リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

私たちのアイデンティティが他者の指図で決められ,切りちぢめられてきたこと,あるいは私たちが自分のアイデンティティをほかの人間が切りちぢめ搾取するままに任せてきたことを,認めるのはつらい。この考え方は,長いあいだ公認されず押さえつけられてきた現実(リアリティ)がうごめきはじめ,自己主張をしはじめるときつねにぶつかる抵抗に,いまなお出会っている。

アドリエンヌ・リッチ「束縛された母性」(初出1976)『嘘,秘密,沈黙』p.333 大島かおり訳 晶文社1989年

……すべての女はなによりも第一に母親として見られている。あらゆる母親は夫権制的価値観に合うように,両価的感情をいだくことなく,母性を経験するよう期待され,「母親とならない」女は,逸脱者とみなされるのである。
「逸脱者」は掟からはずれていて,「異常な」のであるから,「母親となる」役割に同意せよと,すべての女性にかかる圧力はたいへんなものだ。母親のアンビヴァレンスについて語ること。……深く埋め込まれている恐怖症(フォビア)と偏見に挑戦することである。

同 p.336.

上記に続けて……

 こういうテーマは,まさに人間存在の痛いところに触れるがゆえに,怒りと恐怖をよびおこす。だがそれらから逃げたり,くだらぬ次元にすりかえたりして,私たちのなかにひきおこされた情動を吟味しないままにしておくことは,私たち自身から逃げだすことであると同時に,女と男がいつの日か,嘘と秘密と沈黙のなかに沈められてしまうことのない愛のかたち,親であることのかたち,アイデンティティと共同性のかたちを経験するようになるという,明けそめはじめた希望からも,逃げだすことなのである。

同 p.336-7.