リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

本『これをあなたは見てないのだ』

昭和3年生まれの西岡璦子という助産婦が書いた新書版の本で、発行は昭和38年(1963年)太平書房である。副題に「苦悩する或る助産婦が打明けの手記」とあるとおり、一日に平均8件もの中絶手術を行っている産婦人科医院に勤務してしまったクリスチャンの助産婦の苦悩の日々が綴られている。

中絶しにくる女性たちの「一〇〇人の中、九十五人までは妻のわがまま」と見なすところなど、ところどころに著者の主観が垣間見られるが、手術の場面については、プロライフ派の人びとがこれみよがしに描く残虐な中絶シーンとは微妙にニュアンスが異なる。全般に、「事実を伝えなければ」という使命感から抑えたトーンで描写しようと著者が心がけていることが感じられ、かえって信憑性と説得力が増している。

この本の魅力は、医師や看護婦、そして医院を訪れる妊婦や家族の言動などを通じて、当時の産婦人科医院の実情が活き活きと描写されているところであろう。「二、三ヵ月の形のととのわない中絶はさして心にとめないが、ちゃんと形の出来た子供を出すのは……さすがに良心がとがめる」産婦人科医に、「七ヵ月にもなっておろすのを手伝うなんて、ほんとうに気持ちが悪いんです。それに赤ちゃんの首しめたり、口に紙をはったり、手でおさえたりすることは絶対できませんから」と言う助産婦。それに対して医師は、「A君、こわいのかね。なんのことはないよ。簡単だよ。そりゃ、僕だって、首しめたりすることは殺人だからできないさ。だからさあー。生まれるとすぐ、パッと蓋をすれば、その中に死ぬさ。……なあに。初めはこわいがすぐになれてくるよ……何もそんなに神経質に考えなくともよいではないか」と答える医師。実際、この助産婦は勤務を続けるうちに「慣れて来るということはおそろしいもので、私はこの頃になると、形をみないだけで、何か他の異物を取り出した時のように気がおおらかになって、あまり罪悪感を持たなくなった」というのである。

ところが、婚約者に見捨てられた若い女性が“産む形で“中絶した妊娠八ヵ月の赤ん坊が出てきたとき、彼女はクビを覚悟に「とっさにこの子を助けてやろうと決心」した。とはいえ、気道に詰まっているものを取り除いて苦しみを和らげてやった以外は、「未熟児の哺育施設がない。酸素がない。従ってそのままにしておくより外はない」のであった。

この著者のすばらしいところは、産婦のようすもまた、しっかりと見極めているところである。

産婦は精神的な苦しみのクライマックスにある。
……
 泣こうにも涙が出ない状態である。嬰児の元気な鳴き声にさいなまれ、それがやがて細り行く命であるだけに、重大な罪を犯したという思いと、その事項に対して報償は必ずあるはずだという意識とが結びついて女を奈落の下につき落して行くのだ。そしてこの苦しみを何処へ向って訴えるすべもないのである。気の毒に思ったが、どうしようもない。どうか神様お許しくださいとの一言を女に代っていおうとしても、それは一見こみ上げて来ながら、逆に私の体の外にその言葉となっては出なかった。

赤ん坊は「お腹の中で死んでいた」ということにされ、姉の名前で死産証明書を発行されて、火葬にふされ、骨箱に入れられて戻ってくる。「お骨にしてお家のお墓にほうむりたいという。患者のたっての願いである。死んだ後だけでも、せめて親らしいことをしてやりたいという願いからであろうか。」と著者は書くが、水子供養への言及は全くない。水子供養が一般に広まるのは、この本が出版されてから10年ほど後のことである。

この経験を経て、彼女は「このような妊娠中絶の手術」「事実殺人と同様なこんな行為」が「法律で認められている国はどこにもない。日本だけだ」といい、「道義上ゆるされてよいのだろうか」と疑問を発する。

ここで注意が必要なのは、彼女が「事実殺人と同様な行為」と述べているのは、「赤ちゃん」として形をなした中・後期中絶だという点である。「二、三ヵ月の形のととのわない中絶はさして心にとめない」というのは、おそらく現場の人びとの実感に基づいている。この著者が、後期中絶を描写した後に、「すべての中絶」を同一視して批判していくプロライフ派と一線を画しているのはまさにこの点だといえよう。