リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

中絶の罪悪感とディスパワメント

               日本女性学会口頭発表原稿(2004/6/13 鳥取県倉吉市)

                 金沢大学大学院社会環境科学研究科 塚原久美

 こんにちは。まず最初に、このデリケートな問題に対する私の立場を明らかにしておきたいと思います。第一に、私はアメリカのプロライフ(中絶反対派)とプロチョイス(中絶容認派)に体現されるような二項対立的な立場のいずれにも与するつもりはありません。胎児の命と女性の自己決定のどちらが大事かといった対立的な図式は、現に中絶の選択に迫られ、罪悪感や痛みを覚えながら中絶を選ばざるをえないような女性たちの個別の状況に対応できる答えを与えてはくれないと考えているからです。権利だけでは足りない。モラルを語ることで、女性たちが自己犠牲に追いやられるようでもならない。中絶という選択のために苦しむ個人がいるのであれば、苦悩は取り除くべきである。できるものならば、それを失われた子の“いのち”を活かす形でできないものだろうか。そういったことを考えてきました。

 さて、「中絶した人は罪悪感を覚えている」と言うと、「そんなの当然だろう」とお思いの方が多いかもしれません。現代人にとって、「中絶・堕胎は罪」だからです。ところが、少なくとも近世の日本において、堕胎は必ずしも罪ではありませんでした。

 江戸時代には国内各地で堕胎や間引きの禁止令が出されましたが、それは必ずしも堕胎・間引きを“罪”と見なしたためではなかったようです。農村では、年貢米を収める農民を増やすために、都市では不義密通や悪辣な業者を取り締まり、社会秩序を維持するために、堕胎・マビキが禁止されました。その一方で、多産の女性は「獣腹」として忌み嫌われるため3人目以降は堕胎したとか、貧しい武士のあいだでは“少子”が美徳とされて、堕胎が盛んに行われていたといった記録も残っています。

 一般に、都市では薬を使った堕胎が盛んで、農村では母体にとってより負担の少ない間引きが好まれたと言われています。間引きは「オカエシモウス」「モドス」などと表現されています。つまり、死んだ子どもの命はこれで終わりなのではなく、ひとまずカミにお返しするのであって、いつかまたこの世に再生することを願い、心のよりどころにしたのです。その証拠として、子の魂が成仏しないように遺体の上に生臭い魚などをわざと載せて埋葬する習慣もあったそうです。

 このように、再生祈願が罪悪感の緩和に役立ったと考えるのは説得力がありますが、歴史学者の側からは、「殺傷の罪」を強調した近世の仏教や儒学の影響を考えると、そうした「再生信仰がいつまでもマビキを合理化し続けたとは考えられない」との指摘も出ています。そうした解釈のズレの中にも、生殖コントロールをめぐる庶民と為政者のせめぎあいが感じられるのではないでしょうか。

 近代医学によって生殖の仕組みが解明されるまでは、お腹の中に存在する「もの」が「子ども」なのだという意識は、まだ胎動が始まらない妊娠初期には、ほとんどなかったのではないかと思われます。バーバラ・ドゥーデンは、18世紀のドイツ人のある女性が、堕胎もしくは流産によって「流れ出たもの」について、何か皮ふのようなもの、滞った月経、大きくなった代物、性悪のこぶのような物、火事、焼け焦げた血、奇形物などと呼んでいたことを明らかにしました。近世の日本人にも同様の見方があったのではないかと、私は推測しています。

 一方、近世も終わりの頃になると、堕胎した女を責める言説が盛んになってきました。民俗学者森栗茂一氏は、井原西鶴の『好色一代女』に出てくる「うぶめ」が通常の「子どもを産むことなく死亡した産婦」の意ではなく、いわゆる“水子”として描かれていることに違和感を表明し、それは「女性の情念から女性の責任論への転換」であって、男性を免罪しつつ女性のみを責める構造になっているところに、「西鶴の差別性」がみごとに現れていると評しています。

