リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

「中絶」がタブー視される日本人女性の気の毒さ:中絶がいまだに「罪」とされるのはなぜなのか

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レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員2022年06月20日


 1949年に認められるようになってから、日本では1日約400件の中絶が行われています(写真:mits/PIXTA
アメリカで中絶をめぐる激しい議論が巻き起こっている。きっかけとなったのは、人工中絶の権利を認めるアメリ最高裁の判決「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性があるという情報が漏えいしたことだ。近く最高裁の最終意見が出るとみられる中、アメリカでは著名人も巻き込んだ「プロチョイス(人工中絶擁護派)」と「プロライフ(中絶反対派)」の戦いが激しくなっている。
 一方、日本では人工中絶には配偶者の同意が必要とする母体保護法に対する批判が強まっている。アメリカを含む多くの国では、女性が妊娠、出産、中絶など性や子どもを産むことを選択・決定できる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」が認められているが、日本ではまだこの意識は低いと言わざるをえない。
 アメリカでの論争はけっして日本人に関係がないことではない。本稿では日本における中絶に関する問題点を日本に長く住むフランス人ジャーナリスト、レジス・アルノー氏が指摘する。


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 アメリカではついに中絶が違法になるのだろうかーー。日本でもアメリカの女性が中絶する権利に関するアメリ最高裁の画期的な判決である「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性が注目を集めている。

 現在、ワシントンで行われている裁判官の議論は注視されている一方、日本では、日本国内での女性の中絶について活発な議論が行われていないように感じる。だが近年、女性が自身の身体の生殖に関する機能をコントロールできるようになったことほど、男性にとっても女性にとっても重要な問題はないのではないだろうか。

 日本人にとって「中絶」は交通事故のようにめずらしいことだと思われるかもしれない。だが、これはけっしてめずらしいことではない。1949年に中絶が認められるようになってから、現在では1日に約400件の中絶が行われている。

 つまり、出生100に対して、15件の中絶が行われている、という割合だ。1950年から2020年の間に、日本では3900万件の人工妊娠中絶が行われており、「めずらしい」とは言えない。

 だが、これだけ中絶が広範に行われているにもかかわらず、日本における中絶の位置づけは屈辱的なものだ。中絶は1880年に「堕胎の罪」が刑法で定められて以来、犯罪とされてきた。女性には1年以下の懲役、医師には3月以上5年以下の懲役が科せられうる。

 しかし同時に、1948年、戦争で疲弊した日本があまりに多くの子どもを育てる余裕がなかった時代に、過剰な出生を制限するために、一定の条件の下で許可されるようになった。つまり、「身体的又は経済的な理由」による中絶を認めたのである。


「二重の道徳的負担」を妊婦に強いている
 だが、今この世の中で「経済的な理由」による犯罪が許されるだろうか。そんなことを支持する国会議員がいるだろうか。にもかかわらず、多くの女性、そして男性に影響を与える非理論的な議論の矛盾を取り上げる議員はいない。進歩的だと思われていた野田聖子氏でさえ、筆者が直接「中絶は非犯罪化されるべきか」と尋ねたところ、その考えを支持しなかった。

 作家のアレクサンドル・デュマは、『モンソローの奥方(原題:La dame de Montsoreau)』の中で、宗教上魚を食べるように命じられている金曜日に、鶏肉を食べるために鶏に「鯉」の洗礼を施す神父を登場させたことで知られている。日本の中絶のスタンスは、禁止としながら、一方では許容していて、デュマの小説の鶏でありながら、鯉と扱われるのに少し似ている。

 日本では結局のところ、女性の中絶を認めているため、「大きな悪」には見えないかもしれない。だが、こうした「偽善」は妊婦に二重の道徳的負担を強いることになる。女性自らによる「産む・産まない」という選択が認められていないため、女性は堕胎という「罪」を犯すための言い訳を「でっちあげ」なければならない。

