リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

誰にも言えなかった妊娠

NHK 2020年12月8日 17時14分

WEB特集 誰にも言えなかった妊娠 | NHKニュース

彼女はなぜ、生まれたばかりのわが子を殺害したのか。


 就職活動をしていた時に、自分が産んだ赤ちゃんを殺害して公園に埋めたとして、神戸市の元女子大学生が逮捕された。彼女の夢は、航空会社の客室乗務員になることだったという。くしくも、赤ちゃんを出産し、そして殺害したのは羽田空港のトイレだった。取り調べに対して「妊娠のことを誰にも言えなかった」と話した、彼女の思いとはー。(社会部警視庁担当記者 藤田公平 岡崎瑤)


公園で見つかった赤ちゃん
 時は、1年前の去年11月にさかのぼる。


東京・港区の区立イタリア公園。
 公園の茂みに何かが埋められているのを近くの人が見つけた。通報を受けた警察官が確認すると生まれたばかりの女の赤ちゃんだった。

 「誰がこんな所に」赤ちゃんには窒息した痕があり、生まれてまもなく殺害され、遺棄されたことがわかった。警視庁は、周辺の防犯カメラの映像を調べ、公園に出入りした人物を徹底的に洗った。その数、およそ3万人にのぼったという。

 捜査が進むと、容疑者として意外な人物が浮上した。
 画像を解析し、赤ちゃんが遺棄された時間帯に公園に出入りしていた姿を追っていくと、神戸市に住む当時22歳の女子大学生に行き着いたのだ。

 のちに逮捕・起訴される、XXXXX被告だった。


逮捕された女子大学生
 被告は3人きょうだいで、祖父母と父、母の7人家族で生活していた。家は神戸市の中心部からは離れ、周囲が田んぼに囲まれたのどかな集落の中にある。地元の小中学校を卒業後、隣町の高校に進学。しっかりと授業に参加し、バレー部に所属するごく普通の女子生徒だったという。


高校の同級生
 「特に目立つタイプではなかったが普通の女の子という感じで、かわいいし社交的でいつも友達と楽しそうに話していました。バレー部のメンバー以外にも友達はいっぱいいましたね」
 高校を卒業後、兵庫県内の私立大学に進学した。
 この頃から服装は少し派手になったというが、大学にはきちんと通い、授業を休むことはなかったという。


大学の同級生
 「おとなしく周りにも気を使える優しい子という印象です。わいわいと騒ぐ方ではなく、授業も1人で受けて黙々と勉強していました」
 大学での勉強の原動力となったのは航空会社の客室乗務員になりたいという夢だったという。語学を熱心に学び、大学2年の時にはアメリカへの留学も経験した。

 帰国後の留学体験記には、こう記されている。
 「私は国際センター長の秘書として仕事をしました。ひたすら英語でのタイピングで、なんと大学の資料を英語で作りました。4時間ひたすらタイピングで大変だったけど、終えた時の達成感はとても良いものでした。普段はできない貴重な経験ができて、とても良かったです!!」


喜べなかった妊娠
 大学の4年生になり、就職活動を本格的にスタート。
 なんとしても客室乗務員になりたいと、数多くの航空会社に面接を申し込み、地元の神戸と東京を頻繁に行き来するようになった。しかし、この頃思いも寄らない出来事が起きる。

 「妊娠」だった。
 兵庫県内のある産婦人科のクリニックに、去年9月13日に被告が初めて受診していた記録が残っていた。当時、診察した医師に会うことができた。

 医師によると、すでに妊娠7か月近くになっていたため、中絶はできない状態だったという。出産する病院をどこにするか考えるよう伝えたが、被告はあいまいな答えをして、少し様子がおかしいと感じたという。


担当した医師
 「妊娠していることを伝えると本人は黙ってうなずいていました。特にショックだという顔ではなかったが、喜ぶ様子もありませんでした」
 このあと、被告が再びクリニックを訪れることはなかった。

 そして、家族や友人などに妊娠について相談することもなかった。体が細く見た目からは妊娠していることが分かりづらかったのか、家族も妊娠について気づかなかったという。

 被告は、逮捕されたあと、警視庁の捜査員にこのように話している。


被告の供述
 「母親になるんだなという思いとシングルマザーとして生きていくんだなという葛藤はありました。家族には就職活動で東京への渡航費や宿泊代などお金をたくさん出してもらっていたので、これ以上は迷惑をかけられないという思いから相談できませんでした」
 夢である航空会社への就職は、なかなか決まらなかった。この頃から、生まれてくる赤ちゃんについて考える余裕が徐々になくなっていったという。


