リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

現在の第6代石渡勇会長のあいさつ

医会の歴代会長について

www.jaog.or.jp

会長挨拶
 会員皆様のご推挙をいただき日本産婦人科医会第6代会長に就任することになりました。まことに光栄とは存じますがその重責をひしひしと感じております。
 本会の設立目的であります母子の生命健康を保護し、また、女性の心身にわたる健康を保持・増進することにより、国民の保健の向上に寄与することに努力します。また、本会会員が安定した経済的基盤の上に、プロフェッショナルな団体として、質の高い安全な医療を提供出来るように様々な課題の解決に向けて、これまで以上に役員・会員とともに尽力してまいる所存であります。
 現在、わが国は少子高齢化の真っただ中であります。出産の減少にともなう人口減少社会、労働力の減少に対して労働生産性を上げるために、①健康寿命の延伸、②男女共同参画社会の実現、③外国人の雇用、④IT革命の推進、等の対策が考えられます。
健康寿命の延伸と高齢者の活用については、高齢者を75歳以上にすることも考えられますが、しかしこれは一次凌ぎに過ぎません。
男女共同参画社会の実現として、女性の活用推進が必要であり、「仕事と家庭の両立支援」として産業界や保育行政・労働行政への働きかけが必要です。例えば、「子どもの急病看護休暇の制度化」、「病児保育」、「乳幼児健康支援一時預かり事業」、「育児保障制度の充実」、「産休の延長」、等々が必要です。少しずつ改善されつつありますが、まだまだ不十分です。
③ 外国人の雇用については、外国人が日本人と同じ条件で生活できる制度の構築が必要であります。
④ IT革命については、人口減少のなかで国が最も力をいれているように思います。その結果として、真の人間関係性が希薄化し、心の通わない世界の中で、心のケア(メンタルヘルス)がますます重要になります。
 しかし何と言いましても少子化対策で最も重要なものは出生数の増加、少なくともこれ以上減少させないことで、これは国策でもあります。歴代の会長も少子化対策に取り組んでこられました。そのためには、結婚・妊娠・出産・育児・教育等に安心できる目に見える政策、特に経済的支援が必要です。然るに、企業の海外への移転、派遣労働者・正社員解雇など、さらに経済的基盤が揺らいできています。財政投入が必要です。成育基本法が成立し、こども家庭庁も設置されますが、出産・育児手当・サポート体制の充実、育児に経済的メリットを付加(減税あるいは税制上の優遇処置等)、教育費の無料化、これらの少子化対策を国民と一体となって推し進める必要があります。
 国は安定した持続可能な医療の提供体制を確保するために「地域医療構想」、「働き方改革」、「医師偏在対策」の三位一体改革が必要であるとして改革を進めてきました。地域医療構想が進まない中,「医師の働き方改革」が議論されています。このままでは医師確保が困難な地域の周産期医療の崩壊が危惧されます。私たちは安心して妊娠・分娩ができる環境を提供しなければなりません。本会としましては、産科有床診療所と産科病院が外勤医師を雇用できるように宿日直許可を得ていただきたいと思います。そのために、産婦人科の夜間の勤務は「宿日直」として認められるように働きかけています。
 本会は、妊娠中の母児の健康管理、出産後の母児愛着形成、母と子の関係性を重視した母子の健全なメンタルヘルスの維持、小児・思春期からヤングアダルト(AYA)世代へのヘルスケア、妊娠前のヘルスケア(プレコンセプションケア)、不妊医療体制の充実、周産期医療体制の充実について切れ目ない支援を通して次世代に健康を引き継ぐこと、女性のライフステージに応じたヘルスケアを関係専門職能団体等と連携して推進していきます。
 本会の業務遂行のために4事業部と14委員会があり、各委員会が連携して業務を遂行しています。私は会長として会務に専心し、会員の会員による会員のための医会として、国民の健康福祉の増進に寄与したいと考えていますので、よろしくお願い致します。

公益社団法人日本産婦人科医会 会長 石渡 勇

石渡会長が第6代目と言っているので、歴代会長を探してみた。どこにもまとまった情報がない。第6代目と言っているのは、母性保護医協会以来と考えていいのだろうか?


医会の広報(広報部会 – 日本産婦人科医会)や各所の死亡記事などを元に再構成すると次のようになる

日本母性保護医協会1949年4月発足 初代会長谷口弥三郎
1963年 谷口会長死去により、後任として森山豊会長着任
1952年 社団法人日本母性保護医協会に
1989年 森山会長死去? 坂元正一会長第3代会長に就任
1994年 社団法人日本母性保護産婦人科医会に
2001年 日本産婦人科医会に
2006年 坂元正一会長死去
2007年 新会長として寺尾俊彦氏を選出
2012年 寺尾俊彦会長死去
2012年 木下勝之会長
2022年6月 木下会長の辞任?により石渡勇(第6代)会長に交代

もしこれが正しければ:
谷口弥三郎会長 1948~1963 15年間
森山豊会長 1963~1989 27年間
坂元正一会長 1989~2006 17年間
寺尾俊彦会長 2007~2012年 6年間
木下勝之会長 2012~2022年 11年間


森山会長時代、本当にこんなに長かったの??
また、もし本当にそうだとすると、1970年代、1980年代のほぼすべてが森山会長時代だったことになる……。


そこで、どんな人なのか調べてみようと思ったら、故郷であるらしき「三笠市立博物館」に次のような説明があった。

森山 豊(1904-1988)
医学博士。三笠市幾春別生まれ。1931年に東京大学医学部卒業後、同校副手となりました。1938年に神戸の甲南病院産婦人科部長就任、以降各地の病院、大学等で要職を歴任しました。森山博士は産婦人科医として、母子保健の研究と実践に取り組み続けました。
横浜医科大学教授、東大付属病院産婦人科医長、日本産婦人科学会会長などを歴任されました。

あれ? 学会会長?? これは間違いだよね??? と思って、再び医会報を見ていたら、偶然、次の一行が目に留まった。

831105;プレグランディン使用指針決まる ー厚生省と日母の間で合意ー

あ………プレグランディン(1984年8月1日販売開始)の使い方は、この時、厚生省と日母で決めたわけか……。