リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

指定医師による中絶ビジネスを脱して人権に基づく中絶ケアへ

以前に書いた連載をまとめてみました

 日本の中絶の94%が妊娠12週未満の初期中絶の段階で行われているが、従来は主に「搔爬法」と呼ばれる外科的処置による人工妊娠中絶(以下、中絶)しか手段がなかった。2021年12月に英国のラインファーマ社が経口中絶薬の承認申請を行い、2023年4月21日に厚生労働省の分科会で承認されたことで、ようやく外科処置を行うことなく、服薬(2種類の薬を順次服用)のみで中絶できる可能性が開かれた。この薬の第1薬ミフェプリストンは、1988年の中国とフランスにおいて世界で初めて承認され、すでに35年も経つ古い薬である。一方日本では、1948年に制定された優生保護法で合法的中絶が可能になって以来、75年間も基本的に「搔爬法」が使われてきた。
ところが、この搔爬法は、WHOが2003年のガイドライン『安全な中絶』で「真空吸引や薬による安全な中絶方法が利用できない場合にのみ使用されるべき」と位置づけたD&Cに近似した方法である。D&Cでは、子宮頚管(膣と子宮を結んでいる細い管の部分)を薬で(現在ではミソプロストールという経口中絶薬の第2薬を服用することで)柔らかく開いておいて、子宮にキュレットと呼ばれる匙状の道具を挿し込んで子宮内膜を掻き取る。WHOは2012年の『安全な中絶第2版』で、D&Cは「真空吸引法よりも安全性に劣り、女性にかなり大きな痛みを強いる」として、D&Cが「いまだに行われているならば、安全性及び女性にとってのケアの質を向上するために、真空吸引に切り替えるようあらゆる可能な取組みを行わなければならない」と切迫した警告を発していた。
ところが、日本の搔爬法は上述のD&Cよりもさらに侵襲性が高く、より強い痛みを伴う。日本では、無麻酔でラミナリア桿と呼ばれる海藻を原料とした棒状の器具を頸管に挿し込み、この棒が湿気を吸って膨張したら抜去して、さらに太いラミナリア桿を挿入することをくり返して頸管を拡張するのが常である。ラミナリアの挿入も抜去も女性に相当な苦痛をもたらすと言われており、2022年のWHO『アボーション・ケア・マニュアル』では、妊娠初期の外科的中絶にラミナリアを用いることは厳禁である。さらに日本の搔爬法では、最後のラミナリアを抜去してから、子宮に鉗子と呼ばれるハサミ型のサラダサーバーのような道具を挿し込んで妊娠産物を掴み出してから、上述のキュレットを用いる。鉗子を使うためには妊娠産物が「形」をもつようになるまで待つ必要があるため、中絶のタイミングは後ろ倒しにならざるをえなくなる。ごく早期に妊娠に気づき、中絶を決意していながら、掻爬しか行えない医師の診療所を訪れてしまった女性は、何週間も先に「手術日」を設定されて苦悩している。

