

(4) フリーディスカッション(就業の場での男女の仕事の「住み分け」、労働力の流動性、「ジェンダー」という用語について等)
○ 田部井氏
適材適所という言葉があるが、そのときに一番やりやすい状態にある人が、家事でも仕事でも、率先してやるべき。
男だから、女だからということは余りこだわらない方がいいと思う。
たとえば、女性が遅く帰ってきた場合に、風呂をわかし、料理も作り、さあお食べ、という男性がいてくれた方が、実際のところ女性も非常に働きやすいと思う。男性側にそのような意識を強く持って欲しい。子どもを生んでも楽しく働け、楽しい家庭で男性も(家事・育児に)参加してくれるというのが一番望ましい。
○ 内永氏
特に企業においては、評価システムをもっと明確にすべきだと考える。例えば一生懸命頑張って成果を出している女性でも、「彼女は朝定時に来て夕方定時に帰ってしまう、土日も働かない」から評価があまりよくない、という話がある。
評価システムがきちんと確立していないと、何をもって評価すればよいのかがわからず、悪く言えば「することもなく長い時間職場にいる」だけでも評価されることにもなりかねない。企業が真に競争力を持つためには、スキルがあって頑れる人をきちんと評価するシステムが必要だと思う。
もう一つは、それぞれが適材適所の仕事を見つけることができ、子育てで仕事を中断した後も自分に合った仕事を自由に選択できる、そういった労働力の流動性が備わらないと、男女共同参画も気合い倒れになってしまうということである。
○ 山田氏
現実的には、非常勤、フリーターに占める女性の率は高くなってきていると思う。インタビュー調査をすると、女性フリーターの中には、「どうせ結婚して養ってもらうから」という理由で、自己能力開発もせず、フリーターのままでいる人もまだまだ多い。男性の正社員数がどんどん減る中で、「養ってもらう」のは難しくなっているのに、そのような願望を持ってしまう、持たされてしまうということに、非常に危うさを感じている。
もう1点は「今、果たして適材適所な生活はできるのか?」ということ。いくら男女平等だと言われても、男女ともフルタイムで朝から晩まで働いていては家庭生活が成り立たない、家族としてもたない。例えば、女性が働く間は男性がちょっと休む、あるいは男性がフルタイムで働く間は女性がパートで働くなど、家族ごとに適した生活形態を選択できるような仕組みを早急につくる必要がある。さまざまな適材適所の家庭生活が保証されるような制度づくり、というのが、男女共同参画にとって肝要になってくるのではないか。
○ 篠塚氏(パネリストの発言を受けてのコメント)
今後は競争が非常に激しくなり、圧倒的多数が非正規雇用型に移行せざるを得ないと思う。これまでの働くモデルは正規雇用型なので、非正規雇用の働き方に関し、新しい視点が必要になってくるだろう。例えばオランダのように、非正規雇用正規雇用の時間賃金や社会保障制度を同一にするような形で、全ての人が働く場に収まる仕組み、つまり新しい制度をつくることになっていくだろう。
将来に向け、男女共同参画社会を形成し、自分たちの生活をより良くしていこうとする際、(男女共同参画社会に対する)意識をいかに皆が共有するか、ということが重要。一方、よくマスコミなどにも取り上げられるが、現在、ジェンダーという言葉や考え方に対し、拒否反応や否定的な意見がある。これらに対し、どのように対応すべきか。何らかの発信をしていくべきかと思うが。
○ 田部井氏
ジェンダーという言葉、また「男女共同参画」という漢字だけの言葉を聞くと、いわゆる「エリート」が頭の中だけで言っている言葉だ、という反応がある、ということは理解できる。
自分は、役に立つ男を利用しながら、さりげなく、したたかに立ち回っていくことが、今非常に重要ではないかと思う。
○ 山田氏
先行きが不安な時代である今、新しい考え方に対し、何かしらの拒否反応が出てくるのは、いた仕方がない流れだと思う。これに対しては、きちんと事実、データにより、「先行きが不安な時代だからこそ、男女共同参画が必要」ということを、粘り強く訴えることが必要。
例えば、女性を活用している企業ほど業績がいいという事実があるときに、「女性は家にいて家事をしろ」、と言ってももたない。このように、男女共同参画のような新しいことを進めなければ日本社会はもたなくなっているのに、論理が逆転し、「日本社会が不安定になっているのは女性の社会進出や男女共同参画が原因だ」、というふうに語られるのは
本当に間違っていると思う。さまざまなデータを積み重ね、粘り強く説得していきたい。
○ 内永氏
ジェンダーという言葉への否定的な反応、また「男女共同参画が日本の美しい文化を壊している」といった議論について聞いたときには耳を疑った。どう考えてもこのロジックは成り立たないと思う。このことにより、男女共同参画という流れが、5年、3年、あるいは2年でも遅れる、ということがあれば、日本の社会そのものが世界から取り残されてしまうだろう。
先ほど米沢先生がご講演で示され、また私も日本アイ・ビー・エムについて言及させていただいたように、日本の女性活用度は非常に低い。かつ人口がこのように減少傾向にある中で、なぜあのような否定的な議論が出てくるのか理解できない。
これに対しては、(男女共同参画は)日本の国を本当に良くしていくために大事なのだ、ということを、数字やいろいろなケースを示しながら言っていく、ということがとても重要ではないかと思う。ナンセンスな議論には惑わされることなく、皆様と頑張ってやっていきたい。(拍手)
