リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

旧優生保護法に基づく優生手術に対する国家賠償請求訴訟 ― 仙台地判令和元年5月28日 ―

参議院常任委員会調査室・特別調査室 菱沼 誠一

立法と調査 2020. 6 No. 424

仙台地裁判決

リプロに関するところを引用する。

(1)権利
 本判決は、リプロダクティブ権は、「人格的生存権の根源に関わるものであり、」「人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきものである。」としており、子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)はいわゆる自己決定権の一類型であるとして、輸血を伴う医療行為を受けるか否かについて意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重しなければならないとした最判平成12年2月29日が説示するところを踏まえ、リプロダクティブ権について、人格権の一内容を構成する権利であると判断した6ものと解される。
 学説上も、リプロダクティブ・ライツが憲法13条の幸福追求権の一環であることは認められており7、また、子どもを産み又は産まない決定を実現する自己決定権の一内容であって、人格的生存に必要であるため、最大限尊重されなければならないことについては、憲法13条の幸福追求権に関する見解の対立にかかわらず肯定されている8。
 ただし、本判決が、本件での憲法上の権利の内容を「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利」として把握しながら、それを「リプロダクティブ権」と言い換え、その法的議論の蓄積が少ないとして、結論として国家賠償法を認めなかったことについては、「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利の強制的剥奪への救済責任の問題を、外延が必ずしも明確でない概念で上書きして、覆い隠した。リプロダクティブ権という概念が、立法府の不作為に対する責任を軽減させるよう働いた」9と批判されている。
 また、「憲法上の権利には、行為の自由や決定の自由を保障する類型のものと、一定の状態、地位、法益保全を補償する類型のものとがあり、リプロダクティブ権が前者の類型に含まれるのに対し、子を持つべきではない存在という偏見・差別によって毀損される人としての尊厳は、後者の類型に属する。不妊手術の被害の本質は、人としての尊厳に対する毀損であったとみるべきで、リプロダクティブ権の強調は、原告らの被った被害の全貌を見えにくくする」10との指摘もある。
 後述するように、本件において原告らは争点を絞ったという事情があり、原審では、憲法13条、14条違反のみ主張したが、控訴審では他の人権侵害についても主張する可能性がある(本判決は14条については言及していない)。また、同様の他の訴訟においては、13条、14条以外の権利侵害についての主張もなされている。今後、それらの権利に関して裁判所がどのような判断を示すかも注目される。

6 『判例時報』2413=2414合併号(令元.9)4頁及び『判例タイムズ』No.1461(令元.8)155頁。
7 濱口晶子「旧優生保護法に基づく強制不妊手術と憲法13条」『法学セミナー』No.778(令元.11)116頁。
8 髙希麗「旧優生保護法による優生手術被害と合憲性」『新・判例解説Watch』(令2.4)13頁。
9 青井未帆「「憲法13条に違反するが、『救済』されないのは仕方ない」が意味すること」『法学セミナー』・前掲脚注5 56頁
10 小山剛「旧優生保護法仙台地裁判決を受けて 人としての尊厳」『判例時報』2413=2414合併号・前掲脚注618頁。