リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

カイロ会議も北京会議も村山内閣時に行われた

政権交代のさなかに通った男女共同参画社会基本法

村山富市議員(日本社会党)は1994年6月30~1996年1月11日まで総理を務め、1次内閣時にカイロ会議が、改造内閣時に北京会議が開かれている。カイロ会議の代表は河野洋平副総理兼外相、北京会議の首席代表は野坂浩賢内閣官房長官が務めている。

1996年7月に「男女共同参画ビジョン-21世紀の新たな価値の創造」が出された時には第1次橋本内閣に変わっており、1996年12月の「男女共同参画2000年プラン」の時には第2次橋本内閣に変わっていた。その後、1999年8月9日付けの小渕恵三総理の「男女共同参画社会基本法を踏まえた男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本的な方向」に関する諮問に対し、2000年9月26日に森喜朗第2次内閣時に男女共同参画審議会の会長岩男壽美子が審議会答申を行った。
審議会答申 | 内閣府男女共同参画局
これを受けて、(第一次)男女共同参画基本計画が2000年12月12日に閣議決定。これは省庁再編前の第2次森内閣改造内閣時になる。省庁再編が行われたのは2001年1月6日。少なくとも現行の基本計画の本文を見ると、厚生省ではなく、厚生労働省が担当省庁として書き込まれている。