(5) 質問
○ 質問者1:母子生活支援施設で仕事をしている。本日の議論では、自分の仕事に関わりのあるドメスティック・バイオレンス(DV)に対する支援等について、全く話が出なかったが、この問題は男女共同参画の未来にとって語るに値しないのだろうか。今後 DV についてどう考えていくべきか。
○ 質問(発言)者2:ボランティア活動歴 34 年で緑綬褒章を県初にいただいた。本日の話に感動し、感謝している。田部井先生のお話の中で、「役に立つ男」というのは初めて伺った。これまで田部井先生には、登山や、お琴と向き合っておられたことなどもお聞きしているが、そのあたりも少しお話いただきたい。
○ 質問者3:内永氏の「遅れてはだめだ、世界から取り残される」といったご意見に同感。これに対応するために、自分たちは地域において、日々どのような心がけで活動すればいいのか。ネガティブな動きに対し、草の根で一生懸命その都度対応しているが、非常にストレスを感じている。もっと大きな、エネルギーになるアドバイスをいただきたい。
○ 山田氏
今秋に、女性に対する暴力に関する問題でシンポジウムが開催される予定であり、自分も出演するので、その機会にご参加いただければ、詳しいお話をしたい。「男はこうあるべきだ、強くなければいけない、妻子に対して家長でいなければいけない」といった、固定的な意識というものが、女性に対する暴力の、全ての原因ではないが、1つの下地にはなっているというふうに考えている。
今日は全てについて触れることはできないが、DV も(男女共同参画の)全体の流れの中でとらえ、解決する必要がある問題だと思う。本日は時間がなく、DV に言及できず申し訳ない。
○ 田部井氏
琴は続けており、今は歌も習っており、12 月にはリサイタルも開こうと考えている。自分はあと何年生きられるかわからない、その間に残せるものは自分の歴史だけだ、という思いがある。自分の好きなことをやり、ああ、面白かったと言って死んでいきたい、「役に立つ男」にもそうやって死んでいってもらいたいというふうに思っている。
どんな人でも自己との闘いがあり、いろいろなストレスがある。これに闘い抜いていくのはやはり自分自身。そのためには自分自身を強くすること、健康であるということが一番大事。健康であれば、どんなストレスにも耐えられる。そのために自分は山に行く。皆さんもストレスがあったら山へどうぞ。(拍手)
○ 内永氏
マスコミやこのような会議の場などで、ナンセンスな議論を起こすということは日本を後退させることなのだ、世界中から笑いものにされてしまうことなのだ、ということを、皆で声を1つにして宣言として出していくようなことも必要ではないかと思う。各地域で非常に苦しい対応をしている方々が、個別に対応するのは、ある意味では非常にまずいと思う。
ネットワークをつくりながら、皆で一緒に声をあげる方法を考えていく必要があるのではないかと思う。具体的なアイデアがあれば是非教えていただきたいし、一緒に頑張りたい。(拍手)
(6) 議論のまとめ
○ 篠塚氏
米沢氏の基調講演においてメッセージとして語られた「制度的な問題云々ではなく、精神的な土壌への戦いが残されている」という点を共通認識として議論をスタートした。1975年の国際婦人年以降30年の動き、将来に対する展望等について、出演者それぞれの立場からの見解表明をいただき、意見交換を行うことができた。特に、各パネリストの皆様からは、男女共同参画社会の将来を語るキーワードとして、「男女共同参画は日本を救い、男性を救う」あるいは「男性が家族を支えるべき、という意識を変えよう」(山田氏)、「一緒にいて役に立つ男性を増やそう」(田部井氏)、「(男女共同参画という視点に立った)自由なライフスタイルを支える社会的インフラ(の充実を)」(内永氏)といった指摘をいただいた。
日本のジェンダー・エンパワーメント指数は現在世界で38位(注:2004年データ)であり、それが国際婦人年から30年を経た今の日本の姿であろう。精神的な土壌、つまりいかに男性、女性の役割に関する垣根を取り払っていくかという問題が大きく立ちはだかっているのではないか。男女共同参画社会の形成をより確かなものにするために、今足元で起こっているジェンダーに対する批判的な流れに対し、正しい情報を発信していく必要がある。その際には、わかりやすい言葉での発信が重要。また、科学的な統計を使って、現実がこうなっている、こんなに頑張ってもまだこの程度である、こんなにまだ女性と男性の能力が十分に使われていない、というようなことを発信していくことが、新しい男女共同参画社会を形成するための最終的な材料になるのではないかと思う。したたかに、さりげなく、“役に立つ”男性を増やしていき、男性も女性も本当に居心地のよい社会にしていきたい。
○ 田部井氏
自分の置かれた立場で、どんな小さなことでも実績をつくっていくことが、力をつけていくということ、そしてそれが発信につながっていくと思う。(拍手)
○ 内永氏
女性も男性も、自分はこれが強い、これは人に負けない、というものを、これからしっかり持っていく必要があるのではないかと思う。(拍手)
○ 篠塚氏 短い時間、皆様が御一緒に参加下さり、情報を共有できたことは非常に幸せであったと思う。これから前進していくための資料にしていきたい。ありがとうございました。(拍手)