このところずっと,「リプロダクティブ」と「リプロダクティヴ」のどちらの表記を使うかとか,reproductive health and rightsをどう訳すかで,迷い続けていた。英語と親しくしてきた身としては,「ヴ」のほうがしっくり来るというのが正直なところ。政府の文書でもマスコミでも,女性運動が起源の「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」が定番になっていて,「ブ」で終わっていることも,英語の「&」の部分に「/」を使っていることも,ずっと違和感があった。「リプロダクティヴ・ヘルスとリプロダクティヴ・ライツ」なんて長々と表記してみたり,英語に倣って「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」という表記を採用したりもした。
だけど樋口恵子さんが「リプロにすれば?」とおっしゃってたというコメントを読んだときに,はっとした。
いったいわたしは,この概念を誰に知ってほしいんだろう……って。
reproductive health and rightsなんて言葉を知らなくて,rightsが複数だろうと単数だろうと構わなくて,最後の一文字が「ブ」だろうが「ヴ」だろうがどうでもいいような人たちにこそ,この言葉のもつ概念を理解してもらいたいし,使えるようになってもらいたい……と思ったのだ。
そしたら,なんか少し腹をくくることができた。「リプロの健康」「リプロの権利」でいいんじゃないかって。
概念としての精確さは確かに重要。だけど,わたしは自分がどちらに顔を向けているべきなのかといえば,アカデミックな方向よりも,むしろ「みんな」のほうだよなって思った。
だから論文を書くときにも,背後から「みんな」が覗き込んでるって意識しながら書こうと思う。そもそも,わたしは在野の人間なんだもの。
でも本当は,アカデミズムの中にいる人たちだって,「みんな」の顔をもっている。とても難しいことを,とても分かりやすく話してくれる人ってすごいなと,いつも思ってきたけれど,そういう人ってきっと「みんな」のことを意識して,そういう文体なり語り口なりを学んできたんじゃないかなぁ。
そんなことを思いました。わたしも心しておきたい……。(自分が思想オタクっぽい側面も持ち合わせていると自覚しているからなおのこと,自戒を込めて。)