リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

9月30日の日記に書いた「死生観とケア」研究会主催の「ナラティブホーム構想について」を聞きに行った。講師は砺波サンシャイン病院副院長の佐藤伸彦さんである。高齢者医療の問題に,わたしは詳しくないけれども,「医療は科学ではない」という話が興味深かった……じつは,今,一部翻訳を頼まれている本の著者が,まさにそれを主張している。

「科学的に正しい」ことが「真実」だとは限らないことは,米山公啓さんの『医学は科学ではない』をはじめ,最近,いろんな人が主張するようになった。だけど,まだまだ「科学的真実=紛う方無き真実」と思っている人が少なくない。

科学はひとつの解釈にすぎないのに……。

佐藤さんが,従来の高齢者医療施設と自宅介護との中間体としての新しいかたちの高齢者ホームに,“ナラティブ”という言葉を冠したのは,当事者の“物語り”を重視するという発想に基づいている。個々のナラティブは,客観的,普遍的,科学的な“真実”とはまったく別の様相を呈し,まったく別の展開をもっている。認知症になった高齢者の主観的,個別的で,一見,非科学的な物語の世界も,じっくり聞いていくと,あるいは“聞くひとが聞けば”,それなりに脈絡のある物語りから成っている。そのような,聞く人に「確かにそういうこともありうる」と思わせてしまうような個別の物語り的真実の世界を,佐藤さんはだいじにしようと考えている。

しかし,自分自身にとっての“真実”がどれなのか,分からなくなってしまうこともある。

精神科医神田橋條治さんは『精神科養生のコツ』という本のなかで,〈「気持がいい」という感じをつかんで,その感じですべてを判定すること〉を提唱している。「気持がいい」というのはだれもが当然もっている感覚のように思われる。ところが,〈「気持がいい」という感じをつかむのに慣れていない人がとても多い〉のだという。

そのような人は,多分,これまでの人生で「……したい」よりも「……すべき」という方針を大切にして生きてこられたのでしょう。……そのような人でも,不幸な状態になっているいまは,「苦しい」「辛い」「いまのこの状態から抜け出したい」という気持ちを感じることはできます。……いくらか抜け出せたときの「ああ,楽だ」「ホッとした」という瞬間はつかめるものです。……そこからスタートして下さい。しだいに,「気持ちがいい」の感じが分かるようになります。
p.13-4.

からだのあちこちが痛くて,疲れてて,眠たくて,でも,まだこうやって書いているわたしは,なにが「気持ちがいい」のか分からなくなっている自己知に欠けた愚かな現代人のひとりなのかもしれない。