リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

合宿の二次会のほうで,1980年代に「悲しみ」を連想する言葉をタイトルにつけた中絶関連書が次々発行されたことをご紹介しました。そのうちの一つが10月3日5日の日記でで紹介したマグダ・ディーンズ著の『悲しいけれど必要なこと』でした。その前年には谷合規子さんが『なみだの選択』を出しています。さらに『さらば,悲しみの性』『間違いだらけの中絶』といった産婦人科医の書いた本もベストセラーになっています。

以下に,これらの本のタイトルを並べてみます。どんな印象をもちますか?

悲しいけれど必要なこと〜中絶の経験』マグダ・ディーンズ(加地永都子訳 晶文社 1984年)
なみだの選択〜ドキュメント優生保護法』谷合規子(潮出版社 1983年)
『さらば,悲しみの性〜産婦人科医の診察室から』河野美代子(高文研 1985年)
『間違いだらけの中絶〜二度と悲劇を起こさぬために』石浜淳美*1(潮文社 1981年)

こうやって並べてみると,中絶は悲しい経験,あってはならない悲劇だ……けれども善かれ悪しかれ,中絶を必要とする人がいるという現実がある――そんな印象を抱くのではないでしょうか。ひとことで言えば,こうした本は「必要悪としての中絶」を描いているようにも見えます。

ところが,じつのところこれらの本のスタンスはかなり違うのです。『悲しいけれど』の本の特殊な性格は,前に説明しました。産科医の書いた下の2冊は下手をすると「脅しの性教育」になってしまうような内容です。つまり,中絶がいかに悲惨な経験であるかを産科医の立場から訴え,中絶を選ぶ人を減らそうと言うのが,この2冊の主旨です。

一方,上記4冊のなかで,わたしがお薦めしたいのは谷合規子さんの『なみだの選択』です。この本は,中絶を取り巻くポリティクスを明るみにだし,数々の“思いこみ”を取り除いてくれるからです。

手術のための麻酔からさめたあと,涙を出す女は多い。消えた胎児への思い,中絶を選ばざるをえなかった状況に対する無念さ,男との関係,傷ついた我が身に対する健康上の不安,そして屈辱の姿勢を要求された手術……とさまざまな哀しさが入り混じっている。
『なみだの選択』p.227-8.

谷合さんの描く「なみだ」は,水子供養ビジネスが描く「赤ちゃん,ごめんなさい」といったノリの感傷的な涙ではなく,社会や多様な他者との関係に根ざしている。自民党優生保護法改“正”提案や水子供養ビジネスに関する資料も付いていて,この一冊で,現代にも通じる“中絶問題”について必要最小限のことがコンパクトに分かるので,お薦めです。

追記(2007/9/25):1983年に日本家族計画連盟編『中絶禁止への反問〜悲しみを裁けますか』という本も出ていますね。広告に「理想と現実との狭間で苦悶する女たちはもう黙ってはいない!」というキャッチフレーズが踊り、リードには「子育てと女の経済的自立とを両立させる社会的条件を整えることなく、一切の責任を女にしわよせしようとする動きに真向から挑む」とありました。

*1:石浜さんは男性の産科医です。