リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

日本会議国会議員懇談会1997年5月29日設立総会――日本会議の正式な設立前日に

抜き書き

以下、山崎雅弘著『日本会議 戦前回帰への情念』より(集英社新書2016年)


自民党を中心とする超党派の国会議員204人
会長:自民党の島村議員、発起人:自民党の小渕議員、新進党の小沢議員
日本会議の掲げる政治目標を、国政の場で実現していく「実働部隊」のような役割が期待されている


設立趣意書の冒頭:
「戦後わが国は、戦禍にまみれた国土の復興と経済の立て直しに営々として努力した結果、世界に冠たる経済的繁栄を手にしました。しかしその一方で、国の基本である家庭や社会の荒廃が叫ばれ、国民の中には行き過ぎた個人主義が蔓延し、国への誇りや責任感が薄れつつあります。また、激しい国際社会にあってわが国は、世界の大国としての応分の国際貢献を強く求められています」


海外の主要メディアは、2012年12月の第二次安倍政権発足時から、日本会議と安倍政権の緊密な関係に着目して、分析記事を書いていた:
イギリスの高級週刊誌「エコノミスト」――安倍内閣の閣僚19人の顔ぶれ――14人は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会員、13人は「謝罪外交」を拒絶する日本会議を支援(*性格には日本会議国会議員懇談会メンバー)、9人は軍国主義時代の日本を美化した歴史を学校で教えるよう求める「日本の前都と歴史教育を考える議員の会」に所属……彼らは、日本が戦争中に犯した残虐行為のほとんどを否認する。…〈この新政権を「保守的」と評したのでは、本当の性質を捉えることは難しくなる。これは、過激な国家主義者の政権である〉


日本会議の設立1997年5月30日 当時の首相は橋本龍太郎
――その前3年間は自民党は下野していた:日本新党細川政権1993年8月~、新政党羽田孜政権1994年4月~社会党村山富市政権1994年6月~1996年1月


日本を守る会(1974)」と「日本を守る国民会議(1981)」の合体⇒日本会議(1997)
日本を守る会:危機感を共有する新旧の宗教団体が結成~勢力を増す共産党への危機感、無神論、国の伝統や固有文化の破壊
創設者:臨済宗円覚寺派の朝比奈宗源、神社本庁事務総長篠田康雄、成長の家早朝谷口雅春など主な伝統宗教新宗教が一堂に会する(ただし1950年代から仏教の国教化をめざしていた創価学会は加わっていない)。


日本を守る国民会議:保守派(右派)の政治思想を共有する財界人と文化人が主なメンバー。創設時の運営委員長:作曲家の黛敏郎、事務総長:明治神宮権宮司の副島広之、呼びかけ人:井深大ソニー名誉会長)、日本医師会会長武見太郎など。


生長の家 創設者で初代総裁:谷口雅春1930年に創設
戦前は天皇中心の世界観と宇宙や霊魂についての独自の考えを融合した思想を流布、戦争が始まると政府の戦争遂行方針に協力したため、戦後は一時公職追放処分に。1949年に生長の家を復活させて総裁に戻り、天皇崇敬と反共(共産主義思想の否定)を思想上の二本柱として、敗戦に打ちひしがれる日本国民を鼓舞・激励し、宗教と政治が融合した大衆運動の規模を拡大していった。
1951年、サンフランシスコ講和条約が調印されると、生長の家は「日本国憲法」の破棄と明治憲法大日本帝国憲法)への回帰を声高に主張するように。
1964年、持論を国政へ反映させるために「成長の家政治連合」を設立。
1969年には「自主憲法制定国民会議」を組織し、会長は安倍首相の母方の祖父である岸信介元首相が就任。後に「日本を守る会」に合流。
 谷口に心酔した学生たちが右派学生の運動団体を作り、これが1970年社会人団体としての「日本青年協議会」を設立、この組織が日本会議の事務局となっていく。


神道は宗教、信仰だが、「国家神道」は時の政治権力者にとって都合のいい特定の政治思想を国民に植え付け、その政治体制に従わせる宗教的政治システム。


2000年5月15日神道政治連盟国会議員懇談会の創設メンバーで、日本会議国会議員懇談会設立時の発起人の一人でもある森喜朗の「日本は神の国」発言


森元首相と同じ自民党内の「清和会」に所属していた安倍晋三は、2か月後の2000年7月に第二次森内閣官房副長官


日本の復興:1968年に西ドイツを抜いて国民総生産(GNP)で世界第二位に⇒翌年神道政治連盟 2010年に中国に(国内総生産GDPで)抜かれるまで42年間「世界第二位の経済大国」


2012年第二次安倍政権「日本を取り戻す」をキャッチフレーズに~敗戦後の日本は「本来の輝きを失った」として「昭和初期の日本、戦前・戦中の日本」を「取り戻したい」――安倍首相と日本会議は、1945年の敗戦で停止した「国家神道体制下での時計の針」を再び動くようにしたいのではないか


