リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

胎児は生まれるまでは母体の一部で人格者ではない

第63回国会 参議院 予算委員会 第13号 昭和45年4月2日

本日の「角田由紀子弁護士と考える刑法堕胎罪をなくすためのロードマップ(みちのり)」で出た質問の出所をメモっておきます。

099 鹿島俊雄
○鹿島俊雄君 私はこの際、法制局長にお尋ねをいたします。
 まず、きわめて基本的なしかも初歩的とも言える憲法上の原則として伺います。憲法十三条は国民の生命の自由及び幸福は、公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とする、という生命尊重の基本的原則がうたわれております。この条項は現に生きておる個人にだけでなく、これから生まれ出る命として存在いたしまする胎児にもこれを及ぼすものと解釈すべきものと考えます。この御所見を伺います。


100 真田秀夫
○政府委員(真田秀夫君) お答え申し上げます。
 御指摘のとおり、憲法は第十三条で、ただいまお述べになりましたような規定を置いておりまするし、いわゆる基本的人権の保障を数々定めているわけでございますが、やはりこの基本的人権の保障という制度は、権利宣言の由来とか、あるいは具体的に憲法が保障している個々の権利の内容に即しましても、やはりこれは現在生きている、つまり法律上の人格者である自然人を対象としているものだといわなければならないものだと考えます。胎児はまだ生まれるまでは、法律的に申しますと母体の一部でございまして、それ自身まだ人格者ではございませんから、何といってもじかに憲法が胎児のことを権利の対象として保障していると、権利の主体として保障していると見るわけにはまいらないと思います。ただ、胎児というのは近い将来、基本的人権の享有者である人になることが明らかでございますから、胎児の間におきましても、国のもろもろの制度の上において、その胎児としての存在を保護し、尊重するということは、憲法の精神に通ずるといいますか、おおらかな意味で憲法の規定に沿うものだということは言えると思います。たとえば児童福祉法の第一条を見ますと、すべて国民は、児童がすこやかに生まれることにつとめなければならない、ということを書いておりますのも、そういう精神から発しているものだろうと存ずるわけでございます。


101 鹿島俊雄
○鹿島俊雄君 ただいまのお答えによりますると、胎児は憲法上の生命の対象としての考えに入らないというお答えでございますが、これはおかしいと思うのです。一つの例としてあげますと、国鉄輸送の取り扱いの中でも、死産胎児は、一定の時期を過ぎたものは一般の死体と同様な取り扱いがなされて輸送賃金が徴収されることになっている。引例としてはあまり適格ではありませんが、とにかく死体として取り扱う以上、これは一面胎児が現存する生命と同様に認められているわけであって、これはそのものずばり胎児の生命としての存在を確認しているものである。
 以上のことは行政との取り扱いとはいえ、ただいまの答弁では私は納得ができない。重ねてお答え願いたい。


102 真田秀夫
○政府委員(真田秀夫君) 繰り返すようなことに相なりまするけれども、やはり法律上は権利の主体は生きている人間、自然人に限ると、これはもうそう言わざるを得ないわけでございまして、やはり胎児の間は、もろもろの法律でいろいろ似たような扱いをしている例はございます。ただいまお述べになりました死体の取り扱いとか、あるいは民法上でも相続の関係、あるいは損害賠償の関係においては生まれたものとみなすという取り扱いをしている例はございますけれども、一般的にやはり権利の持ち主として、基本的権利の享有者として取り扱うというものではないというふうに考えるわけでございます。


103 鹿島俊雄
○鹿島俊雄君 私の見解としては、少なくともただいまの議論の中で、胎児は少なくとも広義に生命の対象と解釈すべきものと考えます。したがいましてこの胎児の生命、生命尊重という理念は、日本国民全体のものがこれを率直に認めなければならないものと信ずる。特定の人々の考えにすぎないというようなことは誤りだと思うのでありまして、こういった点につきまして、もう一度御所見を承りたいと思います。


104 真田秀夫
○政府委員(真田秀夫君) 厳密な法律上の取り扱いといたしましては、先ほど述べたとおりでございますが、なおその際にも申し上げましたように、近く生まれまして権利の享有者になる状態にあるわけでございますから、その点をよく尊重いたしまして、胎児としての生命を全うするようにもろもろの施策を講ずるということはこれは憲法の趣旨に沿うということに相なろうかと思います。ただ厳密な意味では、やはり権利の主体ではないということでございます。


