リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

差別は思いやりで解決しない ジェンダーやLGBTQから考える 神谷悠一著

集英社新書 2022年8月

タイトルからして大きくうなずいてしまいます。抜き書きします。

人権とはどのようなものか、どういう権利があるのか、どのように権利行使すべきなのか、ということを教えることは重要です。……ただ、「権利行使」をいざしようと思った時に、どういう権利が保障されているのかというと、これが大変乏しい現状にあります。……つまり、被害を受けても、行政や司法が助けてくれるかというと、必ずしもそうでない、という恐るべき状況が日本社会にはあります。

「人権教育・啓発推進法」は、人権一般を扱うほとんど唯一の法律ですが、教育・啓発を実施するための行政の体制整備以外のことは規定がなく、実際の権利の保障には至っていないという致命的な課題があることも、他の人権一般い関数🄬法律がないことと併せてこのような状況になっている一因でしょう。

ジェンダーに関しては、個別法として男女雇用均等法が従来の「男」「女」への性差別を禁止していますが、この法律の効果はあくまで雇用の場にとどまるものです(しかも、56頁に記載の通り「禁止」はしていても、法を守らせる力はありません)。他方、男女共同参画社会基本法という法律もありますが、これは「基本法」の名の通り、人権を保障するために直接的に高価をもたらす条項がありません。行政などの取組がどの方向で行われるべきか、そのための体制などを規定した法律に過ぎないためです。また、均等法も基本法も、今のところ従来の「男」「女」がベースとなっているところにも限界を指摘できるでしょう。このように、雇用以外の場面での(従来の「男」「女」)性差別に対処する法律はなく、従来の「男」「女」以外の性的指向性自認に関する差別に対処する法律もないのが日本の現状です。先進国では、雇用以外の場でも性差別を禁止する法制度を持つ国が多数となっています。

「権利、権利と主張しすぎ」とか「差別がどうとか、もう十分」などと言われることもありますが、むしろ、ほとんど法律がなく、守られたり、保障されたりする分野がとても少ないのが日本の現状です。

自分たちの権利が法制度で保障された経験や実感が少ないからこそ、「なぜ一部の人が特別に守られるんだ」と言いたくなるのかもしれません。法制度が充実することで、法制度が使えるものである、道具になるものである、法制度で救済された経験がある、という実感が広まる。そうなれば、「思いやり」だけでは保障されない「人権」や「権利」が実感されやすくなるのかもしれません。

ジェンダーの定義について

構築主義の立場から歴史家ジョーン・W・スコット氏が定義した「身体的際に意味を付与する値」でしょう。どの身体的特徴を社会の中で意味あるものとしているのか、特権的に扱っているのか、これらは「文化や社会集団や時代によってさまざまに異なっている」ことになります。その中で、どこに「意味を付与」しているのか、どこから「性さ」という認識」が生成されているのか、これを見抜く概念、いわば「スコープ」としてのジェンダーを、スコット氏は定義しています。

日本の社会学者である加藤修一氏は、ジェンダーの入門書『はじめてのジェンダー論』の中で下記のような定義を示しています。

私たちは、さまざまな実践を通して、人間を女か男か(または、そのどちらでもないか)に〈分類〉している。ジェンダーとは、そうした〈分類〉する実践を支える社会的なルール(規範)のことである。

……語弊を恐れずに分かりやすく言えば、頭の中で「男」「女」と振り分ける、振り分け機そのものが「ジェンダー」であると説明することがあります。

昨今の日本の状況について、著名なフェミニストである弁護士の中野麻美氏は、以下のように述べています。

家父長的な性秩序は女性差別の根源だと言われていますが、それは、要するに、女性を対象化する、同時に男性も対象化して戦争に駆り立てていくような社会環境の土壌を作っていくわけで、私たちの社会がこのジェンダー規範からどのようにしたら解放されるかということです。女性やトランスジェンダーがヘイトの対象になりやすい構造を変革するというテーマを設定したとき、本当の意味での自由と平等が問われているのだということを痛感させられます。ジェンダー規範は、この規範からの逸脱に対して負の感情を引き起こして攻撃的排除の対象にしたり、明示的な差別的不利益やハラスメントの対象に、また黙示的には仲間外れや無視といった不利益を課すことで自発的制約を加えます。そうした体制が男らしさを優遇し、性別による異なる基準のあてはめや無意識の偏見に基づく差別に対する異議申立を封印してしまいます。こうして、私たちの社会派、政治や経済における実験が男性によって担われています。性差別撤廃の取組は、こうした状況を変えることを中心においているわけですから、性的マイノリティに対する差別や暴力の根絶を求める取組みとともに、力を入れてしかるべきものだと思います。

……これを私なりに平易にかみ砕くと、以下のように言えるかと思います。
 ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということです。