リプロな日記

中絶問題研究者~中絶ケア・カウンセラーの塚原久美のブログです

中絶に“配偶者同意”は必要か? 臨床心理士「女性の自己決定権を尊重して」

ABEMAヒルズ 2021/09/28 19:00

中絶に“配偶者同意”は必要か? 臨床心理士「女性の自己決定権を尊重して」

 名古屋地裁は今年5月、公園のトイレで赤ちゃんを出産し、そのまま死なせたとして元看護学生に懲役3年執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

 当時20歳だった元看護学生(※未婚女性)は昨年、愛知県西尾市の公園で生んだばかりの男の子の遺体を放置。そのまま赤ちゃんを遺棄したとみられている。

【映像】元看護学生「中絶時期を過ぎてしまった」 中絶“同意”得られない女性たち

 元看護学生は「相手男性から中絶の同意書にサインが得られないうちに連絡がとれなくなり、サインがないことで病院に手術を断られているうちに、中絶できる時期を過ぎてしまった」と裁判で証言。21日、これが読売新聞で報道されると、ネット上で多くの反響を呼び、Twitterでは「未婚女性」のワードがトレンド入りした。

 妊娠の継続または分娩が難しい場合、本人および配偶者の同意を得て、医師が行う人工妊娠中絶。未婚の男女の場合は、中絶の同意書に男性のサインは不要となる。しかし、訴訟などのトラブルを恐れた医療者が、前述のように男性側のサインを求めるケースも存在する。

 過去に中絶を経験した女性のカウンセリングも行う臨床心理士明星大学心理学部准教授の藤井靖氏は「中絶による女性の精神的・身体的負担は非常に大きいことは言うまでもない。その上、公園に乳児を遺棄してしまうような事件が起こったとき、女性だけが罰せられて男性が罰せられないのは、理不尽で非合理だ」とコメント。その上で「条件を満たせば、法律的には女性の判断だけで中絶を決めることができるが、実際にそうなっていない現状がある。これは運用上の問題があると思う。なので、この件に関しては法的な問題というよりは、女性の自己決定権や判断の尊重を、より深く考えていく必要がある」と言及する。


中絶に“配偶者同意”は必要か? 臨床心理士「女性の自己決定権を尊重して」


「女性が自分の妊娠状況や子供について考えるとき、客観的判断や論理を超えることが往々にしてあると私は思う。妊娠したときにどのような病院を選ぶか、不調があるときにどのような対応をとるか。また、子供が生まれてからも具合が悪そうなとき、いつ病院に連れていくか。体調を崩さないように気候にあわせてどのような服を着せるか。細かいところも含め、時に親(女性)は主観的な判断をするが、それが結果的に正しいことも多い。仮に妊娠して女性が『中絶したい』と思ったとき、パートナーが反対している、あるいは配偶者が『産んで欲しい』と思っているとする。しかしその状況の中で女性が『産めない』と考えたならば、それは女性が子供を産み、育てていくこと適切な環境が整わないと判断したということだと思うので、私はその通りなのではないかと思う。それは尊重されるべきではないか」

 また、婚姻関係がある男女の場合は、原則として同意書に配偶者のサインを求められるが、母体保護法では、配偶者が知れないとき、もしくはその意思を表示することができないとき、妊娠後に配偶者が亡くなったときは、本人の同意だけで足りるとも明示。さらに、日本医師会の「DV被害などで婚姻関係が実質破綻し、配偶者の同意を得ることが困難な場合にも『本人の同意だけで足りる』場合に該当するか」という質問に、厚生労働省は「貴見の通り」と回答している。


中絶に“配偶者同意”は必要か? 臨床心理士「女性の自己決定権を尊重して」


 WHO(世界保健機関)でも「女性の権利」と明言されている“安全な中絶へのアクセス”。藤井氏は「女性が今よりも中絶をスムーズに決断できる状況になることは、一方で『命を軽く扱っていないか』といった生命倫理に関する懸念も周囲から示されるだろう」と指摘した上で、「例えば性教育に関して、教育現場では以前に比べて相当に浸透してきている。中高生と話していても知識はある。しかし知識はあるけど、それを行動に適切に反映できる気持ちが伴っているかというと、そうとはいえないと思うので、教育の方法は再考の余地がある」と話す。

「また、自分に何か問題が起こったときに、考え抜いたり人に頼ったり、最善の方法をよくよく考えて探れるような、いわゆる『問題解決能力』を子供のときから身につけていくべきだとも思う。もう一つ、女性が中絶を決断しようとするとき、場合によっては精神疾患や精神耗弱があって、後から考えたら後悔するような判断や、思いとは裏腹の言動をとってしまうケースもある。できる限りそうならないよう、カウンセリングも含め専門的・客観的にサポートやケアができるような体制を社会全体で整えていく必要があるのではないか」 (『ABEMAヒルズ』より)