105 鹿島俊雄
○鹿島俊雄君 それでは次に、厚生大臣にお尋ねをいたします。
 現行刑法に堕胎罪が設けられておりますが、ただいま法制局の見解、多少私と食い違う点もございますが、広義解釈の上からやはりこれは生命の一つの単位であります。こう考えてまいりますと、この堕胎罪が設けられました理念の一つのあらわれとして、これは原則的に刑法が胎児を生命として私は認めたものではないかという考えを持ちます。これらの原則に立って、現行優生保護法は純医学的な理由で定められた部分を除きまして、これは一つの臨時措置立法であろうと解釈をいたすものであります。すなわち大戦終結に引き続きまして生活条件の極度の混乱、しかもこれを克服し得なかった当時の政治の貧困に対しまする民衆がみずからの生命を守るためのやむを得ずしてとらざるを得なかった臨時措置であったと解しています。したがいまして、やむを得ざる場合にのみ認められるべきものでありますから、その前提になった条件が解消すればその合理性は失うものと考えます。合理的な理由がなくなれば、憲法の広義の理念に沿った正しい姿、本来の姿に戻るべきものと考えます。なお、それにはこの際臨時措置立法を存在させるに足る社会条件がなくなったのではないか、あるいは一歩退いて、いますべてが解消していないといたしましても、きわめて近い時期に解消する見通しがあるかどうかということがきめ手になるわけでもございますので、このことに関して御所見をお伺いいたしたいと存じます。


106 内田常雄
国務大臣(内田常雄君) まず第一に、先ほど法制局との間に問答をせられました胎児の人格といいますか、あるいはその生命権の問題につきましては、純法律論といたしましては法制局が言われるとおりであるといたしましても、私ども厚生省の立場から見ます場合におきましては、母性の胎内にある胎児のうちから、私どもはこれの健全なる誕生ということを念頭に置きまして、いろいろな施策をやっておりますことは鹿島先生御承知のとおりであります。母子保健法というようなものがございまして、子供を懐胎したお母さんのときから一般健康診査あるいは精密健康診査等も国費で見ておるというようなことは、そういう私どもの胎児尊重の考え方の一つでございます。
 ただいま優生保護法につきましての御評論がございましたが、これは終戦直後、昭和二十三年のころできた法律、しかもこれは議員立法で国会の御提案でつくられた法律と私は承知をいたしておりますが、ああいう当時の状況のもとに二回ほど条件がゆるめられるような改正がなされたまま今日にまあ至っておるわけでございまして、その間二十年近くも時日が経過をいたし、社会的のまた経済的の情勢も変わってきておることがこの背景にありますことを考えますときに、あらためて優生保護法というものは検討の対象にすべき事案であると考えておるものでございます。


107 鹿島俊雄
○鹿島俊雄君 ただいま厚生大臣の御解釈は、胎児も広義の解釈の上で生命の対象であるとの御答弁がありましたが、大臣におかれましては、さような見解の上に立って今後これに関する行政はお進めを願いたいと私はまず要望申し上げます。
 次に、人工妊娠中絶の理由でございますが、これはまず第一、医学的理由、第二、優性医学的な理由、第三、倫理的な理由、第四、経済的な理由というおよそ四つの理念に分類されるのが通常であります。その中で中絶乱用の原因をつくり、また国民道徳の乱れのもとにも通ずるものが経済的理由であろうと考えられます。優生保護法は条文としては経済的理由により中絶ができるとされておりますが、正しくはそれは原因としての母体の健康が著しく障害されるということが一つの前提であるということでなければならぬと思うのでございます。手続が簡略であるためにあたかも経済的理由だけで中絶が可能であるがごとく解釈されているわけでございますが、これは運用上の乱れが実態となっているものと私は思考いたします。そこで問題は手続を慎重にしていくことで解決されるかどうか、さらに一歩進めて、一方経済的理由を中絶適用として認めるかどうか、この辺で洗い直してみる必要があると存ずるものでございます。このところに、優生保護法改正論議の焦点が向けられるところと私は考えております。
 そこでお尋ねをいたします。現在経済的理由に対する道として胎児の出生をはばまなければならないほど日本の国民経済力は弱いものであるかどうか。御所見をお伺いしたいと存じます。


108 内田常雄
国務大臣(内田常雄君) 戦後二十五年の間に日本の経済が非常に成長いたし、また、国民の生活水準も非常に上がってまいっておることは疑いがございません。したがって、分べん、育児等に関する経済的なあるいは家庭的な条件というものも、この法律ができました当時とはだいぶ背景と申しますか、状況が違っておることであると私は率直にそのことは考えるものでございます。
 ただ優生保護法における経済的理由というのは、子供を分べんした後における子供の養育のための経済的能力があるかないかということで、あの経済的理由というのが置かれたのではなしにですね、当時国会において修正をされて、あの文言を入れられました趣旨は、やはりその母体の生命、健康の観点から経済的理由というものを結びつけられておったと、かように伺っておりますので、したがって、今日のお互いの生活水準が上がってまいってきたということと、いま法律に述べる経済的理由ということと直ちに結びつくことでもございませんので、その辺につきましては、さらに検討をしてまいらなければならない事項であると考えます。