たまたま以下のサイトにあるリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康/権利)の説明を見つけた。川上美智子氏(茨城キリスト教大学生活科学部教授)の講演内容らしい。教科書的なテキストなので,これをお借りして,わたしの考えをいくつか簡単に説明してみたい。
以下,http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/bugai/josei/ecollege/kawakami.htm
より抜粋。
1994年のカイロの国連人口開発会議では、目的こそ人口の爆発抑止ではありましたが、女性自らの手で家族計画を行うことの重要性を認めて、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツの実現に向けた取り組み」が初めて行動計画に盛り込まれました。また、1995年の北京女性会議でも、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」を人権の一つとして掲げ、これを含めたすべての人権侵害に対し行動を起こすことが宣言に明記されました。
川上教授は,人口爆発抑止と,女性の自由とを対立的に捉えているが,実際には,国家が上から人口政策を押しつけるやり方の非人道性を解消するためのみならず,個人に任せていたほうが実は効果的だと気付いたためでもあったはず。子どもが増えるかどうかの水際はプライベートな領域にあるし。
前者の「リプロダクティブ・ヘルス」は、生命の再生産システム等において身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを言い、また、後者の「リプロダクティブ・ライツ」は、個々人それぞれが、自由に、責任をもって再生産システムをコントロールや決定する権利を言います。
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という表記は日本語独自のもの。これを併記したことには異論があるが,長くなるので今日はやめておく。リプロダクティブ・ライツは,リプロダクティブ・ヘルスへの権利を含むものであり,それのみに限定されるわけではない。
具体的には、パートナーの選択の自由(性愛の自由、性行動の自己決定)、妊娠・出産の自由(子どもを持つ権利、持たない権利)、安全に妊娠・出産する権利、妊娠中絶・避妊の権利、生殖や性に関する情報へアクセスする権利、医療やヘルスケアサービスを受ける権利、生涯を通じて健康を得る権利など、人間の生殖システム(子どもを産み遺伝子を次世代に継承する)すべての事柄に対する自己決定権や自由権を指します。
日本の議論では,「妊娠中絶」はこうやって列挙されるのみで,その内容についてきちんと考えられることがまずないものだから,単に「中絶を受ける権利」だと思われ,「中絶を受けることが国家に許されていればOK」という誤解が生じている。「国家に許される」という発想そのものが,もはやリプロダクティブ・ライツには反するものなのに。そんな状況だから,「中絶なんて受けなくてもすむようにする権利」のほうが見落とされてしまう。コンドームなんて古い避妊法に頼るしかないような状況が放置されていることも,中絶をして精神的な傷を負うことも,リプロダクティブ・ライツには反するというのに。(ついでに言うと「精神的な健康」を理由にした中絶が受けられない先進国は,日本以外にまず見あたりません。)
中絶の権利とは,あくまでも中絶を受けなければならないような事態に陥った人が「安全な中絶を合法的に廉価で受けられる権利」なのだということを押さえておきたい。「安全な」という言葉には,「精神的な健康が守られる」という意味合いも含まれています。
ついでに言うと,日本の中絶方法はいまだに明治期以来の外科的手術(掻爬と言われるやつ)が使われることがよくありますが,これは1960年代頃からいわゆる吸引法(掃除機みたいなもので吸い取る方法)が一気に広まった他の欧米諸国に比べるととんでもない話です。日本に外科的中絶法が定着した主な要因は,他の欧米諸国で中絶が非合法だった時代に「国の人口政策として,優生保護法(現在の母体保護法)によって中絶が許可された」ことを第一に挙げられます。そして今もなお母体保護法は,「女性のリプロダクティブ・ライツに基づくことなく」中絶を事実上合法化しており,それゆえに,日本の望まない妊娠対策は遅れています。避妊ピルの合法化が他の先進国に比べて30年も遅れたことは有名だけど,その間にフランスで開発され,このところ世界に急激に広まりつつある初期中絶薬ミフェプリストン(RU-486)だって,日本では国が認可していないことを根拠に「危険な薬」として紹介されるばかりで,この薬に関する議論すらほとんど始まっていない。
また、「リプロダクティブ・ヘルス」は、過去に人々が獲得してきた権利である自由権、社会権、市民権でカヴァーできない、21世紀に残された「最後の人権」とも呼ばれています。
ここはちょっと混乱していますね。最後の人権と呼ばれているのは,確か「リプロダクティブ・ライツ」のはず。「リプロダクティブ・ヘルスへの権利」とおっしゃりたかったのかもしれませんが。健康権の議論はややこしく,わたしもまだ理解したとはとても言えませんが,友人が研究しているので,今後が楽しみです。
人間の生殖システムは、人間の実存に関わる根源的なものですから、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」は、自己のからだと心を自分自身に取り戻し、他者や社会から侵害されずに健やかに人が生きる権利、また、自己責任において自己を処遇する権利とも考えられます。しかし、そうだからと言って、何でも許されるわけではありません。公共の福祉に反しない範囲の中で、自己決定権や自由権は認められるのです。
ここで「自己責任」を持ってくるのは,違うと思う。日本では中絶の権利を「自己身体に対する自己決定権」で説明することが多いけど,川上教授の説明で言うなら「自己のからだと心を自分自身に取り戻し、他者や社会から侵害されずに健やかに人が生きる権利」のほうを,わたしは重要視している。ドゥルシラ・コーネルが「イマジナリーな領域への権利」と言っているものに近い。ついでに言うと,異色フェミニスト(?)であるコーネルの本は議論が難しいけど,いずれきちんと説明していきたい。この本の中絶の章は,一人の人間が生得的なもの(女性の生殖機能)を抱えながら生きていくことを,どう捉えるべきかを考えさせてくれます!……現代思想が好きな人にもお薦め,かもしれません。仲正昌樹先生の監訳です。