リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

足の裏のできものをウオノメだと信じて市販の治療薬を使っているうちに,どんどん悪化させてしまい,ひどい状態にしてしまった。昨日ようやく皮膚科に診てもらい,自分のしたことを悟って,我が身の馬鹿さかげんに愕然。でも,まあ無知だったのでしかたがない。睡眠不足続きで抵抗力が落ちていたのかもしれないし。ズキズキするけど,あと2週間のガマン。

ところで,今朝は子どもが無料体験乗馬に行くことになっている。広告が入っていたのでちょっと水を向けたら,「やりたい,やりたい,やりたい!」と即座に熱っぽく反応したので驚いた。何にしても好奇心いっぱいの子に育ったことは,悪いことじゃないと思うけど,続けたいと言い出したらどうしようかなぁ……ちょっと遠いし,お金もかかる。それに,また……お友達を誘いづらいことが増えてしまう。

娘に仲のいい(特に女の子の!)友だちができないことが,小さな悩み……と思ってきた。子供時代の自分の孤独と重ね合わせているのだろうと考えてきたのだけど,あちこちでやってる自分の失言を考え合わせていくうちに,本当は娘つながりの子育て友だちが乏しいことだとか,友だち関係のいろんなトラブルやら悩みやらを通じて,いま現時点での孤独感が自分の心をむしばんでいるという問題にぐるっと回って戻ってきた。

子育てには孤独は禁物だ,としみじみ思う。子育てノイローゼの大半は,孤独を解消することで問題が霧散するだろう。でも一方で,何かことを成し遂げようとするときには,孤独な時間が必要なものだ。子育てと論文書きという全く異質なことを一度にやっていることの大変さに,今になって気が付いた。単純に時間がないというのも問題だけど,そればかりではなく,思考回路が全く違うのだ。わたしがブログを始めたのは,全く違う二者を両立させるために,どこかで両方のバランスを取る(あるいは頭を切りかえる)作業が必要だったからなのだろう。片方を切り捨てる,のではなくてね。

どちらかを切り捨ててしまったら,わたしの場合は,どちらも成り立たなくなる。娘に対して「おしごと」のない母親になることはできないし,子育てを含む日常のなかにあるからこそ考えること,見えていること,強く感じられることを「まるごと捨てて」しまったら,「わたしの論文」にはならなくなる。「わたくしごとはすべて捨てて」論文に取り組む……というのが,従来のあるべきガクモンの姿だったのかもしれないけれど,ガクモンの客観性という虚構を知っている今や,わたしにはそんなプリテンドはできない。だったら,むしろ自分の主観性の根っこをしっかり押さえておくべきだと思う。これはとてもしんどいことだけど。

ともかくもあと半年,もう少し,がんばってみよう。わたしの人生の中で,これは二度と経験できないことを成し遂げられるチャンスなんだもの。

そう思ったら,少し吹っ切れた。

さて,娘の乗馬はどうなるものやら……「ご家族の方は,どんどん激写なさってください!!」と電話してきたスタッフの方の言葉を信じて,久々に一眼レフでも持ちだそうかな。(そういえば,シャッターを切る快感をここしばらく味わっていなかった……。)単純な快楽というものも,重要だよね。そういえば,ギリガンの新作(Pleasureがどうとかいう題名だったような……)も積ん読になっている。ガールズ・カルチャーのことを書いているらしい。第三世代フェミニストの本で絶賛されていたので,気になってはいるのだけど……おしゃべりはこれくらいにして,娘が起きてくる前にちっとは仕事しよう……。