リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

考えるともなく、問わず語りで書いてしまった

今朝のツイート

東京郊外で暮らしてて、産むところなんてより取り見取りと思っていたら、近くの「産婦人科」はどこもお産を取り上げてなく、結局、車で半径30分以内には、1つの総合病院と、1つの開業助産院しかないと判明してビックリ!

高齢出産だからムリかな…と恐れつつ、ダメもとで助産院に電話したら何とOK!?

助産院通いした数か月間は、人生で一番穏やかで健康な時期だった。からだにいいものを食べて、ものすごく歩いて、趣味三昧して運動して…マタニティヨガはもちろん、マタニティスイミングではバタフライまで挑戦して…おなかに浮きが入っているので楽勝で、爽快だった😅 産後は再びできなくなったけど💦

いわゆるマル高出産でも、体作りをしっかりしておけば、後の人生が違ってくると、産後20年を経過した今でも実感してる
妊娠生活とお産、産後は授乳育児や仲間と始めた地域の子育て活動でもエンパワーされました
ちょっと遅めだったけど、産みたいと思ったタイミングで産めた巡り合わせに感謝してます💕

実は子が7か月の時に、ベビーカーで議員会館に押しかけて、女性の気持ちや立場を無視した助産師制度の改悪に反対したのが、生まれて初めての国会議員へのロビー活動
問題の所在を世に知らしめるためにと、初めての共著も書きました…結果、私たちの運動が勝利したのが最初の社会的な成功体験です

若い時の意図しない妊娠でも、産んだら産んだでまた別の人生になっていたのだろうから、今悩んでいる人にどうこうせよとは言わない
ただ、悲壮な決意で出産育児に望むよりは「今だ」と思える時に産めたおかげで、幸せで楽しかったし、より前向きにもなれて、子も一層愛おしくなったようにも感じている

だから私は若いころの自分の中絶体験を悔やんではいないし、その後の流産も合わせてけっこう長いこと引きずったけど、その分だけ自分と向き合えたことが、のちの人生のこやしになった
中絶も流産も、他人の意味付けはえり分けて捨て、自分なりの意味を築いていくことで、後の人生に活かしていける

ただ、いざ子どもがほしいと避妊をやめても、すぐに妊娠できなかったときには正直少々焦った
ごく初めの段階の排卵誘発剤をのむ不妊治療は受け、次の段階に進むのかどうかの決断を突きつけられる前に妊娠したのは、ラッキーだった
でも不妊治療に突き進んでいたら、また別の問題を見つけてただけかもね

人生何がどうなるか分からない
だからスリリングなんだけど
30前後で悩んだ頃から、「死ぬ瞬間に満足していたい」とずっと思って生きてきた
あと20年か、せいぜい30年しか時間が残されてない今、思いっきり自分のやりたい、自分にとって意義があると信じられることをして、人生をまっとうしたいと思う