 一方、日本の中期中絶(最後の月経から数えて12週以降)は、プレグランディン膣坐剤(膣内の粘膜を通じて徐々に成分を吸収させる薬で成分名はゲメプロスト)一択である。ゲメプロストは1970年代に日本で開発され、1984年に優生保護指定医師が行う「妊娠中期の治療的流産」に限定して承認され、要指定薬、劇薬として厳重な規制がかけられて約40年近くも使い続けられている古い薬である。
中期中絶が許容される条件である「治療的流産」も古い言葉で、まだ中絶が厳禁だった時代の欧米では「女性の命が危険」なときに限って行う人工流産術のことを指していた。たとえば1965年のニューヨーク州法では、母親の生命を保続させる目的の「治療的流産」しか許されていなかった 。MSDマニュアル家庭版では、「治療的流産(誘発による):母体の生命や健康が危険にさらされる場合や胎児に大きな異常がある場合に、医学的な手段(薬や手術)によって誘発された流産」と説明されている 。
ところが、この「治療的流産」が日本ではきちんと定義されていない。日本産科婦人科学会(以下、学会)と日本産婦人科医会(以下、医会)の各々のホームページで「治療的流産」を検索しても、何もヒットしない。学会と医会が共同編纂している『産婦人科診療ガイドライン――産科編』2020年版には、「妊娠12週未満の人工妊娠中絶時の留意事項」はあるが、妊娠12週以降の「中期中絶」の説明は皆無であり、「プレグランディン」「ゲメプロスト」「治療的流産」といった言葉も見当たらない。母体保護法指定医師の利益団体である医会が発行しているマニュアル『指定医師必携』の中にも出てこない。
医会のホームページを隅々まで探したところ、2017年の「研修ノート」のページの「No.99流産のすべて III.流産の処置 5.後期流産の処置」の中に「プレグランディン」が載っていた。しかし、そこに記されているのはこの薬を使う手順だけであり、プロセスの一環として「治療的流産」に該当するかどうかの判断を行うことについては全く記載がない。どのような場合が「治療的流産」に当たるのかの定義すらない。2022年4月に医会で行われた記者懇談会の資料「安全な人工妊娠中絶手術医ついて」も同様で、ラミナリアなどの頸管拡張材で前処置をしておき 、子宮収縮薬(膣坐薬)を用いる手順は説明されているが、やはり「治療的流産」への言及は皆無である。
だが、実のところ日本では、出生前診断の結果としての中期中絶が広く行われているのは周知の事実である。ところが、具体的な個々の中絶が「治療的中絶に当たるかどうか」の議論は聞いたことがない。どうやら日本では、特に定義も根拠もなく、指定医師が「これは治療的流産だ」と言ってしまえば、全くノーチェックで中期中絶を行えるようなのだ。これではプレグランディンに「厳重に規制」をかけた意味はない。実のところ、「厳重な規制」が効果を上げているのは、薬の流通を制限し、管理を強化することで、「指定医師しか使えない」ように特権化しているところだけである。
さらにプレグランディンは、元々1970年代に開発された時に妊娠初期の中絶に試されて相当な成功を収めていたにも関わらず、「簡単に薬で中絶がすんでしまうと儲けが減る」と考えた医師たちの意向により、全中絶の5~6%しか占めていない中期中絶に限定して承認された。この時、東京大学産婦人科教授らは海外では英語でこの薬が妊娠の初期と中期の両方で成功していることを発表していながら、日本語の論文では中期中絶の治験データのみ発表することで、中期中絶専用薬として1984年に承認させている。中絶薬ミフェプリストンが登場する4年前のことであり、この薬が妊娠初期にも中期にも使える薬として発表されていたら、国内外の中絶事情も、日本女性の意識も様変わりしていたことは間違いない。

初期中絶についても、日本では「経済的理由」が中絶の圧倒的多数を占めている(99%)。しかし、厚生省が2006年9月25日付の厚生事務次官通知で示した「経済的理由」の範囲は、「妊娠継続や分娩が当人の世帯の生活に重大な経済的支障を及ぼし、母胎の健康が著しく害される」場合であり、具体的には生活保護を受けている場合などが想定されている。
この通達に従うならば、「現に生活保護を受けているか、妊娠・分娩の結果、生活保護適用を受ける事態に陥る人」しか「経済的理由」には該当しないことになる。しかしこの認定は簡単ではない。『指定医師必携』 の中でも、「現に生活扶助、医療扶助を受けている場合」は明らかに認定できるが、「妊娠又は分娩によって生活が著しく困窮し、生活保護法の適用を受けるに至るような場合」については「正確に判定することは困難である」と認めている。だが実際には、指定医師たちはこの困難をやすやすと乗り越えて、「経済的理由」ということにしておいて中絶を実践しているのである。
このように、妊娠の初期についても、中期についても、「指定医師」は何の根拠もなく「治療的流産」または「経済的理由」ということにしておき、自分たちの言い値で中絶を提供してきた。つまり、優生保護法制定時から存在している「指定医師制度」は、一部の指定医師たちに中絶という業務を独占する特権を与えてきたというのが実態なのである。指定医師を指定する権限は都道府県の医師会にあり、このように民間団体に業務独占の権限を与えているのは日本弁護士会と医会だけだとも言われている。なお公益社団法人の日本産婦人科医会(医会)が、関連政治団体である日本産婦人科医師連盟(医連)の事務所代や人件費を肩代わりしていることを2022年6月30日付の赤旗記事は明らかにしている。
指定医師たちは「専門家」として中絶を独占し、自分たちに都合のよい制度を作り上げ、それを守り続けることを女性の健康や権利より優先してきたのである。「より安全な中絶」に漸進的に移行していくことで、より専門性の低い産婦人科以外の医師や助産師、看護師などでも吸引中絶や中絶薬の処方が可能になっている海外の実態を無視して、中絶ビジネスをくりひろげてきたと言っても過言ではあるまい。

 現在、世界中で安全性と有効性の科学的エビデンスが山積みの経口中絶薬を、医会は日本でしか使われていない古くて高価で「劇薬」のプレグランディンと同様に厳重管理下に置こうとしている。 経口中絶薬の承認は当然であり、むしろ遅すぎたほどである。女性のリプロダクティブ・ヘルス&ライツを尊重せず、儲けを優先してきた従来の産婦人科医療を徹底的に検証していく必要がある。