 本来、純粋に中立的なはずだとされる科学知識も、妊娠や胎児にまつわる領域では、差別性や恣意性にまみれて「水子」というイデオロギーを支える役割を果たし、女性たちの責任を問い、その倫理性を責め立てる道具として使われていきました。妊娠・胎児の発達に関する知識は、「中絶を罪」と位置付ける直接的な原因ではなかったとしても、女性たちの罪の意識を強める機能を果たしたことは間違いないでしょう。より鮮明な胎内写真が実現していくことで拍車がかかった「胎児の可視化」の影響は、先に挙げたドゥーデンも指摘しているところですが、同様のことを森栗氏は「胎児の人間化」と呼んでいます。つまり、科学知識によって胎児が「見える存在」になったことが、中絶の罪を構築していく重要な一要因になったと考えられるのです。

 日本では1960年代頃から産婦人科で超音波検査機の導入が始まりました。胎児の存在を目で確かめられるようになれば、愛情が増し、絆が深まるのも当然でしょう。「子」と意識するようになった存在を中絶という人為的方法で堕ろすとなれば、その罪悪感は以前に増して強まります。目の前の命を奪うことの自覚を迫られるからです。生殖医療の発達によって、ますます命を選べる時代になろうとしている状況から、今後はなおのこと自分の選んだ人為的な介入に対する罪悪感が募っていくように思われます。

 そうは言っても、「大昔から水子供養があるではないか。水子供養こそ、昔の人も罪悪感を抱いていた証拠ではないか」とお思いの方がいるかもしれません。ところが、水子供養というのはそれほど古い習俗ではありません。1970年前後に登場した全く新しい宗教儀式なのです。その新しい習俗が「あたかも大昔から続いてきたかのように信じられているほど」人々に受け容れられ、一般に急速に普及したというのが実態なのです。

 水子供養が、普通思われているよりはるかに新しい習俗だということは、数多くの水子供養研究者によって明らかにされ、様々な説明がなされてきました。戦後以来綿々と続いていた大量中絶を背景に、檀家制度が崩れて新たな収入源を求めていた寺院側の都合だとか、当時の都市文化社会で新たな民話を求める機運やオカルト・ブーム、すでに述べました胎児の可視化や人間化、リブを初めとする女性解放に対する反発、さらにはコインロッカーベビーや子殺しの事件、菊田産婦人科医の実子斡旋事件といった事象も影響して、マスコミが大きく、しかもある種偏りのある取り上げ方をしたために、水子供養が多くの人に知られるところとなり、70年代と80年代の二度のブームを経て定着した……というのが、水子供養研究者のおおよその共通理解になっているようです。

 こうした中絶ブームと優生保護法改正問題――法改正に反対する立場では“改悪”問題と呼びますが――との関係については多くの研究者が示唆しています。特に、優生保護法改正問題が浮上し、水子供養の最初のブームのピークでもあった1973年については、田間泰子さんが次のような興味深い研究を行っています。

 その年、統計上の実数としては特に子殺しが多かったわけではないのに、母親による子殺しの報道が急増したというのは、先行研究でも明らかにされていたのですが、田間さんは、その1973年の新聞報道について詳細に分析した結果、「加害者としての母」の物語が構築されていったことを見いだしました。子捨て・子殺しといった事件が母性の喪失と関連づけて報道されることが、この年に始まったというのです。

 そのように「母性」と「子捨て・子殺し」という異質なカテゴリーが統合していく前哨戦として、60年代後半には厚生省から「異常に多い人工中絶」の調査結果報告があり、「中絶天国」問題が取りざたされたり、さらには「蒸発ママ」「母性喪失」「赤ちゃん殺し」といったタームを使った報道によって、「母性」と「子殺し」の連関がついて行きます。そして1973年になって初めて、「中絶は子どもの命を奪うことだ」という認識が日本人に行き渡ったのです。つまりこの年に「中絶は子殺しである」という明確なメッセージが現れたのです。この年がちょうど一回目の水子供養ブームと重なっていることや、アメリカのロー判決――初期中絶を女性のプライバシー権のもとに合法化した最高裁判決なのですが――と重なっていることも注目に値します。おそらくマスコミによって流布される「子殺しの母」イメージと水子供養の流行が、相乗効果的に、「中絶の罪」という“常識”を構築していったのではないかと思われます。

