リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

朝日新聞1984年5月31日1面

忘備録

人工流産剤を認可 厚生省
厳しい規制 条件に
薬事審の承認答申から二年
薬局では売らず

リード文:難しい妊娠中期の中絶が、膣内に座薬を入れるだけで安全にできる人工流産剤「プレグランディン膣坐薬」(小野薬品工業)について、厚生省は三十日、承認を与えるとともに保険薬として薬価基準に載せた。世界的に注目されてきた画期的な新薬だが、「性の乱れに拍車をかける」などの論争を招き、承認が二年近く見送られてきた。安易な使われ方を防ぐため、同省は厳しい管理・取扱い要領を定めるなど、「難産」の末の新薬誕生だった。

道徳論議ひと区切り

「プレグランディン」はホルモンの一種、プロスタグランディンの性質を利用、子宮を非常に強く収縮させると同時に産道を広げて出産状態にし、流産させる。妊娠中期(十二ー二十四週)は流産が最も起きにくく中絶手術に危険が伴うのに対し、この座薬を使えば母体への影響ははるかに少ない。入院期間も一週間前後から三日程度に縮まるほか、副作用も少なくてすむ。
 手術が原則だった中絶を、投薬ですませられるという薬の誕生は世界でも初めて。国内はもちろん、人口過剰に悩む発展途上国などから熱い視線を浴びていた。
 小野薬品工業大阪市東区)は五十六年四月、薬事法に基づき製造承認を申請、厚相の諮問機関、中央薬事審議会は五十七年八月、承認が適当と答申した。ところが、一回五万~
十万円の人工妊娠中絶を大きな収入源にしている産婦人科医にとって、安い薬代だけで中絶がすんでは経営悪化を招きかねない。当初、産婦人科医の団体、日本母性保護医協会の一部に反対する声が出た。

 厚生省のモデル試算によると、六日間入院する一般的な妊娠中期の中絶手術では六万四千五百円かかるのに比べ、三日間入院して座薬を使ったときは四万七千三百円となり、医療費は一万七千二百円安くなる。新薬は二か月後くらいから優生保護医の手元に出回る。薬局では販売されない。

以下、22面

 東大産婦人科・佐藤和雄助教授の話 中期妊娠は安定した状態にあるため、中絶手術がむずかしく、処置には四、五日かかっている。この間に感染などの事故も起きやすく、患者も医師も大変な思いをしてきた。プレグランディンを使えば、これが十六、七時間で処置できるようになるわけで、恩恵は大きい。薬の効き方も目ざましい。最大の問題は、乱用されたり専門外の医師によって誤った使われ方をすることで、厚生省が認可に当たって厳しい規制を付けたのは当然だ。実際に使われてみてどんな問題が出てくるかは薬そのものとは別の問題であり、産科学の立場からは、この薬が認可されるのは喜ばしい。

1984年6月1日(金)5面 社説

 タンポンのように入れるだけで妊娠中絶ができる人工流産剤が登場する。母体保護の立場からは待たれていた新薬だが、便利すぎると、ただでさえ多い人工妊娠中絶に拍車をかけるのでは、と心配にもなる。
……
 問題のひとつは「治療的流産」の範囲をどこまで認めるかである。その最終的判断は、この薬の使用と認められた優生保護指定医にまかされている。……
 ……妊娠中絶を大きな収入源としている優生保護法指定医だけにゆだねておくのではなく、国がしっかり監視してゆくことが必要だろう。
 ……対策の第一は、地にしっかり足の付いた性教育である。……
 もう一つは、安全で確実性の高い避妊法の普及だろう。……
 この際、ピルを避妊薬として認知することを検討し、副作用を封じながら中絶を少しでも減らす方向を真剣に考えたい。

