朝日新聞 谷瞳児 多知川節子2021年11月20日
自宅で突然、流産した。対処に迷い、行政に相談した香川県の夫妻が9月、死体遺棄容疑で県警に逮捕された。思わぬ流産や死産から犯罪に陥るリスクがあるとしたら、どう対応すればいいのか。
10月5日に不起訴になった夫妻は朝日新聞の取材に応じ、経過を振り返った。
かかりつけ医が休診 家計の事情で他病院行くのにためらい
妻(22)は9月21日未明、腹痛で目を覚ました。生理用ナプキンの中に血の塊があった。朝、人の体のようになっている部分を見つけ、流産だと気づいた。もともと生理が不順だった。後に妊娠4~5カ月だったことが判明するが、長男(1)のときのようなひどいつわりもなく、妊娠していたと思っていなかったという。
専門家によると、妊娠の兆候は個人差があり、4~5カ月でもわからないことは十分ありえるという。
夫(26)は「病院へ行くか」と尋ねたが、妻は動くのがつらいという。あいにくかかりつけの産婦人科医が臨時休診中で、「再開時期は9月下旬に知らせる」となっていた。家計の事情で他の病院に行くのはためらいがあった。119番通報して救急車を呼ぶことは思い至らなかったという。
「病院に行ったら(死んだ)赤ちゃんは返してもらえない」というネットの書き込みも気になった。「自分たちの手でちゃんと供養してあげたい」。夫妻はかかりつけ医の診療再開を待つことにした。腐敗してはいけないと袋に包み、冷蔵庫に入れた。
9月24日に長男を保育所に預けた際、夫は妻の流産や遺体を保管していることを保育士に伝えた。両親が動揺したために長男がぐずったらと考え、事情を説明したつもりだったという。
午前10時半ごろ、保育所から連絡を受けた自治体が夫の携帯電話に電話をかけてきた。夫は状況を伝え、助言を求めた。担当者は「一緒に調べさせてほしい」と答えたという。
約2時間後、夫が家に戻ると警察官が待っていた。夫妻とも死体遺棄容疑で逮捕、送検され、計12日間勾留された。長男は児童相談所に一時保護され、その後、祖父母のもとに預けられた。
自治体の担当者は取材に「病院へ行くよう勧めたが『行けない』と言われてしまい、自治体だけでは抱えきれないと県の児童相談所に連絡した。遺体を保管している場所も場所だと考えた」と話す。この点について夫は「(病院に行けない)経済事情について話した」と振り返る。
連絡を受けた児相はすぐ県警に通告した。香川県の児相には警察官が常駐している。2018年、同県から東京に引っ越した後、虐待で死亡した船戸結愛ちゃん(当時5)の事件が契機だった。県子ども家庭課は「事案の状況に鑑み、(県警に)情報提供すべきだと判断した」と説明する。
県警、冷蔵庫に遺体を入れた点を注視「証拠隠滅など疑い」
死体遺棄罪は、死者の親族ら、葬祭の義務を負う者が遺体を動かしたり、放置したりした場合に成立する。墓地埋葬法では妊娠4カ月以上の胎児は死体とみなされ、葬祭義務がある。捜査関係者によると、県警は夫妻がすぐ病院に行くなどせず、遺体を冷蔵庫に入れた点を重く見た。幹部は「自分たちでなんとかしようとされると証拠隠滅などを疑わなければならなくなる」。殺人の可能性も視野に入れたといい、逃走の恐れもあるとみて逮捕に踏み切ったという。
司法解剖の結果、赤ちゃんは妊娠4~5カ月だったと推定された。医学上は、母体外では生きられない後期流産(妊娠12~22週未満)だったことになる。
夫妻を不起訴にした高松地検は理由は明らかにしていない。
夫妻によると、県警の調べに遺体を冷蔵庫を入れたことは認めた。夫は妻をかばうつもりで「自分が指示した」とも話したという。県警は夫妻の逮捕を実名で発表した資料に「犯行を認めている」と記した。
夫妻によると、捜査員には「隠す意図はなかった」と伝えていたという。
これを受け、朝日新聞を含む各メディアは夫妻を実名で報道した。ネットでは複数の「まとめサイト」ができた。「DVで流産した」といった虚偽の投稿も拡散した。
夫は「悪意はまったくなかったけれど、自分たちの認識の甘さもあった」と悔いる。
