リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

1990年代のリプロダクティブ・ヘルス&ライツと日本政府

今、外国人記者クラブでの記者会見用の資料を作っているのですが、ひとつ気づいたことがあります。1974年ブタペストの世界人口会議は厚生大臣1984年メキシコの国際人口会議は厚生事務次官が代表団を率いていたのに、1994年ICPDの時には外務大臣が率いるようになっているのですが、1984年のメキシコ国際人口会議の翌年、1985年に日本は女性差別撤廃条約(CEDAW)を批准しています。

1994年4月にはCEDAWの一般勧告21が出ており、その中にRHRに該当するような中身がまさに含まれています。ICPDが開かれたのはこの年の9月です。このタイミングでなぜか厚生省から外務省にバトンタッチしているのです。

1994年9月のICPDでリプロダクティブ・ヘルス&ライツが初めて国際文書に書き込まれ、日本から障害のある女性が会議に行って日本の優生保護法障がい者差別について訴え、外圧がかかり、優生保護法母体保護法に改められることになりました。

1996年9月26日の母体保護法施行の前日(9月25日)に、厚生省は母体保護法における不妊手術や中絶に関する事務次官通知を出しています。その中身が全くリプロの発想に基づいていないものでした。

ICPDに出ていない厚生省は、母体保護法にリプロが盛り込まれていなくても知らぬ顔を貫けたということでしょうか。

それでも2000年の(第1次)男女共同参画基本計画には「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」が何カ所も盛り込まれ、機運を高めるための措置も書き込まれていましたが、安倍晋三山谷えり子がPTでジェンダーバッシングを行った第2次の時から一か所のみに減り、しかも単に「重要」としか触れなくなりました。第1次計画は誰/どこが主体になって書いたものなのでしょう? 

ここらへんの経緯をもっと明らかにしていきたいです。