被告の供述
 「赤ちゃんをどうしようかと考えることができずそのままにしていました。航空会社の面接で『君の英語力では難しい』『会社の社風に合っていない』などと言われたこともあって落ち込んでいました。就職活動で頭がいっぱいで、赤ちゃんをどうするべきか考えられなかったし考えたくありませんでした」
 夢が、かなわなくなる
 出産をどうするのか。

 なるべく考えないようにして生活する中、去年の11月3日を迎える。この日も就職活動のため神戸空港から東京へ飛行機で向かったが、機内で産気づいた。出産の予定日より1か月早かった。

 夕方、羽田空港に到着したあと、急いで多目的トイレに駆け込んだ。赤ちゃんが生まれ、最初はすぐに救急車を呼ぼうとしたという。しかし、脳裏によぎったのは、客室乗務員になりたいという自分の夢だった。


被告の供述
 「トイレで出産したあと救急車を呼ぼうとしましたが、赤ちゃんがいると客室乗務員になりたいという私の夢がかなわないと思い、できませんでした」
 その時、赤ちゃんが大きな声で泣き出した。

 被告は、とっさに口をトイレットペーパーでふさぎ、首を絞めたという。その後、持っていた紙袋に動かなくなったわが子を入れて空港をあとにした。
 宿泊先である空港近くのホテルの部屋に入ったあと、被告はスマートフォンで近くに公園がないか検索した。赤ちゃんをどうにかしなければとあせっていたという。

 そして、港区にある静かな公園を見つけた。オフィス街の一角にある公園で、モノレールを利用すれば、空港からも近い。


我が子を抱きながら
 浜松町の駅を降りたあと公園に向かうまでの防犯カメラには、被告が赤ちゃんを入れた紙袋を手に持ちながら歩く様子が写っていた。映像には、時折、紙袋の中を見て、涙を流す姿が確認できたという。
 公園に到着した彼女は、何か迷っている様子だった。防犯カメラには何度も公園に入っては出ることを繰り返す様子が写っていた。

 そして午後9時ごろ、公園内の石像の裏に行き、手で掘った土の中に、赤ちゃんを埋めた。

 翌日、航空会社で面接を受けたあと、地元の神戸に戻った。
 その後も、何度か上京して面接を受けたが、結局客室乗務員にはなれなかった。大学卒業後は、地元でアパレル関係の販売の仕事に就いていた。1年後のことし11月、捜査員に同行を求められた時、被告は泣き崩れたという。


被告の供述
 「心の中で赤ちゃんのことがずっとしこりとなっていて、申し訳ない気持ちと後悔の気持ちでいっぱいでした」
 公園で赤ちゃんが見つかった時、埋められていた場所には、木の棒が立てられていたという。

 安らかに眠ってほしいと、お墓のつもりだったのか。
 あるいは、目印を付けて、早く誰かに見つけてほしかったのだろうか・・・。
他人事ではない・・・
 「自分も同じことをしていたかもしれない」関東地方に住む20代前半のあやかさん(仮名)は、今回の事件のニュースを見てこう思ったという。

 あやかさんは去年妊娠したが、ある男性との同意していない性行為が原因だった。緊急避妊薬を72時間以内に服用すれば妊娠を防ぐことができたかもしれないが、当時は薬の存在自体を知らなかった。

 それから半年ほどたったある日。お腹が動くような違和感を感じ、病気を疑って産婦人科を受診した。そこで初めて、妊娠していたことが分かった。体重の変化やつわりもほとんどなく、以前に生理が半年ほどこないこともあったため、まさか妊娠しているとは思わなかったという。
 「嘘でしょって。妊娠なんて発想が全然ありませんでした。自分の人生がどうなるのだろうということを一番最初に思いました」
 すでに中絶ができる期間をすぎ、出産する以外の選択肢は残されていなかった。しかし、当時は社会人になって働き始めたばかりで生活は1人でも精いっぱいだった。

 親に妊娠したことを話せば心配をかけてしまう。
 誰にも頼ることができなかった。

 もはや出産するしかなかったが、現実を考えると育てることはできない。あやかさんは追い詰められた。
 「産んでどうするのっていう気持ちでした。金銭的にも余裕があるわけでもないし、産んだところでこの子と一緒に私も死んでしまうかもしれない、この子のことを殺してしまうかもしれないと思いました」
 病院の医師にも厳しいことばをかけられたという。
 「『自分で産むんだから何とかしなさい』『自分で育てなさい』と言われました。『誰かに育ててもらうのはおかしい』と批判され、本当にひとりぼっちだなと思いました」


