リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

すべてはリプロダクティブ・ライツの軽視から始まっている

中絶・旧優生保護法問題・リンさん問題もみな地続き

昨夜のツイッター・スペースでこんな話が出た。

・WHOの新『中絶ケア・ガイドライン』が女性と少女の「人権」を徹底尊重している
・弁護士の角田由紀子さんいわく日本は「女性の子宮が政府の管理下にある」
ベトナム人実習生リンさんの問題は、日本の人権問題を集約しており日本女性の問題でもある

そして少し前に、私は旧優生保護法の強制不妊手術問題に関して「意見書」を出している。
ここ数年、ベトナム人実習生、配偶者同意を求められて中絶できず孤立出産した女性たちの事件、コロナ禍で「望まない妊娠」の相談者が増えた問題……これらの「根幹」が見えたように思う。

これらはすべて1994年に世界では「人権」として合意した「リプロダクティブ・ライツ」を軽視してきた結果だと言えるだろう。

実は「個人やカップルが産むか産まないか、産むとして何人産むか、いつ産むかを決める権利」は1974年にルーマニアブカレストで開かれた世界人口会議にさかのぼる。それを思うと、ルーマニア侵攻とそこで行われている性暴力もまた、ここで考えたい「人権問題」とまさに地続きであることが見えてくる。

リプロダクティブ・ライツは「人権」である。このたびのWHO新『中絶ケア・ガイドライン』は、産む産まないに関する「人権」とはどうあるべきかを半世紀にわたって議論してきた集大成なのだ。

ガイドラインでは、「女性と少女の価値観と選好」を中心に据えることを求めている。個人の価値観と選好……妊娠している当人が何に価値を置きそれをどうしたいと思っているのか……ということを基本に据えなければ、人権は侵害されるという発想がそこにはある。

当人の価値観と選好をよそに、第三者がジャッジするのでは「人権」は守られないのだ。そう考えると、上述のすべての問題に共通していたものが見えてくる。

角田さんは「子宮が国家の管理下」にあると言った。それは、その子宮をもつ女性の価値観と選好を無視した越権行為である。

リンさんはそもそも「産みたかった」のに、実習生という立場で妊娠を知られると帰国させられるか中絶を強いられる状況に追い込まれていた。(そのあげくに、妊娠を隠す羽目になり、孤立出産し、死産した子を遺棄したとして罪に問われた😢)

優生保護法の強制不妊手術や強制堕胎(これは合法的中絶ではないので、刑法の「堕胎罪」に当てはまる)は、当事者の意向を無視した拷問にあたる(拷問というのは大げさに言っているのではなく、国連の複数の機関が合同で出した文書でそう定義されているのだ--ちなみに拷問罪に時効はない)。
[https://www.unaids.org/sites/default/files/media_asset/201405_sterilization_en.pdf:title=Eliminating forced, coercive and
otherwise involuntary sterilization: An interagency statement]

そして、そのツケが「少子化」でもある。
国連人口基金の『選択の力』の中で、出生率が下がり過ぎた国の方策として、産みたくない時には安全な避妊と中絶を与え、産みたいときに徹底的に支援することで出生率を回復させることを提唱している。個人の「リプロダクティブ・ライツ」を保障し、福祉を充実させ、短期的には移民等の力に頼るのがカギを握っているのだ。そのいずれも日本政府は怠ってきた。

今すぐにも、ここで国の政策と法を転換していかなければならない。そのなかで、リプロダクティブ・ライツの保障はすべてに通底しているのだ。