妻は勾留中、勤務先の保険会社から「こうなった以上は自主退職した方がいい」と伝えられ、応じざるをえなかった。知人の紹介で新たな就職先が決まっていた夫も、釈放後に話が立ち消えになったという。
妻の弁護人を務めた佐藤倫子弁護士は10月14日、「(夫妻は)事実を隠していなかった。逮捕は早計」とする抗議文を県警に出した。佐藤さんは「夫妻に一定程度の落ち度があってもここまで社会的不利益を受けていいのか」と問いかける。
夫は、釈放後に長男に再会した瞬間が忘れられない。「目を真っ赤にして、唇をぎゅっとかみしめて、『どこ行っとったんや』という表情。幼い子にそんな顔をさせたのが一番の後悔」と振り返る。
過去にも事例「医師らが答える窓口に相談を」
夫妻は亡くなった赤ちゃんの火葬には立ち会えなかったが、遺骨を受け取った。ともに待ち望んでいた女の子だった。「名前をつけてあげたい」と話し合い、小さな骨つぼは自宅に置いている。流産や死産の対応に苦慮した親が逮捕される事件は過去にも起きている。
昨年12月には、死産したとみられる胎児を袋に入れたとして、東京の20代の女性が死体遺棄容疑で警視庁に逮捕された。
女性は、孤立出産の女性支援で知られる慈恵病院(熊本市)に「赤ちゃんを死産した。頼れる人もいない」と相談していたという。病院は本人から事情を聞き取り、死産後1日以内に相談していることから事件性はないと判断し、警視庁に保護を求めたところ、逮捕されたという。
病院は逮捕に抗議する記者会見を開いた。女性はその後不起訴になったが、蓮田健院長は「突然の事態にだれもが冷静に判断できるわけではない。こんな例が増えれば、逮捕を恐れて余計に遺棄を助長するのでは」と懸念する。全国の事例を集め、行政や警察の対応ガイドラインをつくるよう提案する。
では、親はどう対応すればいいのか。
産婦人科医の宋美玄(ソンミヒョン)さんは「救急車を呼ぶのは遠慮があるかもしれないが、不測の事態なら呼んでいい。出血が落ち着いても病院には行ってほしい」と話す。また、ネットの情報については「いろいろ読んで解釈するしかないが、自分にぴったりの情報は限られることもある」と指摘。「せめて医師らが答えるチャットや電話など、専門知識のある人と双方向でつながれる窓口に相談してほしい」と話す。(谷瞳児、多知川節子)
専門家「司法の現場、女性のリアリティーへの発想乏しい」
後藤弘子・千葉大大学院教授(刑事法)の話 死体損壊・遺棄罪の条文で守られるべき社会的利益(保護法益)は、「国民の一般的な宗教感情」と理解されている。国民にとって「一般的な」方法で葬祭されるべき遺体が放置されたり、捨てられたりした場合に成立すると考えられる。刑法38条の「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」という故意についての定めに照らしても、夫妻は保育所や自治体に自ら状況を話しており、正当に葬祭する意図がなかったとは考えにくく、隠す意図はなかったと判断できたのではないか。裁判所が逮捕状の発付を認め、県警が逮捕した点には疑問が残る。
死体損壊・遺棄罪は殺人からの一連の流れとしてとらえられることが多くなっている。今回も児童虐待を想定したのではとの指摘があるが、そもそも死産や流産では胎児は母体外で生きられる状態にない。遺体の状況や当事者の話を調べれば殺人が想定しえないことはわかるはずだ。
全国で同様の事例が相次いでいるが、日本の刑事司法の現場は女性のリアリティーに対する発想が乏しいと感じる。胎児が母体から離れることは自然にいつでもどこでも起こりえるもので、それを積極的に犯罪として評価する必要性はどこにもない。このままでは妊娠・流産すること自体がペナルティーととらえられかねない。そのような社会では誰も子どもを産み育てようとは思わない。
刑法も1907年の成立以来変わっていないところが多く、科学技術の進歩と合わないところがある。堕胎罪や死体損壊罪の規定を、医学界の協力も得ながら、女性の性と生殖の健康・権利との関係でとらえなおすことが必要だ。