1984年6月19日(火)朝日新聞夕刊

賛否にぎやか「夢の薬」
発売近づく人工流産剤
中期の中絶も安全に 賛成派
性の乱れを助長する 反対派

東大産婦人科の佐藤和雄助教授も「真に必要な患者に限って使われている限り、患者にとっても医師にとっても画期的な薬だ」と太鼓判を押しており、薬効については、専門家の評価は定まっているようだ。
◆不安
 しかし、「夢の薬」は、中央薬事審議会が「承認が妥当」と答申した五十七年八月から実に二年近くもタナざらしにされた。薬事審の答申がストレートに行政に反映されなかったわけで、きわめて異例のことだ。生命尊重派の国会議員らが「このまま認可するのは問題が多い」と待ったをかけたのが原因だった。
 反対運動の中心になった村上正邦参議院議員は「この薬は、確かに利点があるかもしれないが、マイナスの方がはるかに大きい」と主張する。同議員の論拠は、大別して三つだ。
 第一。事実上、中絶が野放しに近い現在の日本で、わずかに歯止めになっていたのが「手術を受ければ母体に傷がつくかもしれないし、医師の前に出るのも恥ずかしい」という女性心理だったはずだ。プレグランディンも、薬だけでこと足りるわけではないのだが、一般には「手術でなく薬で、安全、確実に中絶できる」というイメージで受け入れられており、若い女性の心理的な歯止めを外してしまう恐れが大きい。避妊の努力が怠られるようになり、中絶への抵抗感も失われ、性の乱れが進むことは明らかだ。
 第二。厚生省が決めた取扱い要領で、この薬が使えるのは「妊娠中期の治療的流産」の場合に限る、とされているが、どんなケースが治療的流産に当たるかの判断は医師個人に任されている。どんどん拡大解釈されていくだろう。
 第三。海外からの逆輸入、不心得な医師による横流し、盗みなどの不法使用の恐れ。「どんなに厳しく規制しても、ヤミ流通は必ず出てくるだろう」と村上議員は予測する。

1984年7月11日
人工流産剤をめぐって 上

……
 プレグランディンを膣の奥深く、三時間おきに一個ずつ入れる。やがて強力な子宮収縮で陣痛が起こり、同時に子宮頚管も開く。お産と同じ経過をたどって、胎児が外に押し出される。
 佐藤和雄東大助教授(産婦人科)がまとめ役になって、全国十二の大学病院で行った臨床試験では、妊娠中期の患者三百人余りのうち九一%が流産に成功した。使った薬は平均三個半。危険が伴い、母体にも大きな負担がかかったこれまでの方法に比べて、きわめて安全で、副作用も人によって下痢、発熱、頭痛、吐き気がある程度という。………
 プレグランディンの実力は、これにとどまらない。妊娠のどの時期でもーとくに大多数の中絶の対象となっている妊娠初期の段階に大きな効果のあることが、臨床試験でわかっている。
 プレグランディンをいちばん最初に臨床試験に使ったのが鳥取大学医学部。八年前のことだ。関連病院の協力も得て、症例を集めた。その結果、妊娠初期女性百例中八十九例が薬だけで完全に流産した。中期三十例でも、全員が四十八時間以内に流産した。さらに薬効成分を落として使うと、出産のときの陣痛促進剤としても効果があった。
 × × ×
 中絶天国といわれ、中絶費用が産婦人科医の大きな財源ともいわれている日本の実情。そんな中で、この薬は開発当初から様々の波紋を呼び、一部国会議員の猛反対を受けるなど、二年間の棚ざらしの末、やっと認可された。それも「妊娠中期」に限る、との条件付きで……。
 「営業的には、妊娠初期を狙っていたが、あまり効き目があるので、社会的に問題となり、許可は難しいと判断した。中期で申請すれば、治療ということで理由は通る。薬を早く世に出したかったので、こんな形になった」と開発当初からかかわってきたメーカー側のあるスタッフは打ち明ける。
 国内では「妊娠中期」に限られたため、「むしろ海外に期待している」と小野薬品側。同社と共同開発の形をとってきたイギリスでは今年中に認可になり、「初期中絶」にも使われる予定だ。世界保健機関(WHO)を通じて海外へサンプルを出しており、人口問題に悩む国から「中絶の特効薬」として、熱いまなざしを浴びている。
 × × ×
 国内では薬局では売らず、優生保護法指定医だけが使える。横流し防止のため、小野薬品ー卸ー指定医をコンピューターで結び、麻薬なみの数量管理をするという。
 この薬で恩恵を受ける女性が確実にいる一方、医師の手を借りず、自分で胎児を「処理」する可能性をもたらした、という点で大きな意味をもつ。これによって、一部で心配されるように、性の乱れに拍車がかかるのか。また、私たちの生命観も変えられてしまうのか……。