リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

アグノトロジー(Agnotology)=無知学

なぜ日本初の中絶薬が妊娠初期中絶に使えることが知られなかったのか

18世紀初めの書物に記録されているカリブ諸島のいたるところに自生し、堕胎効果を持つ植物として薬草を扱う女性や田舎の医者に広く知られていた「黄胡蝶(オウコチョウ)」という植物が、なぜヨーロッパへと伝えられることなく終わったのか。それを考えるために、ロンダ・シービンガーは『植物と帝国』で、ロバート・N・プロテクターの「アグノトロジー(無知学)」を採用している。彼女は以下のように述べている:

「アグノトロジー」とは、ある文化的文脈の中で抹殺されることになった知識を研究するもので、認識論の伝統的関心の欠を補うものとして役立つ。アグノトロジーは、私たちが何を知らないのか、なぜ知らないのかを問うことも含めて「私たちはいかにして知識を得るのか」という問いを再考しようというものである。無知とは、単に知識の欠如を意味するだけでなく、文化的政治的闘争の結果でもある。

シービンガーは、「望まない妊娠を終わらせたいと助けを求める女性と、中絶を避けようとする内科医との相克は、18世紀にますます鮮明になっていった」と記している。

詰まるところ、安全な中絶のために中絶薬を開発し、試験することは、この時代に内科医にとって優先事項ではなかったのだ。――中略――要するに、実験を重視した18世紀後半の内科医は、中絶薬に関して分岐点に立っていたのである。安全で効果的な中絶技術を開発し、実験する道を選択することも可能であったし、こうした知識と実践を抑圧する道を選択することも可能であったのだ。

後者の態度が勝っていたことは、ヨーロッパで広く使われていたサビナという植物のエキス油が科学的に一度も実験されず、研究が不足したことが19世紀前半に指摘されているという。

ヨーロッパ諸国が中央集権化し、中絶を犯罪とする成文法を定めた19世紀に、中絶の抑圧は実を結んだ。

ドイツ、フランス、イギリスで、次々と中絶を犯罪とする法律が作られていった。アメリカでも19世紀半ばまでに17州が中絶を犯罪とする法を定めた(その時の法が、今回のロウ判決転覆で復活してきている州もある)。19世紀をかけて、中絶に関する法律はイギリス、オーストリアデンマーク、ベルギー、チューリッヒ、メキシコ、オランダ、ノルウェー、イタリアでそれぞれ制定された。

これらの法律の大半は、母体の命が危険でない限り、(胎児の胎動の有無にかかわらず)中絶を禁止した。

中絶の禁止と共に、伝統的な中絶薬も禁止され、危険視されていった。産婆の手掛ける薬草による中絶も、18世紀に流産用に考案された外科器具に道を明け渡していった。19世紀になると、「ますます技術の必要性が高まり、外科医たちはこぞって子宮頚部拡張器やキュレット、新型の鉗子、鈎針を発明し、特許を取った」。産婆は「この職業で稼ぎを得る道を閉ざされ、中絶薬はしだいに薬の主流から消えていった」という。

中絶薬は、実験を重んじる18世紀の内科医や薬剤師が精細に調べて作り上げた『薬局方』(引用者注:現在のWHO『必須医薬品リスト』のようなものか?)には収められなかった。薬のメカニズムや効能、副作用の研究が増加するにつれて、望まれない薬は脇へと追いやられていった。中絶薬は、ヨーロッパの学術的な薬物テストの主流には組み込まれなかった。危険視され、研究がなされないまま、放置される運命となった。中絶を犯罪とみなすことで、中絶薬の用途に関する医学研究もタブーとなった。

まさにこれとパラレルなことが、20世紀の「日本初の中絶薬」について起こったと、私は考えている。