リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

月経回数は100年前の9倍に 「望まない妊娠」から守られない現代日本の「女性の身体」

新潮社フォーサイト 執筆者:塚原久美 2022年12月10日

月経回数は100年前の9倍に 「望まない妊娠」から守られない現代日本の「女性の身体」:塚原久美 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト

タグ: ジェンダー
エリア: アジア

 アメリカ各地で開かれた、女性の中絶の権利を支持する抗議集会の様子は日本でも報じられたが、日本での現状はどうなっているのか(写真はイメージです)(C)Longfin Media / stock.adobe.com
 生涯の月経回数が明治時代と比べて約9倍に増えた現代の女性にとって、「望まないタイミングでの妊娠」が起きる可能性は劇的と言っていいほど増えている。一方で避妊・中絶をめぐる議論にアップデートは無いに等しい。女性の「性と生殖の権利」の保障は社会の急務だと『日本の中絶』著者は警鐘を鳴らす。

 「セイント・フランシス」という映画をご存じだろうか。うだつのあがらない日常生活を送っているブリジットが、恋人未満のセフレとの関係で妊娠し、迷うことなく薬による中絶を選ぶ。その後、映画の中でブリジットはほぼ10分おきに不意の出血に見舞われては困惑する。薬による中絶の後は、次の月経が来るまでに軽い出血がしばしばあり、映画の中ではごく普通のこととしてユーモラスに描かれている。

 ブリジットの出血はあまりにも「うかつ」で、日本人ならきっと分厚い生理パッドを使うだろうなぁ~と思う反面、私にもこの感覚には覚えがある。月経は思わぬ時にやってくる。だから、若いころの私を含み、たいていの女性は、まさにブリジットのように、うっかり血をもらしたり、衣類や寝具などを汚したりした経験を一度や二度はしているのではないだろうか。


450回を数える生涯月経周期数
 女のカラダを生きるということは、ときに面倒だったり鬱陶しかったりする。ホルモンの増減と精神的な変動に振り回されて、しんどい思いをする人もいる。すっかり床に臥せってしまうほど具合が悪くなる人もいる。一方、ハードなダイエットなどをして激やせしたりすると、月経は止まる。個体としての生命維持のためにすべてのエネルギーが注ぎ込まれるからだ。つまり、女性自身の生存のためには、実は月経は不要なのである。では、なぜ月経はあるのか。「お母さんになるため」と教わった人は少なくないだろう。

 そもそも月経とは、次の妊娠にそなえて肥厚した子宮の内膜が、妊娠しなかったことで不用になり、剥がれて血液と共に流れ出す現象で、女性の心身への負担を伴う。月経は自然なことだと言う人は多いが、排卵や月経には大きなエネルギーが必要になる。だから、子宮内膜が剥がれ落ちるのは身体にとってはある種のダメージでもある。

 平均して一生に1~2人しか子を産まない(あるいはまったく産まない)現代女性にとって、今の月経の回数はあまりにも多すぎる。

 明治期の女性は、初経(初めての月経)とほぼ同時期の15、16歳くらいから20歳までに結婚していた。結婚したらすぐに子どもを産み始め、生涯に平均5~6人くらいは産んでいた。いったん子どもを産むと数年間は母乳で育てていたので、その間は排卵が抑制されるので妊娠しにくくなる。子どもが乳離れし、月経が戻ってくると、またしても妊娠する。その頃の女性の平均寿命は40代前半だったので、数人子どもを産んだ後、閉経して更年期を経験する間もなく、命の尽きる女性たちも少なくなかった。その結果、生涯に巡って来る月経周期数は、せいぜい50回だったと言われている。

 一方、現代の女性は栄養と発育がよくなったために、初経年齢が10~15歳と早まり、閉経は50歳前後と後ろ倒しになっている。婚姻年齢は遅くなり、結婚して子どもを産んだとしてもせいぜい1人か2人。たとえ母乳育児をする場合でも、1年ほどで「卒乳」することが多いので、月経の戻りは早い。こうした身体の変化と社会文化的な変化のために、現代女性の生涯の月経周期数は、なんと450回にまで増えているそうだ。

 しかし先に述べた通り、月経は生物としての女性自身の生命維持には直接的な関係はない。月経回数が激増し、身体への負担が増えたことで、月経痛や月経前症候群PMS)など不快な症状に悩まされる女性も少なくない。さらに、そのために月経困難症や子宮内膜症を訴える患者が増えているとも言われている 。


