リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

#自助といわれても 「15歳の母」に社会は冷たかった… 「補導されそうに」 「バイト50カ所不採用」

毎日新聞2020年12月31日 12時00分 野村房代

 「若年妊婦」「若年出産」という言葉をご存じだろうか。10代で妊娠・出産するケースのことだ。厚生労働省によると、2019年に産まれた赤ちゃんは86万5239人で、そのうち10代の女性が産んだのは7782人。この多くが結婚前で「予期しない出産」とみられ、シングルマザーになるなどして経済的に苦しむケースが多い。そういった女性たちに「公助」や「共助」は十分なのだろうか。中学3年の15歳で出産し、現在子育て中の女性(22)が自身の体験を打ち明けてくれた。【野村房代/統合デジタル取材センター】

たった1回で… 8カ月過ぎて母に打ち明け
 2020年11月、ある日曜日の午後。待ち合わせした関東郊外の駅に現れたのは、近藤優子さん(仮名)。白いニット、茶色の膝丈スカートにベージュのコート姿。22歳に見えないくらい落ち着いた雰囲気がある。
 取材に応じてくれた理由をこう語った。
 「中学生で産んで子育てしている人は周りにいなくて、心細い思いをしてきました。同じような境遇で悩んでいる人の助けになりたいし、私みたいな人間がいることを社会に知ってもらいたい。『トイレで出産』なんてニュースを時々耳にしますが、とても人ごととは思えないんです」
 妊娠したのは中学2年のとき。相手は、課外活動で知り合った2歳上の高校生だった。「時々遊ぶのが楽しかっただけで、深い関係になるとは思っていなかった」。だがある日、高校生に誘われて自宅に行ったところ、半ば強引に性行為をされた。以降、怖くなって連絡を絶った。
 それから数カ月間、生理が来なかったが「たった1回のセックスで妊娠するわけがない」と思っていた。生理不順はよくあることだったからだ。だが、つわりのような吐き気が続いて学校を1週間ほど休んだ。そのとき「もしかしたら」と初めて妊娠を疑った。
 ただ、家族には相談できる状況ではなかった。父は優子さんが2歳のときにうつ病を発症。精神科病院への入退院を繰り返し、その後はほぼ寝たきりが続いていた。事務職の母が一人で家計を支え、優子さんと1歳上の兄を育てていた。そんな母にすぐに切り出すことは難しかった。
 一人でもんもんと悩み、時間が過ぎてゆく。自殺が頭をよぎることもあった。だがある日、腹部で何かが動くような感触を覚え、考えが変わった。「おなかの中で生きているこの子に罪はない。母性からか何なのか分からないけれど、絶対におろしたくないと思ったんです」
 インターネットで情報を集め、妊娠22週以降は中絶できないと知った。結局、母に打ち明けたのは、妊娠8カ月(28週)を過ぎたころ。腹部が目立ってくるタイミングだが、「もともと痩せているからかあまりおなかが膨らまず、家族にも気付かれませんでした」。
 告白を受けた母は、その足で優子さんを病院と役所に連れて行った。「母は驚いたけれど、私を責めなかったんです。『産むと決めたなら覚悟しなさい』と言ってくれました」。役所でもらった母子手帳の職業欄には「中学生」と書き込んだ。
 その後、母と一緒に、相手の高校生とその母親とも会った。相手の母が平身低頭で謝る一方で、高校生は終始黙ってうつむいていた。
 認知や養育費はあえて求めなかった。優子さんは「嫌な記憶を思い出したくなかったし、産まれてくる子に会わせたくなかったんです」

認可保育園に入れず、バイトは50も落とされる
 低年齢での出産は臓器の発達が不十分なため、肉体的なリスクを抱えている。妊娠高血圧症や、それに伴う常位胎盤早期剥離(出産前に子宮から胎盤がはがれて母子の命が危険にさらされる)の可能性が出てくるとされる。優子さんは34週ごろに常位胎盤早期剥離となり、緊急帝王切開で出産した。産まれたばかりの我が子を目にしたとき、「うれしいのと可愛いのと責任感と、いろいろな感情が一気にわき上がってきた」という。赤ちゃんは低体重と低血糖と診断されたが、1カ月後に退院できた。
 その後はしばらく、自宅で赤ちゃんと向き合う孤独な日々が続いた。近所の目が気になって外出もままならなかった。一時は高校への進学もあきらめ、自暴自棄になることもあった。だが、担任の教師が「高卒認定資格だけは取っておいた方がいいよ」と単位制高校への進学をアドバイスしてくれた。進学先は私立で学費は高かったが、母に負担してもらい、奨学金も利用した。
 だが「15歳の母」に対し、世間の理解は十分ではなかった。
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