リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

少子化対策に「声なき声」を

今年も念頭から走り回る日々でした。ようやくこちらのブログに書ける状態に。みなさま、新年はいかがお過ごしでしたか?

年末年始にかけて、世間ではあいかわらず悲しいニュース、痛ましいニュースがありました。政治的・社会的な大事件・大問題が起きるたびに、「この陰で女性たちはどうしているだろう?」と考えるのがわたしの習い性になっているのですが、何も報じられず、知らされないところで起きていることには、救いの手も伸びていかないのではないかと、気になってしかたがありません。

そんな思いでいたのですが、今日になって、1月4日付けのサンケイ新聞に次のような記事を見つけました。【土・日曜日に書く】として載った政治部・福島香織さんの署名記事です。同紙らしい論調の部分がところどころ引っかかるのと、論者があえて自分を「負け組」に位置づけなければならなかったことについては問題を感じますが、よく書けている記事だとは思うので、ご紹介しておきます。まず筆者は不妊治療と中絶の体験者に目を向ていく。

 ≪壮絶な不妊治療≫

 友人の話である。

 6年におよぶ不妊治療の結果、40歳を目前に妊娠した。「独身時代に蓄えた貯金をほとんど使い果たした」という。が、喜びはつかの間、5カ月目に医師から「胎児が順調に成長していない」と告げられる。その命を救うには、絶対安静にして腹に太い針をさして羊水を補給し続けなければならない。「それでも生まれる子に重度の障害がのこる。どうしますか」医師は決断を迫った。「何年も努力してやっと授かった赤ちゃん。なんとしても産む」と彼女は激痛の伴う治療を選ぶ。2カ月後、腹の中で赤ん坊は死亡。傷ついた体を引きずって家にもどると、ベッドルームに自分で買いそろえた産着やベビー用品が並べてあった。その光景を見たとたん、彼女の心は壊れた。精神科医にいくと解離性障害と診断された。

 もう一人の友人は3度中絶した。相手が妻子ある人だったからだ。3度目に中絶した夜、夢を見た。小さな女の子が「おかあさん、ばかね、もう赤ちゃんは来ないよ」と言って走り去った。夢の話をして彼女は嗚咽(おえつ)をもらした。子供ができれば、彼が口約束している妻との離婚を実行してくれると信じていた。「もう少しまって。次は必ず」といつも説得され、中絶を繰り返していたのだ。

 私の周囲にはそういう壮絶な思いで出産に挫折した女性が結構いる。いや、私の周囲に多いんじゃない。私が「女の幸せ」に関しては“負け組”だから話しやすいだけだ。出産に挫折した女性はどこにも大勢いる。結婚・出産が当たり前という社会で、女性はその当たり前のことができない本当の理由を打ち明けられない。

 ≪多すぎる中絶≫

 少子化は深刻な問題だ、といいながら、平成19年、日本では25万6600人余りの赤ちゃんが中絶された。年間の新生児出生数109万人と比較すれば5人に1人近くが中絶されていることになる。

 堕胎の理由は個人個人で違う。若すぎるから、婚外子だから、育てる余裕がない、あるいは胎児に異常が見つかった…。それはきわめて敏感な問題で部外者がその決断について何かを言う資格はない。しかし、その一方で年間推計45万人以上が不妊治療を受け、膨大な時間と労力と金銭を費やしている。日本が直面している少子化の実態は矛盾にみちている。

 中絶された赤ちゃんは、本当にみんな望まれぬ子だったのだろうか。ひょっとして、大丈夫、育てられるよ、と励ます人がいれば、産もうと思った人もいたかもしれない。婚外子であっても、貧しい家庭に生まれた子でも、障害を負った子でも、そのことを普通に受け入れてくれる家族や隣人、環境があれば中絶をやめたいと思った人もいたかもしれない。未婚でも若いうちに出産していれば、出産高齢期になって不妊治療に苦しむ必要はなかったかもしれない。

わたしが常々主張しているように、上記記事でも、「女性と胎児」しか視野に入っていない。いったい誰が妊娠されているのか? 誰が堕ろせと言っているのか、誰が女は産むべきと強制しているのか? もし、「未婚で若いうちに出産」することでその女性の人生はいったいどのように狂っただろうか……そして男性の方はいったいどのように責任を取るというのか(それとも、女性は貧しくても、学歴が低くても、すぐに解雇されるような非常勤職にしかつけなくても、産んで置いたほうが幸せだというのだろうか??? 貧困や生活難と児童虐待の関係にも目を配るべきではないだろうか……??)

 ≪別の視点も必要≫

 今の日本の少子化の現状は待ったなしだ。小渕優子少子化担当相の口癖である。昭和46〜49年の第2次ベビーブーム世代の女性はあと5年もすれば子供を産める年齢を過ぎる。すると出産人口自体ががたっと減少し少子化に歯止めがきかなくなる。だから今後5年は今までにない大胆な、思い切った政策を、という。大臣の肝いりで「ゼロから考える少子化対策プロジェクトチーム(PT)」を1月から立ち上げる。メンバーはシングルマザーで売れっ子経済評論家の勝間和代さんら、華々しい活躍をする現役子育て世代。将来的に引き上げられる消費税の1%を少子化対策に使うとして、経済支援も拡充させたい方向だ。

 だが、少し残念なのはその視点が「子供を産まない夫婦」に集中している気がする。「小渕大臣は子供を産んだから大臣になった」というような失礼な発言をする政治家がいたが、日本には確かに「出産・子育ては楽しい、得する」という観点でしか、少子化へのアプローチを行ってこなかった面があったのではないか。だから出産・子育てを経験して成功した女性やそういう女性を支える良き夫こそが少子化対策によい提言やアピールができると考えているようだ。

 もちろんそういう方向性も重要だ。しかし、同時に、妊娠・出産に挫折した女性の声にも耳を傾けてもらえれば、と思う。そうすれば少子化問題の別の側面もみえてくるのではないか。

ここは非常に重要な論点だと思う。出産・子育てを奨励し、次世代を世に送り出す人を成功者とみなす一律的な価値観のおしつけは、かつての「産めよ殖やせよ」のマイルド・ヴァージョンでしかない。「耳を傾けてもらえれば」ではなく、ぜひ、そうすべきだ。

 冒頭に紹介した2人の友人は今、ともに母親になっている。挫折は、周囲の寛容さや思いやりや励ましで乗り越えることもできる。まず、そういった挫折を語ることのできる社会にすることも、少子化の処方箋(せん)の中にいれてもいいのではないだろうか。(ふくしま かおり)

「まず」は語れるようにする……沈黙を脱するということについては、大賛成なのだが、上述のような価値観のなかでは「負け組」としてしか語れない。あるいは、いったん挫折しても最終的に成功した者しか語れないということに注意が必要だ。語ったとたんに自分がみじめになるような「語り」ではなく、自分の行為を振り返り、肯定なり反省なりして次に進んでいけるような形を行える場が必要だ。リプロにまつわるさまざまな体験を語りあえる場、かつてのCR(コンシャスネス・レイジング)やコ・カウンセリングのような場……どのようにそれを作ればいいのか、今後は模索していきたい。