 「堕胎は、本当は罪である」「自分は罪を犯している」といった罪悪感が、この問題をタブー化させ、女性たちがオープンに議論することを妨げてきたように見える。

 この「産む・産まない」という選択は、女性のセクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)=SRHRに基づくものだ。しかし、日本では、この用語が定着しているとはとても言えない。実際、「堕胎の罪」が「身体的・経済的理由がある場合のみ」問われないという法制度の下で生きる日本の女性には、SRHRが認められているとはおよそ言えないだろう。

 中絶には「夫」の書面による同意が必要(未婚の女性にはその負担がない)であることからも、中絶制度はさらに不条理であることがわかる。このような要求は、出産に関して男性と女性が完全に同調していないという事実をないがしろにしている。日本以外の国で中絶に配偶者の同意が必要としているのは、インドネシアやシリア、モロッコサウジアラビアなど10カ国だけである。


妊娠や中絶は当事者だけの選択
 男性は、物理的には15歳から65歳まで半日ごとに女性を妊娠させることができる一方、女性は自らが妊娠しなければならず、その期間は9カ月にも及ぶ。しかも、女性が一生の内で妊娠できる期間は男性よりはるかに短い(女性の妊娠可能性は35歳で急激に低下する)。

 少なくない数の女性が自らのキャリアが積み上がっていたタイミングで妊娠する。そのため、女性の責任は男性よりもずっと重く、本来であれば妊娠や中絶は当事者だけの選択であるべきなのだ。厚労省は性暴力を受けた女性の中絶など相手から同意が得られない状況においては「同意は不要」との見解を示しているものの、病院によっては中絶が受け入れられない場合すらある。

 また、人工中絶を行う場合、少なくとも母体への精神的・肉体的ダメージは最小限にとどめるべきである。海外では何十年も前から、子宮に器具を入れて掻き出す掻爬(そうは)法など時代遅れな方法ではなく、ミフェプリストン(および入手可能な場合はミソプロストールと組み合わせて)という経口中絶薬を服用する方法が用いられてきた。

 フランスはミフェプリストンを1988年に認可している。中国も1988年で、チュニジアは2001年に、アルメニアは2007年に認可している。ウズベキスタンでも処方されているが、日本の女性にはまだ処方されていない。

 また、産婦人科医は多くの国では女性が助けを求める存在だが、日本ではむしろその存在が足かせになっている。実際、彼らは、中絶薬を阻止するか、女性にできるだけ多くの薬代を請求しようと闘っている。

 日本産婦人科医会の木下勝之会長(当時)はNHKの番組で、「臨床試験の結果、安全だと判断されれば、日本は中絶薬の導入は仕方がない」としながら、「この薬で中絶が簡単にできると思われないか心配している」「相応の管理料が必要」などとして中絶薬の値段を手術の値段(10万円くらい)に合わせるのが望ましいと語った。

 同会長は、医者というより、石油会社の社長のようだ。彼にとって子宮はお金を搾り取る場所であって、女性の体の一部ではないのだ。WHOによれば、経口中絶薬の平均の値段は740円。木下氏は、恥知らずにもその135倍の値段が相当だと主張している。


世界からもだいぶ遅れている
 ヒポクラテスの誓いの最初の1行で2400年も前から謳われている、患者を癒やすという職業をあからさまに裏切る医師に、日本の女性はいつまで耐えるべきなのだろうか。日本人はこれ以上、こうした不適切な現状を許すべきではない。政府は、薬による中絶を許可するために、再度、「夫」の同意を求めることを考えているようだが、先進国で女性にそのような要件を課している国はない。

 フランスでは、1975年以降、男性98%の国民議会の投票による法律で中絶が認められている。1982年から社会保険から一部還付され、2013年から全額還付されている。日本の女性も男性も、フランス、中国、スウェーデンウズベキスタンと同じように、女性のSRHRへの基本的なアクセスを求めるために立ち上がる時が来ているのだ。