2013年の第 68 回国連総会における安倍総理大臣一般討論演説では、「ウィメノミクス(womenomics)」という言葉を用いて、女性の社会進出を促す必要性が語られている。
議長、そしてご列席の皆様、
すべては、日本の地力を、その経済を、再び強くするところに始まります。日本の成長は、世界にとって利得。その衰退は、すべての人にとっての損失です。
ではいかにして、日本は成長を図るのか。ここで、成長の要因となり、成果ともなるのが、改めていうまでもなく、女性の力の活用にほかなりません。
世に、ウィメノミクスという主張があります。女性の社会進出を促せば促すだけ、成長率は高くなるという知見です。
女性にとって働きやすい環境をこしらえ、女性の労働機会、活動の場を充実させることは、今や日本にとって、選択の対象となりません。
まさしく、焦眉の課題です。
「女性が輝く社会をつくる」――。そう言って、私は、国内の仕組みを変えようと、取り組んでいます。ただしこれは、ただ単に、国内の課題に留まりません。日本外交を導く糸ともなることを、今から述べようと思います。
こう言っておいて、安倍首相(当時)は①UN ウィメンの有力貢献国の一つとして、誇りある存在になることを目指し、関係国際機関との連携を図っていく、②女性・平和・安全保障に関する「行動計画」を、草の根で働く人々との協力によりつつ、策定する、③国際刑事裁判所や「紛争下の性的暴力に関する国連事務総長特別代表」オフィスとの密な協力を図る、④「自然災害において、ともすれば弱者となる女性に配慮する決議を、次回・「国連婦人の地位委員会」に、再度提出する。
そして、「女性が輝く社会」の実現に向けた、我が国の開発思想と、なすべき課題を明らかにするとして、JICAのメンバーとしてヨルダンで活躍した日本人女性佐藤さんの粘りによって、「子どもの数を決めるのは、夫であって、妻ではない」といった伝来の発想が女性の健康を重んじるものへ、徐々に変わっていったと語る。「配偶者の同意」がなければ中絶を選べず、女性が自分の子どもの数を自分で決められない自国内の課題は知らん顔である。さらにまた、「個人をその総体として捉える発想によってこそ、より高い、健康のニーズを満たせる」と考えて、リプロダクティブヘルスサービスの向上もうたっているTICAD V (第5回アフリカ会議)を機に「UHC、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の推進のために「アフリカ地域の保健対策に、5 億ドルを準備し、保健医療者 12 万人の育成を打ち出し」たと言っている。一方、日本国内ではリプロダクティブヘルスサービスにも、UHCの推進にも1円足りとも予算はつけられていない。
日本政府にとって、UHCやリプロダクティブ・ヘルス&ライツは海外にお金を振りまく外交政策でしかないことは明らかだが、あまりにも皮肉なことに、日本に最も欠けていることを2つの重点施策を海外で実現すると最後に約している。その重点施策とは、第一に「女性の社会進出を進めることと、その、能力開発の必要性」であり、第二に「女性を対象とする保健医療分野の取り組み」である。
つまり、女性を活躍させるために何をすべきなのか、政府はちゃんとわかっているのだ。それなのに、国内では決してそうした取り組みを推進しようとはしてこなかった。なぜなのか……そこに根深いミソジニーを感じずにいられない。国内の女性たちには絶対に覇権を譲らない、従わせておきたいという意志が透けて見える。
2020年6月30日のJapan Timesはこう報じていた。(仮訳します。)
日本は、安倍晋三首相の女性地位向上キャンペーンの一環として、指導的地位に占める女性の割合を30%に引き上げるという目標を、今年の期限までに達成できなかったため、最大で10年遅らせることになると国内メディアが報じている。
安倍首相は、経済や政治における女性の役割を高める政策を「ウーマノミクス」と呼び、日本の少子高齢化に対処するための取り組みの柱としている。
しかし、世界経済フォーラムが発表した2020年の男女平等に関する世界ランキングでは、日本は153カ国中121位となり、先進国中最大の格差となり、2012年に安倍首相が異例の2度目の就任を果たした時の101位から下落した。
報告書によれば、上級職や指導的ポストのうち、女性が占める割合はわずか15%である。安倍内閣の19人の閣僚のうち2人が女性であり、国会議員のうち10%弱が女性である。
毎日新聞は政府関係者の言葉を引用し、「2020年中の目標達成は現実的に不可能だ」と述べた。
東京女子大学の大沢真知子教授(労働経済学)は、この遅れについて「政府の取り組みが不十分で、これがその証拠だ」と指摘した。政府の男女共同参画局職員は、専門家が新しい基本方針計画について現在議論しているが、いつ結論が出るかは分からないと述べた。
「202030」も「女性が輝く社会」も、口先だけの巧言にすぎなかったことは今になってみれば明らかである。