 優生保護法水子供養のもつ政治性、女性抑圧的なその本質と機能についても、多くの研究者が言及しています。アメリカの政治学者Tiana Norgrenは、そもそもの優生保護法が産科医の利益誘導型政治作用によって導入されたこと、その後の改正問題やピル導入阻止にも利益団体の圧力が働いていたことを立証しています。

 溝口明代さんは、中絶を子殺しとみなす思想やそれを土台にした“水子供養”は、男性による女性の支配装置であり、中絶した女性に対する恫喝の道具になったと論じています。しかも、「水子供養」を自発的に受け容れていった女性たちは、溝口さんの言葉を借りれば、「より一層、内面から再編制され、支配されていく」のです。そこで女は自縄自縛となり沈黙していきます。つまり、女性たちは堕胎罪や優生保護法といった法律と水子供養のメディア作用によって“罪”と位置付けられた中絶を経験することで、力を奪われた――ディスパワーされたのです。

 ちなみに、1970年前後に日本で生まれた水子供養は、韓国や台湾にも飛び火しました。どちらの国の水子供養も、日本同様に、女性を救済するというタテマエと裏表で、女性たちの経験に一方的な枠組みを与え、一種の恫喝として機能している側面があるようです。つまり、中絶をすることを恥とみなし、ひた隠しにしながら、ひとり心を痛め、水子供養に――言い換えれば権威に――救いを求めていく……といった構図は日本の水子供養と共通しています。

 そのような恫喝の装置は、欧米にはないのでしょうか。じつは、水子供養とは似て非なるものですが、女性に対する恫喝の装置という意味で、Post-Abortion Syndrome(中絶後症候群、略称PAS)あるいはストレスを加えてPost-Abortion Stress Syndrome(略称PASS)と呼ばれるものを挙げることができます。

 このPASは1980年代頃からアメリカのプロライフを中心に提唱されるようになった概念で、簡単に言えば中絶の心理的後遺症のことです。この概念についてはアメリカのプロライフとプロチョイスの対立を背景に学術論争が起きており、今も完全に決着がついてはいません。ただし、どちらかといえばPASを否定する論説が強い観があります。しかしそうした論争のおかげで、近年になって、中絶後に苦しむ女性たちの存在が目に見えるようになってきたという側面もあります。

 PASの症状としては、悪夢や記憶のフラッシュバック、強い罪悪感や罰を受けるのではないかといった不安、他の子どもに危害が及ぶのではないかという不安、アニバーサリー反応(“命日”症候群)、妊婦や赤ん坊に対する過敏反応、自律神経失調等々があると言われます。〔Theresa Burke ○年〕こうした中身が、水子供養を怠った女性が見舞われるとされる災厄あるいは祟りの内容とたいへん似ていることが目を引くかと思います。

 ところで、PASが知られていくことは、果たしていいことなのでしょうか。これまで長らく放置されていた女性の健康問題に光が当たったという意味では、いいことのように思えます。ところが、アメリカのフェミニズム雑誌Ms.は、「攻撃を受ける中絶」と題した記事で、「PASは一見科学的だが、騙されてはいけない、でっちあげの言葉だ」と激しい反論を浴びせました。プロチョイスの視点から見れば、中絶後の罪悪感を自明視し、医師やカウンセラーへの“帰依”を要求するPASもまた女性に対する恫喝の道具に他ならないのです。

 ただし私は、PASという概念は現に苦しんでいる女性たちの存在を浮かび上がらせ、対策を喚起するという意味で重要だと考えます。さらに、イギリスの社会学者Elli LeeはPASと産後うつ症(PND=Post-Natal Depression)が社会に受容されていくプロセスを対比することで、母性や子ども中心主義文化の影響を論じていますが、そのように中絶と母性規範の関係を検証していくことも重要だろうと考えています。

 これまで述べてきたとおり、英米のPASと東アジアの水子供養には、いくつかの共通点が見られます。第一に、どちらも「中絶は罪」だという見方を前提としていること。第二に、「中絶をした女性は罪悪感に苦しむはずだ」という決めつけがあること。さらに、そうした一義的な前提や決めつけの結果、それ以外の反応、それ以外の中絶観をもつことが抑制され、結果的に女性たちがディスパワードされるということです。