「子どもができてもいい」のはわずかな時期
 このように20世紀の社会の変化はあまりに早すぎて、21世紀になったいまでも女性の身体の進化は追いついていないというのが現状なのである。それに、現代女性の人生は「出産と育児」で振り回される時間より、子育て以外の活動に費やす時間の方がはるかに長くなっている。それなのに、現代女性にとって「望まないタイミングでの妊娠」が起きる可能性は明治期に比べて劇的に増えてしまった。そう考えると、望まない妊娠はいわば「現代病」のようなものである。そのために、現代女性にとって避妊と中絶は、自分の妊娠を管理するために不可欠なものになっているのだ。女性たちが権利としての避妊と中絶を主張するようになった裏には、人権意識の普及だけではなく、このような身体的な変化もある。

 月経回数が増えているのに、ひとりの女性が産む子どもの数はとても少なくなった一方で、今では妊娠を目的としないセックスは増えている。婚前にセックスするのは当たり前だし、結婚してからも子の数を制限するカップルがほとんどである。12歳から50歳までの生殖可能年齢にある三十数年のうち、「子どもができてもいい」のはごくわずかな時期だけ。現代の女性は、生殖可能年齢のほぼ全期にわたって「子どもが欲しくない」状態にある。だから未婚でも既婚でも、避妊は手放せないものになっている。


避妊・中絶「後進国
 ところが、日本の避妊状況はかなり劣悪である。日本でセクシュアル&リプロダクティブ・ヘルス&ライツを実現できる社会を目指して活動している「#なんでないの」プロジェクトによれば、「一度すると、3ヶ月保つ注射、3年保つインプラント、1週間貼り続けられるシール……世界には今、確実な避妊法が沢山!」あるのに、日本人にはほとんど選択肢がない。「更に特に若者には安く、時には無料でそれらが提供されている国も少なく」ないというが、日本人の避妊はほとんど、女性が主体的に選択できず、男性に協力を「お願い」しなければならないコンドーム一択で、すべて自費だ。女性が自分の意志で取り入れられる避妊ピルや子宮内に入れる避妊具(IUS)も認可されているが保険がきかず、諸外国に比べて高すぎる上に、情報もなさすぎる。

 日本人の避妊実施率自体が下がっていることも問題だ。1970年代から80年代くらいにかけて60%前後で推移していた日本の避妊実施率は、最近では40%あたりまで落ちている 。先進国で最下位であるばかりか、途上国の平均よりも低い水準だ。それでは、望まない妊娠が増え、中絶も増えているのかといえば、むしろ最近の日本では中絶件数も中絶率も下がっている。

 避妊実施率が低いのに中絶率が上がっていないことには、いくつか理由が考えられる。第一に、かつては「できちゃった婚」と呼ばれた無計画な妊娠を機に結婚して出産する事例が、少子化を背景に、「授かり婚」「おめでた婚」などと美化されるようになったことだ。しかし、このパターンの結婚は破綻に至ることも多く、婚姻時に妊娠していた妻の割合が高い10代と20代前半は離婚率も非常に高い。離婚した時に母親が子供を引き取るケースが多いため母子家庭の比率は上昇しているが、離婚後に元夫からの養育費をもらえていない女性は多い。貧困の連鎖(子ども世代が貧困のため教育を受けられず、成人後に貧困に陥ること)も問題になっている。

 第二に、セックス自体が減っている可能性がある。カップルのセックスレス化が雑誌などで話題になり始めたのは1990年代で、2000年から2010年にかけてセックスレスの言説は増えた。同様に「草食系男子」がメディアに登場したのは2000年代後半で、2009年に30代未婚男女400名を対象として行われた婚活を支援するパートナーエージェントが行ったアンケートによれば、「どちらかといえば/完全に草食男子」だと思う男性が4人に3人を占めていた。

 第三に考えられるのは、少子化で儲けの減った産婦人科医が中絶数を低く報告して脱税している可能性だ。2022年7月には、名古屋市にある産婦人科クリニックの院長が、中絶による売り上げの一部を隠すことで約3800万円を脱税したとして、名古屋国税局から所得税法違反の疑いで告発されている。つまり中絶の統計そのものの正しさが疑われる。


