リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

プロネイタリズムとウィリアム・ラフルーア氏のいうフィカンディズムは区別すべきだろうと感じている。前者は胎児の出生に焦点があり,後者は(主に男性の)“俺の子願望”とでも言うべきもの(子種を植えつけることへのこだわり,“血”の継続や遺伝子伝達への願望等々)に関連しているとの直感的なイメージがある。さっき,fecundityという言葉をメアリ・デイリの本で見かけたのでメモっておく。

The male "mother's" spiritual "fecundity" depends upon his fetal(fatal)fettering of the female to whom he eternally attaches himself by a male-made umbilical cord...

Mary Daly, Gyn/Ecology, 1978, 1991:60-1.

なお,Dalyはこの直前で,Karen Horneyの「子宮羨望」論は,子宮が創造性の源泉だという前提に立っているが,子宮羨望は他者(母親)からエネルギーを(胎児同様に)引出そうとする欲望だと見ることもできると批判している。