ようやく見つけた頼れる場所
 1人悩む中で、最終的に頼ったのは、妊娠した女性などを支援するNPO法人だった。
 「思いがけない妊娠で困っています」
 相談のメールを送ると、すぐにスタッフから電話があったという。
「生活は大丈夫?ご飯は食べられている?」
 初めて、心配することばをかけてくれた。
 ここに頼ろう。そう決心した。
 このNPO法人は、第三者に子どもを育ててもらう特別養子縁組の紹介も行っていて、さまざまな事情を抱える女性の相談にあたっていた。あやかさんは、出産までの間、NPOに紹介された住宅で生活することにした。

 まもなく産まれたのは男の子。出産から1週間後に特別養子縁組を行い、子どもとは離れざるを得なかった。始めは望んでいなかった妊娠だったが、生まれたわが子と離れるのはつらくてたまらなかった。

 今もあやかさんのスマートフォンの待ち受け画面には、病院で撮った子どもの写真が表示してある。


あやかさん
 「予期せぬ妊娠をした人は、きっとみんな苦しいと思うんです。でもその苦しさは、1人で抱え込まなくていいもので、寄り添って話を聞いてくれる人は必ずいます。そういう人を探す気力もないかもしれないけど、1人じゃないということだけは忘れないでほしい。誰にも話せなくても少しだけ勇気を出して『助けて』のひと言を出してほしい」


何とかするから相談を
 「自分たちのような団体を知ってもらえていたら事件は防げたのではないか」
 就職活動中の女子大学生が起こした事件について、女性を支援する団体の多くは重く受け止めている。
 あやかさんが相談していた茨城県にあるNPO法人では、予期せぬ妊娠に悩んだり子どもを産んでも育てられないといったりする女性の相談にメールや電話で応じている。


寄せられる相談は年に400件ほど。
 「家庭環境が複雑で、家族に頼ることができない」「妊娠を知ったとたん、相手の男性が逃げてしまった」「お金がなく、病院にも行けていない」
事情は様々だが、ほとんどの女性は「妊娠のことを誰にも言えなかった」と話すという。


NPO法人「Babyぽけっと」岡田卓子代表
 「相談してくる女性は相当追いつめられていて、事件になる一歩手前というケースもあります。本当に子どもを育てられず誰にも頼れない場合には産んだ子供を新しい家庭で育ててもらえる特別養子縁組という制度もあります。私たちは相談をしてくれた人を絶対に非難しません。どんな状況でも何とかするのでSOSの声をあげてほしい」


新型コロナで若い世代の予期せぬ妊娠が
 「いま、特に10代の若い世代から妊娠に関する相談が増えている」
産婦人科医や助産師などの専門家にオンラインで相談ができるサービス「産婦人科オンライン」の代表を務める重見大介医師はそう話す。

 国の委託を受け、ことし5月から4か月間、全国から無料で相談を受け付けたが、予期せぬ妊娠についての相談件数はおよそ1000件にのぼり、そのうち3割以上が10代からの相談だったという。


重見医師
産婦人科オンライン」代表 重見大介医師
「学校が休みになり交際相手と家にこもる時間が多くなって性行為が増えたという相談もありました。また、新型コロナの影響で病院に行けず飲んでいたピルが切れてしまったとか、コンドームを購入できなかったとか、避妊手段を確保できなかったという相談も少なくなかったです。若い世代だとお金の心配をすごくします。妊娠した可能性があっても病院に行けばお金がかかるから行けない、親にも話せないという女性が多いんです。病院などへのアクセスも含めて社会全体でもっと支援が必要だと思います」


彼女たちのSOSを救いたい
生まれたばかりの赤ちゃんを殺害し、公園に遺棄したとして逮捕されたXX被告。
取り調べでは、ほっとしたような表情で次のように話したという。


被告の供述
「逮捕という形にはなりましたが今まで誰にも話すことができなかったことを話せて気持ちが楽になりました」。
 今回、私たちはさまざまな事情から予期せぬ妊娠をした女性たちの声を聞いてきた。彼女たちに共通するのは、誰にも相談できず、1人で悩み苦しんでいたということである。

 子どもを授かった母親がなぜ1人で苦しまないといけないのか。
 そこには長い間、女性だけに妊娠したあとの責任を押しつけ、SOSの声に耳を傾けてこなかった、日本社会の全体の問題が根深く存在すると感じた。

※事件についての記述は捜査関係者などへの取材に基づく
思いがけない妊娠について全国の相談窓口一覧
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