リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

20世紀における女性の健康運動の歴史

JOGNN, VOLUME 29, ISSUE 1, P56-64, JANUARY 2000

History of the Women’s Health Movement in the 20th Century
by Francine H. Nichols, RNC, PhD, FAAN
Open AccessDOI:https://doi.org/10.1111/j.1552-6909.2000.tb02756.x

 女性の健康運動(WHM)は、1960年代から1970年代にかけて、アメリカにおけるフェミニズムの第二の波の中で生まれた。それは、1830年代から1840年代にかけて起こったフェミニズムの第一の波と驚くほど類似している。1800年代半ばのこの時期、消費者健康運動家の女性たちはヘルスケアの変革を要求し(大衆健康運動)、女性の権利運動家たちは女性の平等な権利を要求した(女性解放運動)(Marieskind, 1975)。


初期の女性健康運動
 女性の健康運動は、1900年代初頭にマーガレット・サンガーが女性の避妊の権利を求めて闘ったことから始まったと主張することができる(Wardell, 1980)。しかし、文献によれば、WHMは1960年代に始まったと考えるのが一般的である(Marieskind, 1975)。1960年代から1970年代にかけての女性活動家たちの焦点は、自分たちのリプロダクティヴ・ライツをコントロールするための闘いであった(Ruzek, 1978)。1960年代、中絶は女性の生命を救う場合を除き、すべての州で違法であった。治療目的の中絶は年間約8000件あったが、違法な中絶は年間100万件以上あった。違法な中絶をした女性の約3分の1が、入院を必要とする合併症を経験した。年間500人から1,000人の女性が違法な中絶の結果として死亡している(Geary, 1995)。WHMの活動家や他のフェミニストグループは強力な勢力を形成し、1973年に中絶を合法化した「ロー対ウェイド事件」の最高裁判決に結実した。リプロダクティブ・ライツは引き続き主要な焦点であったが、WHMは女性の健康に影響を与える他の多くの分野に急速に進出した。短期間のうちに、WHMは女性の健康に対する包括的なアプローチを開発した。WHM内の各個人の目標は大きく異なっていた。しかし、ある共通の目標が彼女たちを結束させた。「すべての女性のためのヘルスケアの改善と、医療制度における性差別の廃止を求める」(Marieskind, 1975, p.219)のである。
 米国で最初の女性自助健康グループは、1970年に結成されたと考えられている。その後、驚異的なスピードで新しいグループが組織され、1973年までに全米で1,200以上の女性自助健康グループが結成された(Schneir, 1994)。これらのグループに共通するテーマは、医療に対する不満であった。共通の目標は、女性たちが父権主義的で恩着せがましい医療界から力を取り戻し、自分たちの健康をコントロールすることだった(Geary, 1995)。
 1960年代から1970年代にかけて、出産方法を変えることがWHM運動の主要な取り組みとなり、女性たちは医療介入なしに、夫の立ち会いのもとで出産することを求めた。この時期、女性たちはラマーズ・インターナショナル(旧ASPO/ラマーズ)と国際出産教育協会という2つの出産組織の結成を主導した。これらの組織の目標は、出産時の妊婦の選択を提唱し、出産教育を通じて妊婦に出産への準備をさせることによって、出産慣行を変えることであった。1972年、ドリス・ヘアーの暴露本『The Cultural Warping of Childbirth』では、出産時の医療介入の悪影響について述べられている。この本では、アメリカにおける医療化された出産と、他の先進国における助産師による人間的な出産が比較されている。出産運動がピークを迎えたのは1980年代で、多くの病院が伝統的な出産ケアから家族中心のケアに転換し始め、ほとんどの病院が準備出産クラスを提供し始めた。WHMや関係する専門家たちの努力によって、出産は、医療介入なしに出産したい、出産中に目を覚ましていたい、夫に立ち会ってもらいたい、と願う何百万人もの女性たちのために変化した。
 1960年代から1970年代にかけてのWHM運動では、医療介入なしに、夫の立ち会いのもとで出産することを求める女性たちのために、出産のやり方を変えることが主要な取り組みとなった。
 1960年代から1970年代にかけてのWHMは、草の根の支持運動であったが、その数は瞬く間に膨れ上がり、力と勢力を得た。不公正を経験し、自分たちの権利のために闘う女性たちの情熱が原動力となった。WHMは、参加者たちの大義への献身とたゆまぬ活動家としての努力によって、さらに強力なものとなった。20世紀のWHMの中で、問題意識を高め、必要な変化を促す上で極めて重要な出来事を表1に示す。