男性の同意なしでは実質的に中絶できない
 さらにもう一つ、統計的な数値には表れていないが、ここ2~3年話題になっているのは、母体保護法の配偶者同意要件のために、中絶を受けられなくなる女性たちがいることだ。日本には今も刑法堕胎罪があり、中絶は基本的に「犯罪」なのだが、この罪をそのままにしながら、一定の条件に合った中絶を合法化しているのが母体保護法である。この法律は、戦後の人口爆発を抑えるために不妊手術や中絶を許可した1948年の優生保護法を元にしている。障がい者等に対して強制的な不妊手術等を行っていた「優生思想」が人権侵害だとして問題になり、1996年に優生条項を削除して、中絶に関する条項をそっくり残して「母体保護法」という名に変わった。これによって中絶は、「本人と配偶者の同意を得て母体保護法指定医師」が行うと定められている。ところが、子の父である男性とのトラブルを避けるために「配偶者同意要件」を拡大解釈して、本来は不必要な未婚の場合やDVや強制性交の場合でさえも一律に、パートナーの同意を求める医師たちが今でもけっこういる。

 中絶に配偶者や親などの同意を義務付けるのは、国際的には「女性差別」だとされている。だから女性差別撤廃条約を締結している日本国政府は、法を修正するよう国連の委員会から勧告を受けているのだが、政府は変えようとしていない。先日、参議院議員会館で仲間たちと開いた行政交渉の場で、「配偶者同意は何のためにあるのか」と質問したところ、何と厚生労働省の役人は「古い法律で制定の経緯がわからない」と回答した。何のためにあるのか分からない古い法のために、同意書を得られずに中絶できなくなって、密かに自宅や公園のトイレで産み落とし、死体遺棄や嬰児殺に問われる女性が現にいるのだ。その裏には、日本の中絶は高額すぎて若い女性には手が届きにくいという問題もある。世界には避妊も中絶も健康保険の対象で、無料または安価で受けられる国が少なくない。イギリスのように堕胎罪があっても中絶は保険で無料だという国もある。国連も、「合法的である中絶は安全でアクセスよくすべき」だとしている。

 一方、日本は少子化なんだから、中絶はすべて禁止すればいいという暴論もしばしば聞かれる。しかし、「望まない妊娠」をした女性に強制的に出産をさせることは、国際社会では「拷問」に分類されている。妊娠初期の中絶に比べて妊娠を継続して出産する方が、身体的リスクは10倍以上も高まるし、産んで養子に出す場合も女性の身体・精神にかかる負担は甚大になる。

 なお、今の時代の科学をもってすれば、妊娠した子の「父親を特定」することは難しいことではない。従来、妊娠した女性は自分の身体だから逃げられないが、男性はいくらでも逃げることができた。しかし、少子化だからという理由で、「望まない妊娠」であってもすべて産むことを強制し、生まれた子どもの養育費は「実の父親」がすべて支払うことを義務付けられたら、男性側は「少子化だから仕方ない」と甘んじて払うのだろうか。そんなことはないだろう。望まない妊娠は、男性側も避けたいはずである。


リプロダクティブ・ライツを「女の問題」に矮小化した日本
 なお、自分には恋人も妻もいないから関係ない、と思う男性読者もいるかもしれない。しかし、現代社会は次世代がいることを前提に成り立っている。年金も、国債発行や株の投資も、次世代がいなければ制度として破綻する。今、この社会に生きている人はすべて、次世代の存在に――今、生殖可能年齢にある女性たちの生殖行動に――依存して生きているのだ。だから本来は、女性の性と生殖の権利は十全に保障されなければならない。200年前から少子化に悩んできたフランスは、社会保障を充実させることで、結婚していてもしていなくても子どもを産みやすい社会に変えてきた。ところがこれまで日本の政府は、リプロダクティブ・ライツは「女の問題」として全く重視してこなかった。女性差別は温存され、ジェンダー・ギャップ指数(男性に対する女性の処遇を数値化したもの)は縮まらず、日本の順位はどんどん転落している。

 いや、男だって大変なんだという声が聞こえてきそうだ。まさにそうなのだ。自分の生存が脅かされるときに、「次世代」のことまで手が回らないのは当然だ。円安や物価高、環境問題にエネルギー問題等々に脅かされ、不安定雇用で自分の未来さえ読めない人が多い時代に、家庭をもち、子どもを育てていくことに希望を抱けないのは当然なのだ。激やせした女性の身体が、生殖機能にエネルギーを注がなくなるのと同じである。

 今のところ子どもを産むことは、血を流すカラダを生きている女性にしかできない。だからこそ、いつ産むか、何人産むかを決定する女性の権利は保障されるべきであり、それを助けるよすがとして、避妊と中絶についての適切な情報とアクセスしやすい手段も女性に与えるべきなのだ。


カテゴリ: 社会