戦前・戦中の「国体」とは、崇高な天皇を中心とする万邦無比の国家体制や、国柄、国の特質などを表す言葉、あるべき国の姿、「美しい国」「誇るべき優れた国」


明治時代に作り出された「国家神道」をベースとする政治思想の到達点~社会構造のピラミッドの頂点に天皇とその祖先を「絶対的に神聖な存在」として位置付け、天皇を際限なく賛美することによって、そこにつながる日本人全体が「優れた民族」であるかのように理解する考え方


1930年代後半の国体明徴運動:一人ひとりの人間が個人として価値を持つという普遍的な人権尊重の考え方を「西洋式の発想で日本には馴染まない」と全否定し、国民は「天皇天皇を戴く国のためにどれほど貢献できるか」によって存在価値が評価されるという人権軽視または無視する考え方へと流れて行った


1998年日本会議第一回総会「教育運動に関する特別声明」
日本の教育の深刻な病の要因
一.学歴主義による偏差値市場教育
二.行き過ぎた人権教育
三.形骸化された「道徳」教育
四.わが国の歴史を断罪する自虐的歴史教育
五.学校現場に反日イデオロギーを持ち込んだ日教組教育


義務教育の無償化や男女平等を謳った日本国憲法を押し付けられたために、教育基本法を制定せざるをえなかった~戦後の教育基本法は「愛国心の涵養」「伝統の尊重」「宗教的情操の涵養」という趣旨が失われた


日本会議の家族観の柱:戦前・戦中の日本で理想とされた家族観の肯定と、戦後の日本が行った家族に関する法改正などの否定
『国体の本義』あるべき理想としての家族観:現代の家の生活は、過去と未来とをつなぐものであって、祖先の志を継承発展させると同時に、これを子孫に伝える」
「我が国は一大家族国家であって、臣民は皇室を崇敬し、天皇は臣民を赤子として愛おしむ」pp.153-4
『臣民の道』国や天皇と家族との正しい関係:「我が国の家は、祖孫一帯の連携と家長中心の結合とよりなる。すなわち親子の関係を主とし、家長を中心とするものであって、欧米諸国におけるがごとき夫婦中心の集合体とはその本質を異にする。従って我が国の家においては、家長と家族、親と子、夫と妻、兄弟姉妹、各々その分があり、性然たる秩序が存すると共に、亡き祖先もいますがごとくに祭られ、生まれ出づる子孫も将来の家族として家の永遠性の中に想念され、ここに祖孫一帯の実が挙げられる。さらに我が国の家は、国に繋がるのをその本質とする。」p.154
⇒国民が個人として、それぞれ独立した考え方や行動様式を持つような家庭は、西洋式の個人主義だとして厳しく否定された。


夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、作用的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(安倍晋三

日本国民が「全員同じように思考し行動する」ことを当然と考える人々にとって、それに従わず「自分の好きなようにやりたい」と主張する人間は、自分が理想とする社会の実現を「邪魔する人間」、そして自分が守ろうとする「正しい国の在り方」または「伝統」を破壊する「反日的な人間」でしかありません。それゆえ……異を唱える人間に対しても、相手の主張内容には耳を貸さず、「家族の解体」や「国の解体」を目論む「反日政策」と一方的に決めつけて全否定する態度をとります。


日本会議歴史認識:「大東亜戦争の賛美」「侵略戦争の否認」「東京裁判の否定」
批判的に観る歴史観に対しては、「自虐史観」「東京裁判史観」とレッテルを貼り弾劾


櫻井よしこなどの日本会議の論客は、憲法に「国民の権利」を保障する条項があるから、国民はみな「使わなければ損だ」とばかりに、自分勝手にそれを最大限に行使して、他人を押し退けて自分の権利ばかり主張する醜い社会になっているかのように論じます。
〈たとえば、第三章「国民の権利及び義務」は、日本国憲法の中で一番大きい章ですが、そこに書かれているのは、総じていれば、あなたにはこういう権利があるから要求しなさい、あなたにはこういう自由があるから楽しみなさい、というようなことです。
 私は、権利と自由ばかりを主張する嫌な人間には断じてなりたくないと思っています。私の家族や友人にもそんな人間であってほしくはありません。皆さんもそうだろうと思います。であるならば、この第三章はおかしいと思わなければならない〉pp.192-3

そもそも、憲法で保障される自由や権利は、それを「権力が犯してはならないという権力者に対する制約であって、国民が好き勝手にできるという意味ではありません。「権利を要求しなさい」「自由を楽しみなさい」ではなく、「権力者はこれらの権利や自由を侵害してはなりません」という、国民の自由や権利を権力者の横暴から守るのが主旨です。p.193

(いいかげん書き写すのも疲れてきた……どうしてこんな変な考え方を持っているのだろう?)


その後は、どのような憲法改正を目論んでいるのかの説明があり、「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」を「虚妄」と断じる日本会議の主張が示されます。