 では、エンパワーされる中絶観とはどういうものでしょう。たとえば、アメリカのプロ・チョイス派のなかには、「中絶は女性の責任ある選択だ」という見方があります。育てられない子どもをただ産んで無責任な母親になるよりは、ちゃんと育てられるときに産むほうが正しい選択なのだといった考え方です。この考え方自体には賛否両論あるでしょうし、その道徳性についてここで論じるつもりはありませんが、そのような見解に立った場合、水子供養やPASの信奉者の中絶観とは全く違った、女性をエンパワーする中絶観を構築していくことも可能になるように思われます。

 森田ゆりさんによれば、エンパワメントを必要としているのは「パワレスな状態=ディスパワードされた状態」の人です。そのディスパワードされた状態は、外的抑圧と内的抑圧という2つの抑圧によって作られます。

 外的抑圧とは、「あなたはたいした人間じゃない」というメッセージを送り続けてくるものです。一方の内的抑圧とは、そうした外的抑圧のメッセージを内面化して、「わたしはたいした人間じゃない」と思いこみ、自分で自分のパワーを傷つけてしまうことです。

 そうした状態にある人に対して、「エンパワメントとはこのような外的抑圧をなくすこと、内的抑圧をへらしていくことで、本来持っている力を取り戻すこと」だというのです。

 水子供養やPASで考えると、「中絶は罪だ」という外的抑圧が内面化されて、「中絶をした私は罪を犯した、罪人だ」という自責になって閉じていくとき、中絶という事態を導いた他の要因について目が向かなくなります。そのために当事者は抑圧をはねのける視点を失い、根本的解決が不可能になって、根本的解決に向かっていくことができなくなり、ディスパワーされた状態に陥るのだと考えられます。

 そのようなディスパワーされた状態から抜け出し、中絶で傷つき苦しんでいる女性たちをエンパワメントしていくためにはどうしたらいいのでしょう。

 中絶のトラウマ・ケアの重要性を訴えているカウンセラーの嶺輝子さんは、中絶の傷を癒す行程として、体験を語ること→恐れを認識し、怒りを受け容れ、赦し、受容し、統合していく……といった6つの段階を示しています。他のPTSDの癒しでも、語ることが癒しの第一歩であるのは間違いありません。しかし、中絶を体験した人々の多くが、この「語ること」ができずにいます。仮に語ることができたとしても、その語り自体が自分の罪と恥を固定し、強化するような枠組みにはめられた中で語られるのだとすれば、それはエンパワメントにはつながらないでしょう。

 

 昨年、アメリカの女性誌GlamourにNovember Gangsと名乗る新しいタイプの中絶クリニック・グループが紹介され、話題になりました。このグループに加盟している中絶クリニックの壁には、ハート型に切ったピンクの紙などに「私の小さなエンジェルへ、いつまでもあなたを忘れません……」など、胎児に宛てたメッセージを書いたものがずらりと壁に貼られているそうです。これは「胎児の人間化」に他ならず、その意味ではディスパワー効果があるようにも思われます。しかし現実には、そのような形で自分の心を整理していった女性たちは、自らの選択を引き受け、主体的に生きていけるようになるというのです。一方、営利主義の大手水子供養寺院とは一線を画して、現に供養者の心の救済に役立っている地域の寺院の存在が、一部の研究者によって明らかにされ始めました。

 いったいそうしたものは、従来の恫喝の道具とはどう違うのでしょうか。当事者がディスパワーされるのではなく、むしろ失われた子との関係性の構築に向けて、エンカレッジされ、エンパワメントされるというところが、違うのではないかと私は考えています。

 ウーマン・リブはそもそも自分自身の性の問題と向き合うところから始まったのだと聞いています。社会的・制度的な不公正を撃つのみならず、一人一人の女の生きがたさに真剣に向き合うこと、頭だけで考えるのではなく、身体と心を備えたまるごとの人間として考えることを、私はリブや田中美津さんの思想から学んできました。

 なさけない、たいしたことのない、だけどかけがえのないわたし――この美津さんの言葉を胸に、リブの遺産を引き継いで、これからも中絶問題に向き合っていきたいと考えています。

 ご静聴ありがとうございました。